『式師戦記 真夜伝』

 
 第三話 影、現る
 

 これは、またあの頃の夢か、と真夜の意識は思った。
 自分が5歳の秋。
 秋風が珍しく吹くことがなかったあの日。
 真夜の目の前には、死の直前の乙八が立っている。
 乙八は、口をぎゅっと結び涙に頬濡らす小さな真夜を抱きしめ、頭をそっと撫でた。
「これ以上この老体がとどまっていれば、一式家一族、果ては真夜お嬢様にまでご迷惑をおかけすることに……爺にとって、それは不本意極まりないことなのです。何卒、爺を誠子のもとへお送りなされても、気を咎めませぬよう」
 12年も前の出来事でありながら、夢の中ではまだ色あせず、その時のまま目に映っている。
 そしてその意識は事前に、次に必ず訪れるであろうシーンへの恐怖と悲嘆、そして悔やんでも悔やみきれない気持ちが襲いかかり、まだ辺りが闇に包まれている間に目が覚める。
 その頬には、あの日と同じ涙がつたいながら。
 やるしかなかったし、やっていかなければならないことも重々分かってはいる。
 しかし、それが本当に良かったことだったのかは、答えが出たことはない。
 自分は言ってみれば殺人者と同じ。
 自らの手を汚して、果たして普通の生活を望むことは許されることなのだろうか。
 真夜の頭には、片時もこの思いが離れたことはなかった。
 それに、乙八がはたして本当に納得して、これでいいとして死んでいったのか真夜には分からない。
「また……」
 この夢を見て目覚めると、真夜は寝付くのに相当な時間がかかる。
 何か気晴らしになるものはと行った台所には、暖かい先客が待ち構えていた。
「母様……」
「今夜もまた起きてくるんじゃないかなと思って。浜雛はまひなも落ち着かないようだったし。スープ作っておいたわよ」
「ありがとう」
 先客とは、式師としての真夜を心配する母・果月と、常に果月に付けている真夜の小将・浜雛だった。
「真夜様のまた目覚める音が聞こえましたゆえ、果月様とお待ち申しておりました」
「母様にも浜雛にも、敵わないなぁ……」
 そう言って母が作っておいてくれたスープを、真夜は2杯も飲んだ。
 咲もいつも気付いていた。だが真夜が目覚めたあと、どうなるのかもいつも知っていたから、気付かないフリをして寝ている。



 本格的な夏の前触れを告げるような、降りしきる清音な雨。
 佐伯に通学路の途中まで迎えに来てもらった真夜と咲は、車を降りて一式家の門を通り過ぎると、玄関の軒下に番傘をさした少女を見つけた。
裟摩子さまこ!? 来てたの?」
「佐伯さんが、真夜ちゃん達を迎えに行く時に着いたの。だからここで」
「待っててくれたんだ」
 裟摩子は笑みながら傘を差し出した。
 彼女は、跡取りが長い間生まれずようやく二式夫婦が授かった、二式家の長女である。今年で齢十四、中学二年になったばかりだ。
 真夜と咲は、肩や鞄に付いた滴を払い、裟摩子を客間──といってもこういう『仕事』の場合のための部屋に待たせ、着替えるため自室へと入っていった。
 しばらくして、着替え終えた真夜が、裟摩子の向かい側に腰を下ろした。
 すると真夜の前に、朱印が施された誅書が差し出された。
「また、てこずったんだね」
「今回のは、私ではどうしても鎮められず」
くれさんからの?」
「いえ、是の方からの依頼です」
 その声は、とても苦しそうだった。
「またあれの? あ、私もこないだ引き受けて片付けたばかりなんだけど、朱印があるなんて言ってなくてさ。探すのにさえ2・3日かかっちゃった」
 裟摩子は俯くように頷いた。
「……まだ、慣れない? まあ尋常に考えて、慣れろってのが無理なんだけど、尋常な事情じゃないからね。私たちお互い。私ですらまだまだ慣れないっていうか、納得いかないところがあるのに」
運命さだめだから、仕方がない」
「その通り!」
「真夜ちゃんいつも同じことおっしゃってるから」
 俯きかげんが、少し、笑顔へと変わった。
「しょうがない。かわいい裟摩子の頼みだ」
 あぁ、と真夜は付け足した。
「それじゃあ裟摩子、立ち会いして見てない? 参考に」
 さらっと言い放っている言葉や声とは裏腹に、その眼は笑っていなかった。
 むしろ、厳しい目付きをして。



 夜の帳が降り、若く速い足音が、昼間の雨で濡れた土手沿いに川を下っていく。
 先には影が一つ。近付くにつれ、人型となった。
「我は一式の者なり。そなたを誅書受手により成敗致す」
「コンドハイッシキガデテキタカ」
「悪い?」
 裟摩子の言った通りだった。
 彼女は真夜に立ち会いを誘われたが、ある理由で来なかった。
 いや、来れなかったというのが正しい。
「あれはたぶん」
 影百護かげひゃくもりでしょう、と彼女は言った。
「影百護。3年前五家の新米5人がかりで、大きいのやっつけてから“本物”の姿が見えないから、てっきり絶滅危機迎えてくれたかと思ってた」
「ワレラハムジンゾウ。ニンゲンガイルカギリ」
 人型をしていたと思っていたが、今月明りに照らされた姿は、はっきりとした輪郭はそれにはない。
 そこから嫌なドス黒い臭気──気配といったらよいのか──を漂わせながら、背にあったはずの月を隠してしまった。
 けど、と真夜は笑っている。
「私が出て来たってのに、余裕かまさないでもらえる?」
 ざあっと手と思われるものが、もの凄い勢いで迫って来る。
 しかし真夜は、かまいたちのごとく軽々とそれを飛び越し、そのままその者の頭上高くへと上がった。
「あんまり調子に乗らないで」
 真夜の怒りにも似た声が響いた次の瞬間、その者の悲鳴とともにまるで、俄かに降った雨のようにぼたぼたと音を立てながら、残骸と血肉らしきものが散った。
 すとっ、と地に足を付けた真夜は、一つ息を吐いた。
「一発で仕留めるのに、こんなに疲れるなら、もっと何か聞き出してからにするんだった」
 零れた声には、苦さが紛れていた。
 飛散したはずのものはもうその土手にはない。

 その日、誅書には『星』の印が書き足された。
 星は影百護の本体、本星を意味した。


 
 

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