『式師戦記 真夜伝』

 
 第八話 感じた異変
  

  一式家のある速見灘と、四式家のある道坂との中間にある佐々宜《ささぎ]公園の時計が、夜の九時を指している。
 遠くには中央街の騒音が微かに響いて聞こえてくる。
 しかし、猫の子一匹いなくなり妙に静まりかえっている公園に、一つの人の影があった。
 その向こうからまた一人走って現れた。
「おっそい玲祈! 八時半て言ったじゃない!」
「はぁっ……ったって……今、はー……一匹倒したんだよ……そこで」
 息を切らした玲祈のは途切れ途切れにそこまで話した。
「え──」
「はぁ……っ疲れた〜……獣《ケモノだ……牙むきやがって」
「って、手噛まれてるじゃない! ちょっと見せなさい」
「いいって」
「よくない!」
 玲祈は左腕を押さえていた。
 出血しているのをみとめて、真夜は即座に腕を取り上げ、ハンカチできつく縛り上げた。
「まったくドジ! 一応プロなんだからね! 情けないったらないわよ。深く噛まれてはないからよかったけど」
「……」
 暗い中、反応が返って来ない。
「玲祈?」
 誅書の式行はひとまず中止し、四式から暁哉が呼ばれた。
 ほどなくして迎えの車が佐々宜の公園脇につけられた。
 車から降りた青年はものすごい勢いで二人のもとに駆け寄って来た。
「玲祈様! それに一式の……すみません」
「暁哉! いいの。大したことないみたいだけど今日は中止よ」
「……」
「玲祈様、またご迷惑をおかけして……玲祈様?」
「さっきからこんな調子なの。気を失ったのかと思ってビックリしたけど、そうじゃないみたいだし。とにかく今日は解散! しっかり治すのよ。ハンカチは返さなくていいから」
 またね、と真夜は歩き出したが、それでも反応はなく、家に着いてもずっと気になっていた。
「一式のお嬢様がお声を掛けても反応なさらないと思ったら、そんなに嬉しかったんですか? その腕」
「……」
 問い掛けられた者は、まだ照れて赤いままになっている。
 あんなに真剣に迷いもなく腕のケガを心配してくれた。手当てもしてくれた。
 それで「ありがとう」の一つもない自分を、今更ながら玲祈は反省していた。

「ただいま」
「お帰り〜。仂とトランプやってたんだ。早かったね意外に」
 部屋に入ると、布団に寝そべってトランプのカードを手に持つ咲と仂が目に入った。
「玲祈が私と落ち合う前に一匹見つけて。うまくやったみたいだけど、噛まれてケガしたから今日は中止。暁哉に預けて帰ってきた」
「中止……ふ〜ん。ケガって大丈夫だったの?『噛まれた』ってことは獣系よね」
「うん。犬に噛まれた感じ……依頼意外に現れたやつだった。玲祈はケガしたけど、倒せなかったわけじゃない。むしろ玲祈がドジっただけよ」
「やっぱり何かありそ?」
「分かんない」


 まったく何よこの数。一気に3匹?冗談。
「あいつ、最近影《カゲ]系が強いようなこと言ってなかったけ。こいつら形《カタ]と獣《ケモノ]じゃない。しかも絶対朱印付き」
 真夜は学校帰り、一人でこの前玲祈が襲われた場所へと行ってみようとして、偶然『それ』を見つけた。
 だが追いかけた末、他に二つも現れて来たのだ。
 倉庫街の狭間、とりあえず人気のないところまで引っ張っては来たものの苦戦していた。
「……なぁ〜んでこんなに出て来るかな。あんたたち一体なんなのよ」
「≒£★⊆♀⌒¥〓%π♯√ゑヱ」
「は?」
「……レラ……モ……リ」
「何言ってんだか分からないって言ってるでしょ!」
 まず形の一匹に真夜は集中しようとした。
 獣は形よりすばしっこく、少し時間をくうためだ。
 後ろに回り込もうとかすめた瞬間、やっとやつらが何を言っているかを解することが出来た
──ワレラシキノモノメッスルナリ。
 意図して式家、あるいは式師を狙っているもの。
 こんな相手は、三年前の最後に倒したものしか見たことがない。
 誰かに吹き込まれたか……仕掛けられて来たものか。
「あーっもう! 玲祈の次は私?! って……ホントすばしっこいわね」
 三匹のうち一匹が獣。
 それが回り込んだ真夜の、さらに後ろに回り込んだ。
 次いで形《カタ]の残りもこちらを向く。
 この数で一気にでは瑠璃玉にあまりにも負担がかかりすぎる。絶対に割れる。
 瑠璃玉に負担がかかる、すなわち自分にかかる負荷が大きくなるのだ。
──ワレラシキノモノメッスルナリ シキノモノハメッスルベシ メッスルベシ。
「殺せるわけないでしょ。相手は私なんだから」
 しかし表情に余裕はない。
 形をどっちかだけでもやれれば楽になる。
 真夜は右手拳を額に当て、それに垂直になるように、何か形作られた左手を置いた。
 『封じ』の姿勢。
「一式が一星。お前を封じる」
 両手は払うように離され、威圧の様なものが形の一つを縛った。まるでそこだけがビデオの静止状態となっているかのように。
 とっさに獣が飛び掛かって来る。
「あんたは最後よ!」
 紙一重でかわし、そこから形のもう一方の前へ出る。
──ワレラシキノモノメッスルナリ。
「うるさい! 取り憑かなきゃ第一手が遅いじゃない。形は人に入らなければ、速さは格以下眼中外。それくらい分かってんだから」
 それにしてもおかし過ぎる。
 今は普通に聞こえてはいるが、影の声が最初何を言っているのか分からなかった。
 だんだん頭の中でそれが透明化してきて、初めて分かった。
 一体どうなって……。
 そんなことが駆け巡り、動きが一歩遅れた。
 その期を逃すまいと、獣の牙が真夜めがけ向かって来る。
「それでも一式の姫か」
 なに、と振り返る間もなく目の前を覆い隠したものがあった。
 よく見ると、どこか見たことのある背中が、そこにあった。


 
 

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