『淡紅の月』
《番外編》 真夏の夜空 前編
あんな事があって、それから高校2年になって、4か月が経った。
「なあ、花火大会……行かないか?」
「え?」
毎年川べりでやる小さな花火大会。珍しく勇気を出して、俺から誘ってみた。
普段は硬派で通り、かつて(今でも)「右の俊」と呼ばれ恐れられて来た。そんな俺が、ここまで手に汗握って受話器を取るのさえためらった。
電話の前で右往左往、すること10分。ようやく受話器を取る決心をしても、顔が暑くなって取れない。手を近付ける度に耐えられなくなってしゃがみ込む。
ため息の数も忘れた。やっと番号を押して、あっちが出るのを待っている間も、自分の緊張を全身で感じて呆然となった。
「もしもし?」
「あぁ……俺っ――」
「俊ちゃん! なぁに、何かご用?」
「ま、……な。今度の月曜って暇かよ」
「うん、夏休みだしね」
「なあ、花火大会……行かないか?」
「え?」
「今度の月曜、花火大会だろ?」
「一緒に行っても良いの! やったー。本当は私も俊ちゃんと行きたくて、お誘いしようと思ってたの。どの浴衣着ていこうかな。……俊ちゃん?」
あっけらかんと承諾されて、気が抜けて、俺はまたしゃがみ込んでしまった。
何時に出ようと言う約束だけして、とりあえず電話を切って、やりとりを思い出しては赤面とため息を繰り返しながら俺は自分の部屋へと戻って来た。
「っあー。なんで電話だけでこんなに緊張すんだ? ちきしょう。向かいの麗子んちになんか、ガキの頃から何十回とかけてるってのに」
そういう問題じゃない事は分かってた。
ただなんとなく、誰かに言い訳したかったんだ。おそらく、自分に。
次の日、麗子から電話がかかって来た。
「もしもし、俊ちゃん? 花火大会に浴衣着てくけど、俊ちゃんはどうするの?」
「普通の格好じゃダメなのか?」
「俊ちゃんも、浴衣着ない?」
「俺がか? 浴衣なんて持ってないぞ」
「おばさんが買ってあるって言ってたもの」
「いつそんなこと言ったんだよ」
「さっき。今遊びに来てるの」
「……どうりでいないと思ったら」
「嫌?」
「……考えとくよ」
「ホントに? 私もかわいいの着ていくね」
けたたましく電話が切られたあと、しばらく俺は浴衣姿の自分を想像していた。
自分ではどうあっても似合わないと思ってふて腐れて寝転がったが、そのあと隣りにあいつの浴衣姿が思い浮かんだ。
俺を見ながら笑っている。たぶん、着ていかなかったらあいつのことだ、こんな笑顔にはならないだろう。行く時から帰るまで、むつけてるか泣きそうな顔してるか、はたまた「紅い麗」と呼ばれた睨みがくるか分かったもんじゃない。
しかもさっきの電話の様子からするに、絶対期待してる。
絶対に今頃きゃぴきゃぴ喜んでる……。
「バカかよ、俺」
あいつの喜ぶ顔を想像したら、また顔が暑くなってきた。バカみたいなくだらないことを考えては赤面して、そのたんびにあーでもねぇこーでもねぇと吐く。
で、また緊張してきてのた打ち回るの繰り返し。
「俊一! いるの〜?」
そうこうするうちに、おふくろが帰って来た。
「聞いたわよ。麗子ちゃんと花火大会、デートなんだって? 良かったわぁ浴衣買っといて。買ったかいがあったってもんよ」
だいたい予想はつく。あいつのことだし、おふくろのこの性格だ。遊びに行っておふくろの方から、「花火大会はどうするの?」なんてしらじらしく聞いたんだ。
麗子も麗子で、「昨日俊ちゃん誘ってくれたんです」なんて普通に隠す気もさらさらなしにバラしたんだ。そんなとこから例の話が出てきたんだろう。
今さらながらなんだかこっ恥ずかしくなってきた。
「ほら! 一度こういうのを、あなたにも着せてみたかったのよ母さん」
いそいそと母親が取り出してきたのは、白地に細かく紺の格子模様が入ったシンプルだが渋い浴衣だった。
柄は別として、浴衣自体自分で似合うと思ってはいなかったから、気は引けたし、やっぱりこっ恥ずかしい。
「そうだ、今から一回着てみようか!」
「な、なんで!」
「いいじゃない、いいじゃない。母さん案外こういうのは出来るのよ?」
まだ決心しかねてる俺はそっちのけで、言い終わる前にすでにおふくろは、部屋の方に取って返していた。
「ほ〜ら、俊一!」
渋々母親の着せ替え人形と化した俺だったが、着てみると以外に悪くはなかった。
「さすが私の息子!似合ってるわよ?」
そう言ってぽんと肩を叩かれた。
「……コホン」
月曜日、約束の時間に麗子の家の前で待っていた。
落ち着かずに早めに出て来たものの、家を出て来るのにも時間がかかったから、最初に出かける気になった時間は相当早かった。
しかし待っている間に気付いたことだが、不思議なことに落ち着かずにいるわりに苛々しない。そう考えたらもやもやして来たと同時にまた変に緊張がぶり返す。
ふっと麗子んちの玄関を見たその時、ドアが開いた。
漆黒のウェーブの髪を綺麗に結い上げ、淡い赤に蛍が描いてある浴衣を来て出て来た。
無意識に俺はその姿を見てあとじさっていた。だが、目は離せない。
「あ、俊ちゃん! 待った? どうかな、この浴衣。似合う?」
「ん、んなに待ってねぇよ。似合ってんじゃねぇの」
麗子の浴衣姿を見てるのと、赤面してくるのに耐えられなくなって、俺は視線を逸らしてから答えた。
「そっか、良かった。似合わないって言われなくて。ん? 俊ちゃん、もしかしたら照れてる?」
顔を背けたのに気付いて、麗子は俺の顔を覗き込んで来た。
「別になんでもねぇよ。行くぞ」
「待ってよ俊ちゃん!」
麗子が俺を呼ぶ声が、妙にこそばゆく感じた。
川べりの土手や橋は、大いに人手で賑わっていた。はぐれると面倒だからと、俺は何も考えずに麗子の手を取っていた。
「はぐれないように握っとけ」
自分のしていることに改めて気恥ずかしくなり、それをごまかすように、いつもの様なぶっきらぼうな調子で麗子に声を掛けていた。
「うん」と、麗子はなんだか嬉しそうに笑っていて、余計に恥ずかしくなって、また視線を逸らした。
こんなことぐらいで動揺するような野郎だったのかと思うと、少し情けなくも思えて来たが、麗子が“俺の”隣りで笑っているのは、俺も満足だった。
「まだ時間あるから、何か食べるか。どうする? 麗子」
「私はお好み焼きが良いな」
「んじゃ俺が買ってくるよ。ここで待ってろ」
俺は屋台の列に並びに行った。買って戻ると、麗子はそらを見上げていた。
「おら、買って来たぞ」
「わぁい。ありがと」
土手の入口のポールに寄り掛かりながら、食べ始めた。
「何、見てたんだよ」
「えっとね、星を見てたの。今日は空がちょうどキレイだったから」
「へー」
気になったから聞いてみたが、ロマンチックな趣味のない俺は適当に返した。こんな少女趣味な女が、よくあんなにケンカ強くなったもんだ。
「俊ちゃん、どこらへんで見よっか。橋の上は人がい過ぎるし、土手も座るところはもうないし……」
「そんじゃ、そこいらを少しうろつくか」
腹ごしらえが済む頃には、妙な緊張が吹っ飛んで、俺は普段通りの“俺”になっていた。
そのせいなのか二人で歩いていることも意識しないで、俺はまたさっきの事を考えていた。
あいつがケンカに強くなったのは、そもそも俺のケンカ癖がもとだ。
「なぁ、麗子。……麗子?」
振り返ると、あいつの姿が見当たらない。立ち止まったまま見渡したが、それでも見つけられやしない。
「ち、くっしょう……何やってんだよ」
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