天の川にかける願い 『式師戦記 真夜伝』番外編 |
一年で一番伸びた竹に鉈の刃が入れられる。潮騒に似た音ともに、細い常磐色の竹が倒れる。 適当な長さに整え、余りは古くなった竹編みの垣根の修復に使われた。 「折り鶴・くず篭・投網・巾着・着物に、あとなんだっけ」 「ほら、吹き流しがあるじゃない」 竹に、色とりどりの和紙や、作られたものがところ狭しと部屋を埋めていた。 「まず庭用の大きいのでしょ。それから習字教室用と、咲んちにも持ってくでしょ?」 「小さいのでいいわ」 紙の輪を繋げた鎖を纏わせ、星空を忍ぶ金や銀の星飾り。一つ、また一つとつける度に揺れる枝には、様々な願いのこもる七夕の七つ飾りもつけられた。 「あとは短冊! 咲はなんて書く?」 「当日まで内緒。真夜、まあたお姫様になりたいとか書かないでよ?」 「昔のことじゃない。なりたかったんです! 白馬の王子様が迎えに来るお姫様……憧れよね、女の子の」 「はいはいっ」 目に星を浮かべて妄想に入りそうな親友を、咲は軽くあしらう。 真夜が求める王子を、咲は知っていた。 昔一式で修行してたとかで、ニ度くらい会った覚えもある。 「それで? 愛しの王子様にはいつ会えるの?」 「ああ! ひっどい咲ったら」 「だってかれこれ八年も会ってないっていうのに、よっく好きって言えるなって」 「そういう咲ちゃんはどうなのよ」 「あたしは、……男になんて興味ないもの」 「そーよね、咲には分からないのよね」 「そんな言い方しなくても。そこまで言われるならいっそのこと、短冊に合格祈願て書いちゃおっかな」 「うわーやめてやめて! 受験なんて考えたくない」 真夜は思いきり顔を背け、耳をふさいだ。 日は陰り、闇がおちる。暗がりに住む者たちが動きだす。 日も沈めばいくらか過ごしやすいかと思いきや、ぐずぐずと居座る梅雨に湿度は高く、動かなくてすら汗をかいてしまう。 「あっついんだから、まったく。ちゃっちゃと終わらせて帰ろうっと」 人気もなくなった通りを、真夜は目立たないように歩いていた。 目立てば十五、中学三年の身となると補導の対象だ。 屋根の上も渡り駆けるのも上手くなったとはいえ、まだあまり気乗りはしなかった。 「七夕の夜まで仕事なんてさっ、そりゃあ曇ってて星空見えないし。雨は降りそうにないからラッキーだけど。えっとお、あそこ右に曲がって、それから──」 伝えられた情報を元に、今宵も影を探す。 素行の悪い連中のいそうな場所は、なるべく避けて気配をたどり歩く。 仕事がら武術に頼るのはたやすかったが、あまり遭遇はしないに限った。 隣り町とはいえ、ある程度の所までは佐伯に送って来てもらい、そこからは自分の足でたどる。これも半人前の修行の一環だ。 だんだんと影の匂いのような気配が強く漂って来るようになる。 近い。思ったら足の速度を早める。 先の角を、路地の方に黒いものが入って行った。 「やっぱり獣型ね」 さらにスピードを倍にして、真夜はあとを追った。 路地には通りの明かりも届かず、奥は暗い。その中にキラと光る眼が二つ、こちらを見ている。 「捕まーえた」 喉を鳴らしたあとの咆哮とともに、黒い影は飛び出して来た。 「きゃっ」 思わず飛び退いてしまった真夜をよそに、影は逃げる。 「やばっ。待てー!」 すぐさま追いかけるも、追いつけ追い越せでこのままでは埒が明かない。 公園に入りかけた所で、一瞬見失ったと思った時、草むらから飛び掛かるようにして姿を現わした。 爪が真夜の髪を掠める。間一髪躱した真夜を獣の眼が捉えていた。 「何よ、やる気? やってやろうじゃない、しっかり付いて来てよね」 獣型は影のタイプの中でも、その姿からかとりわけ足が早い。公園という広い空間は、今の真夜には分が悪かった。 自分に照準を合わせた影は、必ずついてくるとふんだ真夜は地を蹴って走り出した。 「もう少し。もう少し引き離せれば」 通りから一歩入った袋小路で網を張りたい。そのために必要な時間を、距離を取りたかった。 真夜は思いきって低いビルの屋根に飛び上がった。負けじと影は追ってくるが、多少は引き離せただろうか。 さきほど振り返った時よりは小さく見えた。 この先は歓楽街。その奥は小さな工場通りの背中にあたる。 「あと少し」 ビルが背中を合わせる谷間に、真夜は飛び込んだ。 足を着くと手をかざす。 「まだ、来るなっ」 ぶつぶつと念を込めながら手を動かした。 見据える先に、未だ影は躍り出て来ない。 思ったよりも影の足が遅い。 「まだ……来ない。これで最後っ」 印の最後を書き上げ、網は出来上がる。 同時に影も路地に飛び込んで来た。 「さあ、来なさい!」 影は、まるで牙があるように笑う。地を翔けるように向かって来る。 「千手中掌《せんじゅちゅうしょう》!」 網に絡まったかのように、影はその場に絡め置かれた。その場から一歩として動けず、もがき体を捩る。抜け出せない。 「よっし! そのままよ、動かないでね」 深く吐息が動く。 「一式が一星。お前を封じる」 殺気を全開にもがく影を見据える。 「成敗!」 影は破裂のごとく弾けとんだ。 「ふぅ。あー汗かいちゃったじゃない」 愚痴りながら真夜は元来た道を戻ろうと、表の大通りに出て来た。 前方を横切る人影は、そんなに珍しいことではなかった。 だが今日はなぜか気になり、よくよく目を凝らす。 見直すと間違いなく、今夜の仕事を持って来た張本人だった。 現場から数百メートル。不自然だと感じても不思議ではなかった。 「ちょっ、ちょっと……円茶亀の」 「あーらお仕事中?」 昼見ても夜見ても、のうてんきに軽そうな印象は変わらない。 取引するようになって一年半。うさんくささはいつまで消えない。 「終わったところですっ」 語気が強まる。のうてんきな言葉が、ぐっと真夜の不快を誘う。 「こんな所で何したのよ」 「へ? ちょっとコンビニに買い出し」 夜にもかかわらず、釣り鐘の帽子に丸サングラス。その手にはコンビニの袋が下がっている。 不審者にも見え兼ねない出で立ちだ。 「家近いの?」 「いやん、えっちー」 両手を胸の所にそろえ、わざとらしく左右に揺する。 「ブらないでよ、オジン」 「いくらなんでも、オレのプライベートゾーンだけは情報売れないんだなあ。内緒」 「べっつに知りたくないしー」 円茶亀のペースに、真夜さ最初の目的を忘れてしまった。 目的を探して頭の中を堂々巡りし、辿り着いた先は、なんと今日の日付だった。 七夕だということ、そういえば曇っていたことを思いだし、空を見上げた。 「もしかして晴れて来た?」 一気に浮上した気持ちを押さえ切れず、隣りの人間を忘れてはしゃぎはじめてしまう始末だった。 「ほら! 星!」 「おてんばなお姫様だな」 「ひっどー」 「まあ、かわいいお顔ですこと。あんまり膨れると風船になっちまうよ」 円茶亀は、麻のズボンの袂のサンダルで、そばの小石を蹴った。 いつのまにか歩いて、小川の橋の上まで来ていたので、石ころは音を立てて水に落ちた。 「なっりませんよーだ。あ! あれ、うっすらだけど天の川じゃない?」 「ああ、夏の大三角形もかろうじてってところだな、ありゃ」 「王子様に会えますように」 川を見下ろす円茶亀は派手に笑って見せた。 「そのあっこがれ王子様っちゃ誰のことだい」 「私の、五歳の時のいっちばん辛い時に、励ましてくれたお兄さん」 「そんなに会いたいんだ」 深淵の穴のような2つのレンズが、位置を外れる。 川には円茶亀と、空を見上げた真夜の姿が、街灯の明かりでぼんやり映し出されていた。 「そっりゃあこんなオジンより?」 「待て待て、オジンじゃなくオレだってお兄さんよん」 「きしょく悪いっ」 反論と一緒に、円茶亀はサングラスを元に戻した。 真夜は気付かなかった。 川に映った顔は、中年には程遠いその顔に。 そして願いが叶うことを、真夜はまだ知らない。 |