『式師戦記 真夜伝』
第一話 一式真夜
その昔、まだこの世に平然と妖怪や物の怪が跳梁し跋扈していた頃、その源を断つために一人の男が起った。
彼には十の弟子が従っていた。
十人の中でもっとも修練の長い五人を五式師とし、彼がその源の封印のために印した五つの頂点を守らせた。
また残る五人にはそれを囲む五つの星をそれぞれ守らせた。
五芒星の頂点には、彼が全身全霊を込めた五つの玉が置かれていた。
永きにわたった苦難の戦いの末、封印は成功したがそれと同時に彼の命も尽きた。
以来五つの玉は五式師の下、その源の封印の証として守られることとなった。
時は流れに流れ、時代は平成の世となり、それはもう千優余年も昔……。
すずめがさえずる初夏の朝。
またいつも通りの一日が始まる。
「母様、おはよー」
前髪にもシャギーの入っている黒髪ストレート。ブレザー時代の今時に、希少なるセーラー服。
「真夜、早く食べないと遅れるんじゃない?」
真夜はどこからどう見ても、見た目は普通の女子高生だった。
日本中どこの家庭でも見られる朝の風景なのだが──。
「真夜。言い方が違うだろう」
あ、と思い出したように真夜は一つ咳払いをして答える。
「おはようございます、父上」
「あぁ」
食卓には朝ご飯、そのテーブルの周りには家族が座っていて朝食を頬張っている。
しかし、
「真夜お嬢様。お支度は」
その後ろの背景に写っているのは、だだっ広い庭と、部屋・部屋・部屋。
声をかけたのは、この一式家に仕える佐伯誠人。
真夜の世話役でもある。
「あぁっもういい! 朝ご飯は車で食べる。行って参りま〜す!」
牛乳コップ一杯片手に、真夜はあわてて玄関へと向かった。
「真夜はまた寝坊か」
「あら、それはしょうがないじゃないですか。昨日も遅かったのだし」
頬に片手を当てて、真夜の母は短い溜め息をこぼす。
問い掛けた本人はそっと、眼を閉じた。
「佐伯、そういえば咲は? いなかったみたいだけど」
「咲さんなら真夜様より、一時間も早くお出になりましたよ」
真夜は佐伯が運転する車の中、後部座席で朝食を食べている。
「実家に回ってからか。じゃあその辺今頃歩いてるわね」
ちょうどその時真夜の目に、見慣れたセミロングの髪を、両脇に少し残して一本にした後ろ姿が映った。
「お嬢様、どんぴしゃですね」
「勘はいいのよ、あ・た・し。窓全開にして。おーい咲ー! おはよー!」
気づいたのか、咲は振り向いて駆けて来た。
真夜は奥へと席を詰め、こことばかりに空けたところを叩いている。
「真夜ったらまた起きられなかったのね? 佐伯さんに送ってもらって来たとこ見ると。まあ昨日も遅かったから分からなくもないけど。あ、昨日手切ったの大丈夫?」
「え! お嬢様切ったってどこをですか!」
佐伯は運転そっちのけで、後ろに身を乗り出して来た。
しかも、すごい形相で。
「佐伯、前! 前! 大丈夫だってば、ちょっと指先切っただけよ。バンソーコー貼ってたら今朝には治ってたわ」
「それならいいんですけど」
体勢を戻すもルームミラー越しに、まだ疑いの眼を後部座席に投げかけている。
車が着いた先──そこは一式真夜・三枝咲両名が通う、公立陵ヶ河原高校の裏門だった。
正門や東裏門と比べ、あまり使われず人出入りのない西裏門。
徒歩または自転車通学が一般的な公立高校ゆえに、車での登校は一際目立ってしまう。
「佐伯、ありがとう。夕美さんのこと、ちゃんとちょくちょく様子見てあげてね」
「帰りはどうします?」
言葉と声にもうトゲはない、が表情はまだ戻ってはいなかった。
「いいわ。たぶん寄ってから帰るだろうから」
真夜は手を差し出した。
「ね? なんともないでしょ? 佐伯は心配性なんだから。爺やそっくり」
真夜はしまったと心の中で思った。
“爺や”とは佐伯、誠人の亡き父・佐伯乙八のことだからである。
「自分が思い出さないようにしてるくせに、自分から言ってちゃバカよね」
差し出された手を、一回り大きな手が包んだ。
「真夜様を頼むというのが、父の遺言です。それを何かあっては」
佐伯の眼が、真夜をふんわりと見つめいる。
「はいはい。爺やにも佐伯にも心配かけないようにします」
「お小さい頃から何度目の約束ですか?」
数えるフリをしている真夜と傍らの咲を残して、心配性な世話役は帰って行った。
「おっはよー!」
「あ! 真夜、咲、おはよう! ちょっと聞いてよぉ! 晶菜ったらねぇ」
「何よ、いいでしょ実佐子ぉ」
そうジャレ合いながら、二人の方へ向かって来たのは、クラスメートの実佐子と晶菜だった。
「何したの? 実佐子も晶菜も……って、あー! 晶菜その髪!」
「晶菜、いつもは下に結んでなかったっけ? 私と同じくらいの長い髪で」
晶菜は二人にピースとちょっぴり舌を出して見せた。そんな彼女の腕を引っ掴まえたのは、実佐子だった。
「聞いてよー! 晶菜ったら、私たちに内緒で彼氏作ってたのよ!」
「違うって言ってるでしょ! 真夜も咲も、実はね、この前行った地下鉄入り口前のヘアサロンでさ、下に結んでるより、その長さなら上にポニーテールみたいにすると似合うよって言われて」
「昨日そこのカッコイイお兄さんとデートしてたじゃない。第一、髪切りに行ったの先々週じゃないの!」
「だから、たまたまそこの美容師さんと昨日、偶然帰り道一緒になって歩いてただけだって言ってるじゃない! 改めて髪のこと色々アドバイスしてもらったから、試してみただけで」
晶菜は膨れて腕を組んだ。
負けじと実佐子は横目で晶菜をじとりと見ている。
「だって、あれだけ変えてみたらって言っても、他の髪型なんかして来たことがない晶菜がねぇ」
はいはいはい、と止めに入ったのは咲だった。
「へぇ晶菜がねぇ」
「真夜! せっかく止めたのに」
「そぉいう真夜こそ、どうなのよ」
「えっ、なっ何言うのよっ……さ、咲〜」
知らないとばかりに、彼女は呆れて自分の席に着いてしまった。
教室にはまだ、朝の生徒達の騒がしい声が行き交っている。
昼休み、真夜と咲の二人の姿は屋上の日陰にあった。
「昨日も帰ってから祓ったけど、今回のは相当まとわりつかれてるわよ、真夜」
教室とは打って変わった咲の顔つき。
それは、その言葉を向けられた人間にも当てはまった。
「しょうがないじゃない、仕事なんだから。無理しないだけ引き剥がして」
「分かってる。けどまた兇が」
「溜まっちゃってる?」
「ううん、そんなには」
「そ、ならいいよ」
不安も疑問もないわけじゃないけれど、やるしかないことも分かってる。
この道を歩み始めた、あの幼い日より12年。
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