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『淡紅の月』

 
《番外編》 真夏の夜空 後編
 

「おい、アレ」
「あ?なんだ?」
「あの女、“紅い麗”じゃないか?」
「あんなアマがか?」
「一度だけ見たことあんだよ。忘れるわきゃねぇ、アイツにぶっ飛ばされたんだ」

「俊ちゃ〜ん!? ……はぐれちゃった」
 俺が捜している間、麗子も一人で俺を捜していた。
(俊ちゃんとせっかくのデートなのに……)
「おい」
 ふいに後ろから声を掛けられた。
 ちょうどその麗子の姿を、俺は土手中探し回ってようやく見つけた時、あいつに声を掛ける二人組も目に映った。
 顔に見覚えがあるところをみると、十中八九いつかのケンカの相手だった。
「紅い麗がいっちょ前の女気取りか? あぁ?! まさかぶん殴った相手を忘れるなんてこたぁねぇよなあ」
「っ……」
「いつかの借り、たっぷり返させてもらうぜ!顔貸せや」
 そう言って麗子に掴みかかりそうになっているそいつらに、俺はもう気がつくとブチギれ寸前になっていた。掴みかかりそうな男の腕を掴んで、俺は麗子をかばうように間に割って入っていた。
「てめぇ、誰に手ぇ出そうとしてんだ?」
「俊ちゃん!」
「誰だお前。すっこんでろ」
 俺に腕を掴まれたそいつは頭に血が上っていたが、もう一人は俺に気付いたようだった。今にも噛み付きそうな連れを止めるようになにやら耳打ちしていた。
「おい! やべぇって、こいつ“右の俊”だぜ」
「分かるんならさっさと失せな。それともツラ貸すか?」
 男の腕を掴む左手に力を入れ、右の拳を見せた。これでひるまないヤンキーは、この辺りにはそうそういない。みるみる二人のツラは青ざめてくるのが分かる。
「けっ。お、覚えとけよ」
 そんな捨て台詞吐いてとっとと逃げて行った。
「そんな古い捨て台詞言う奴いたのかよ。なあ、麗子──」
「あ、うん」
 まただ。久しぶりに見たせいか、驚いている自分に驚いた。
 そう、かつて“右の俊”と共に“紅い麗”と恐れられた、あの刺すような殺気の塊の眼。
 俺が声を掛けて、すぐにいつもの麗子に戻ったけど、その眼力は衰えることを知らないようだった。あの眼だけで、何人のケンカ相手を震え上がらせたか。
 奴等も俺の拳じゃなく、本当の“紅い麗”を見ちまったんだ。
「ごめん俊ちゃん。ありがとう……」
 麗子自身も変わっちゃいない。“紅い麗”からいつもの麗子に戻ると、沈み込んだようになる。
 前なら黙って元気になるまで側にいたが、今はそんな気にはならなかった。
「行くぞ」


 俺は麗子の手を取って、土手を歩き始めた。
 麗子はただ黙って俺についてきた。さっきの場所から離れたくて、俺は麗子の手を握ったまま足早に橋を渡って、向こう側の土手まで歩いた。
「キレイ……俊ちゃん、キレイだよ」
 手を引っ張られ、振り向いた対岸の土手に広がる出店の光が、灯籠のようだった。
 いつもの調子ではしゃぎ始めた麗子を見て、俺もいつの間にか笑っていたんだ。
「なあ、麗子」
「ん? なぁに?」
 笑顔でこっちを向かれて、俺は続きの言葉を見失ってしまった。
「なぁに?俊ちゃん」
 俺の隣りまで来て間近で顔をのぞいてきた。
「わ、悪かったな。お前をそんなんにしちまって。俺がケンカばっかやってたのが始まりだろ。お前を巻き込んだ揚げ句に……その」
 顔が上げられないで、仕方無く頭を掻いていた。
 でも反応がないのが気になって、俺は恐る恐る視線を上げた。麗子は、俺を見ながらキョトンとしていた。
 何の事かも分からないような表情が、何を思っているのか分からなくて戸惑う。
「麗子?」
「……俊ちゃんそんなこと気にしてたの?」
 麗子が照れながら、俺の手を握って来た。
「俊ちゃんが側にいてくれるもの。……それに、襲われる心配がないしね」
「そんなに強くちゃ、俺が助けてやれないじゃねぇかよ」
 俺は笑い飛ばしたが、本当に本心で悔しいと思っていた。好きな女を守れないってのは、やっぱ男には堪える。
「さっきだって、私を守ってくれたじゃない」
「そ、──あれは守ったなんて言えねぇよ。あいつらなんかお前のガンつけで一発だったわけだし」
 俺は、なんだかもう自分が何を言いたいのか分からなくて、あいつの手を放して土手際の斜面に座り込んだ。
「俊ちゃんスネてる。ふふ、か〜わいっ」
「はあ? 麗子、お前ちゃかし過ぎだぞ。俺はマジで言ってんだ」
「ちゃかしてないよ」
 その一言だけは、いつもの麗子の、あっけらかんとした調子じゃなかった。
「俊ちゃんが側にいてくれるだけで、私はいいの。前に冗談ぽく“なんで俊ちゃんよりケンカ強くなっちゃったの”って言ったことはあるけど、俊ちゃんが悪いなんて思ってない」
 麗子は静かに俺の隣りにしゃがんだ。
「紅い麗だろうと、なんだろうと“私”を、俊ちゃんは見ててくれてた。私はそれでいいの」
 俺は驚いて、麗子の顔をまじまじ見ていた。
「麗子……」
 今の気持ちがなんなのか分からず、言葉が出てこない。
 そんな時に、辺りがぱっと明るくなった。
「うわぁっ、花火始まった」
 打ち上がる度にはしゃぐ麗子の傍らで、俺はずっとぼーっと花火を見ていた。
 麗子の天然さは小さい頃から腐るほど見て来た。いや、俺がバカだったのかもしれない。あいつはずっと、“俺”を見ていてくれていたってことだ。麗子が俺を見ていた事実と、それをさも当たり前だって顔で言った麗子の態度に、俺は胸が熱くなった。知っていたようで知らなかった、一番俺が知りたかった、麗子の俺に対しての想い。俺は確かめたくて仕方が無かった。
 ぼーっと考えているうちに花火が終わって、周りが帰り始める。
 俺は麗子に触れたくなって、自分でも無意識のうちにあいつの肩を引き寄せていた。
「しゅ、俊ちゃん?」
「麗子。俺ずっと、お前のこと見てていいか?ずっとこれから先もこうやって、側にいていいか?」
 言うだけ言って後になって、あいつの肩を引き寄せていることや、自分の言ったことにこっ恥ずかしくなった俺は、やけくそ気分で麗子の返事だけを待ってた。
 全身神経を張り詰めるようになってると、麗子が動くのを感じてそっちを見る。
「星があんなに。……笹の葉サ〜ラサラ、軒端に揺れる。お〜星さまキ〜ラキラ、金銀砂ご」
「なんだよ急に」
「去年のクリスマスに、うちで星見たの覚えてる? クリスマスプレゼントに、私がお父様からもらったプラネタリウムキット」
「あぁ、あれな。あれがどうしたんだよ」
「あの時天の川と、織り姫と彦星の星も見たでしょ。今日って七夕の日なんだよ?」
「おいおいちょっと待てよ。今8月だぜ? 七夕は7月7日だろ」
「旧暦の本当の七夕は、今日なの。だから、俊ちゃんが今日の花火大会に誘ってくれたの、すっごぉく嬉しかった。……織り姫と彦星は恋人同士なのに、1年に1回しか会えないわ。けど、それでもずっと織り姫が彦星を想っていられるのは、彦星が自分をいつも見ててくれてることを分かってるからなんだと思う。……なんか不思議ね。いつもの私たちじゃないみたいだわ」
 俺の中で、抑え切れなくなった気持ちが弾ける音がした。
「私も、俊ちゃんが私を見ててくれるから──」
 俺は一生、忘れない気がしたその長い一瞬。あいつの両肩をしっかり掴んでいた手は、麗子の微かな震えを捉えていた。
 でもすぐにあいつから肩の力が抜けて、俺はさらに手に力を込めた。一度そっと唇を離すと、麗子の眼には涙が溜まっていた。
 堪らなくて、今度は強くあいつを抱き締めていた。



 俺はずっと麗子を見ていたんだ。誰にも渡したくなくて、俺だけが側にいてずっと見ていたくて。
 ケンカばっかの俺は、あいつを“紅い麗”にしちまった俺は、ここに来て自分じゃ手も足も出ない俺の神経に気付いた。どんなに足掻こうが、好きな女の前じゃなんも強くねぇただの情けない一人の男だってことに気付いた。
「俊ちゃん」
 あいつに、麗子に俺の名前を呼ばれる度に、俺はいつも嬉しかった。
「ねぇねぇ俊ちゃん!」
 麗子の天心爛漫な笑顔が好きだった。あの黒髪に、俺は触れてみたかった。
「なぁに?俊ちゃん」
 麗子の声が、俺には心地よかった。
「俊ちゃん。ずっと側にいてね」
「あぁ。いるさ、ずっとな」


                  ……fin.


 
 
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