千古所思 [『式真』玲祈×真夜] <久渚さんから頂きました>
   
 Plumeriaさんの1800hitを踏んだ記念に、文章担当の
久渚さんから『陰陽記伝』シリーズの番外編を書き下ろして頂いちゃいました
\(^^@)/  
  
  *
 
 
 
  それはまだ、葛葉が眠りの塚から目覚めたばかりの頃。
 
  淡い桜色が、瑞々しい新緑に変わる暖かな春の日。
 
 
 
 
 
  葛葉は一人、緩やかな斜面を登っていた。
 
  さんさんと降り注ぐ春の日差しを遮るように伸ばされた木々のアーチ。足元の硬い土を踏みしめ、時折、聞こえる小鳥のさえずりに耳を傾ける。
 
  葛葉が歩いているのは水椥家の裏山だった。
 
  毎日のように足を向ける「眠りの塚」の方ではなく、表門の方から続く山道。「眠りの塚」側のうっそうと茂る獣道と違い、こちら側は人の手によって整備されている。
 
  いつもなら纏わりついてくる無数の物の怪がいないのは、今歩いているところに結界が張られているからだ。もちろん、葛葉が張ったものではない。友達である物の怪たちを避けるような結界を葛葉は張ったりしないし、そんなことしなくても、葛葉の一声で物の怪たちは近付いてこなくなる。
 
  この結界を張ったのは、水椥家の双子巫女だった。
 
  「眠りの塚」がある方と違って、こちら側の直ぐ脇は住宅地に面している。茂る木々の合間から自動車が行き交う道路を垣間見る事が出来た。
 
  かつて、見渡す限り広がっていた森は人間の住処へと変わり、彼が支配していた場所は水椥家が管理する山の一画を残して、すっかり様変わりしてしまった。
 
  この地の空気も葛葉の知る物と変わり、頭では理解していても感覚的には別世界のように感じられて仕方ない。それも徐々に慣れていくしかないのかもしれないが。
 
  光が目に眩しく映る。
 
  木々が開けた場所。葛葉は目的地について足を止めた。
 
  そこにあったのはこぢんまりとした墓だった。
 
  張られていた結界は、物の怪たちが墓を荒らさないようにするためのもの。死者を安らかに眠らせておくための処置だ。
 
  葛葉は地面から生えるようにして立つ墓石へと近付く。磨きに磨かれた石の表面は日差しを浴びて光を反射させ、手入れが行き届いているのだろうか、土埃などが見当たらない。
 
  菊の花が手向けられ、灰となった線香の残骸が横たわっている。
 
  墓石の表面には「水椥家ノ墓」とだけ掘られていた。
 
  葛葉はじっと窺うようにその文字を見つめる。
 
  葛葉には妹がいた。五歳下の妹は生まれつき身体が弱く、亜麻色の髪と灰色がかかった茶色の目をした先祖返りだった。そのため、村の人間から忌避され続けた。
 
  両親が相次いで病で亡くなったとき、葛葉はまだ十三歳だった。奏は八つを数えるばかりで病弱ゆえに働き手とはなりえない。
 
  幼かった葛葉にとって二人分の食い扶持を稼ぐことはけして楽ではない。だが、幸いにも葛葉には人ならざる友が大勢いて、彼らが支援してくれたおかげでなんとか暮らしていくことは出来た。
 
  「眠りの塚」に自ら肉体を封じるまでの五年間、友達の手を借りながら葛葉は奏を守ろうと必死だった。たった一人の肉親。大事な、大事な妹。
 
  だけど――。
 
  あの日を葛葉は忘れない。忘れることなど出来ない。
 
  いつものように山から下りてきた葛葉を出迎えたのは奏ではなく、見知らぬ複数の男。村の人間でないことは一目見て分かった。
 
  奏はやつらにつれ攫われた。そして、葛葉は最愛の友の身に起こったことを知った。
 
  裏切りと背信と背徳と……。
 
  その後に起きたことは、起こしたことは永遠に忘れる事はできないだろう。
 
  葛葉は、墓石を見つめたまま、視線を動かそうともしない。
 
  手向けるための花も、墓石に掛けるための水桶も、備える線香も持ち合わせていない。
 
  水椥家当主が代々眠る墓があると言う話を聞いたのは昨夜だった。水椥家当主の姉、双子巫女の片割れである夜子が案内するというのを丁重に断って、一人でここにやってきた。
 
  死者は何も聞かないし、何も問わない。何のために奏が眠る墓にやってきたのか、葛葉自身も良く分からなかった。
 
  墓前報告でもしようと思ったのか。そもそも、奏を置いて封印についてしまった自分に墓前報告をするような資格があるのかも疑問だった。
 
  お互いが唯一の肉親だった。それなのに、葛葉は奏を置いて彼と共に眠りについた。奏を一人で残してしまった。
 
  それだけがずっと心残りだった。
 
 「……ごめんなさい」
 
  吐かれた呟きは風に呑まれて消える。
 
  届く事のない謝罪の言葉。
 
 最後に見た奏の姿を覚えている。
 
  あの日の朝、いつものように山に向かう葛葉を見送った最後の姿。
 
 『いってらっしゃい』
 
  いつものように、微笑んで見送った奏。それが最後だった。
 
  或いは、彼を見捨てれば、その先があったのかもしれない。奏と共に過ごす未来があったのかもしれない。だけど、彼を見捨てる事は出来なかったから。
 
  亜麻色の長い髪が脳裏を駆ける。
 
  百年余り経った現代で、現在の水椥家の当主、水椥道馬は奏と瓜二つだった。先走った勘違いで道馬に怒られたりもしたけれど、その後に聞いた奏の人生は葛葉を安堵させた。
 
 「私は、間違っていたのかな……」
 
  応えが帰ってこないことは分かっているけど、問わずにはいられない。
 
 
「彼を見捨ててしまえば良かったのかな」
 
  優しい、優しい神様。流浪の身と成り果てても、どこまでも澄んだ穢れない気を持った大神を、貶めたくなかったから。見捨てる事なんて……。
 
 「……私は死ぬよ」
 
  葛葉は微笑んだ。
 
 「私は彼に殺される。それで、彼の気が済むのならば、それで、全てが終わるなら――」
 
  らしくない、と言われてしまうだろうか。
 
  強く握った拳を震わせる。
 
  現代に目覚めてから、出会った水椥家の人々は、葛葉に親切にしてくれた。
 
  水椥家の人たちは葛葉のことを偉大な術者だとか、天才だとか評していたけど、そうでないことは葛葉自身が良く知っている。
 
  偉大で、天才だったのなら、きっと奏も彼も両方救えたはずだから。そう考える自分は欲張りなのだろうか。
 
 「ごめんね……」
 
  風が前髪を舞い上げる。
 
 「駄目な兄様で、ごめんね」
 
 
 
 『兄様』
 
  
 
  そう呼んでくれた奏の声はもう遠い。手を伸ばしても得る事はできない。
 
  過ぎ去った時間を戻す事は誰にも出来ないのだから。失ってしまったものは、けして戻らない。
 
  
 
  葛葉は踵を返す。もう振り返らない。
 
  やらなければならないことがある。果たさなければならないことがある。たとえ、この身が死に至ろうとも。
 
  綺麗で優しい大神を穢れから解き放つために。
 
  迷いはいらない。立ち止まるわけにはいかない。選んだのは「符宮葛葉」だから。
 
  怖くないと言ったら嘘だ。逃げたくないと言ったら嘘だ。だけど、逃げるわけにはいかないから。葛葉が逃げれば彼は水椥の血族を襲うだろう。
 
  奏の子供たちを手に掛けるだろう。そして、彼は穢れていく。
 
  穢れた彼の神気をもう二度と目の当たりにしたくないから。
 
  
 
  葛葉は歩き出す。元来た道を戻っていく。
 
  二度と踏む事がないであろう、この道を。
 
  あの時、守りたかったものは奏と彼だ。
 
  今、守るべきなのは奏の子孫たちと、彼だ。
 
 「今度こそ、守るから……」
 
  それは誓い。葛葉が自分にかける言霊。
 
  待ち受けるのは、最愛の友との邂逅と、断罪。すべての罪は自らの手で引き起こしたもの。
 
  たとえ、誰がこの罪を許そうとも彼と自分は許す事はしないだろう。
 
  
 
  
 
 『兄様は、私のことを足手纏いだとは感じませんか?』
 
  
 
  いつかの日、奏がそう言ったのを覚えている。
 
  病弱な奏は、葛葉の手伝いをするどころか、逆に世話をかけていることを酷く気にしていたから。葛葉はそれを薄々勘付いていながら知らぬふりをしていた。そして、奏はきっと葛葉が気づいている事さえもお見通しだったのだろう。
 
  なにせ、奏は千里眼とも呼べる特異能力を持っていたのだから。
 
  
 
 『どうして、奏が足手纏いなの?』
 
 『……私はなにもすることが出来ません。こうして、誰かの手を借りなければ生きていけない。それを足手纏いといわずしてなんていうんですか?』
 
  
 
  静かな口調で淡々と告げる奏に、葛葉は困惑するしかなかった。
 
  
 
 『だって、私は奏の兄様だもん。奏と一緒にいて何がいけないの?』
 
 『私が一緒だと、兄様まで奇異の目で見られるのですよ』
 
  
 
  少しきつい口調で奏が言う。珍しいことだったから、葛葉は目を瞬かせて奏を見る。
 
  似てない兄妹。それでも、葛葉にとっては大事な妹だから。
 
  
 
 『んー、でも、もくろーよりは奏のほうが黒に近いよ』
 
 『…………』
 
 『もくろーは真っ白だもんね』
 
 『……兄様』
 
  
 
 呆れたような眼差しを向けてくる奏に葛葉は微笑み返す。
 
  たった一人の妹を守る。それは葛葉の存在意義でもあったから。
 
  卑怯だといわれてもそうやって誤魔化して、奏の不安を取り除いてあげたかったから。
 
  両親が亡くなって、奏を守れるのは葛葉だけだったから。
 
  
 
『兄様。大神様とずっと仲良しでいてくださいね』
 
  
 
  奏はいつかくる、裏切りの時を知っていたのだろうか。
 
  奏がその目で視ていたものを葛葉は知らない。
 
  偉大なる術者と謳われるべきは、天才と言われるべきは葛葉ではなく、奏だったのかもしれない。
 
  葛葉は行く。己の知らない空を見上げて。
 
  もう、立ち止まるわけにはいかないから。自分の選択肢が間違っていたとしても。
 
 「私は、私のやり方で守ってみせる」
 
  風に流された言霊は、やがて葛葉の耳から離れて行った。
 
  
 
 
 
  おわり
   
   
 
 最初から通して読みたくて読みたくてたまらないのを堪えている世界、『陰陽記伝』
シリーズの本当にひとかけらですが、大切な1ページを頂いて……(・_・、)
葛葉の胸の内、そして奏との時空を超えた会話、大きな点と点を繋いで一つの星座を作る線のような貴重な1話です!
  
 
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