『式師戦記 真夜伝』

 
 第十一話 人?影?
  

 山奥の朝は早い。
 翌朝の朝靄の中、仁はバンダナに長い髪をしまいながら工房に入って行った。
 陽もかなり昇りかけた頃、母屋では縁側廊下を雨戸を開けながら奥の部屋に向かう足音があった。
「真夜様! 朝ですから起きてください!」
 昨日咲とともに合流した佐伯が、いつも通り真夜を起こしに来たのだ。
 3回程ノックすると、障子が開いた。
 出て来たのは着替えを済ませた咲だった。
「おはようございます」
「咲さん。真夜様は……」
「私が起きたらもういなかったんです」
「お珍しい……」
「ホント」
 二人とも腕を組んでうなった。
「小春。顔洗うから、ちょっとおとなしくしててね」
 母屋の土間でワンと一鳴きして、小春は行儀よく真夜の脇に座った。
「珍しく早起きだね」
 泡だらけの顔のままの真夜の背後から、仁が声を掛けた。
「だって、めちゃくちゃ起こされたんだもん」
「よっぽど真夜に散歩に連れてってもらいたかったんだな」
「起こしたのはバカの方だけど」
 『バカ』と呼ばれた本人にも、その会話は届いていた。
「なんで俺がバカなんだよぉ」
 仂が大声を出しながら現れた。
「あ・の・ね。足の裏くすぐったり耳のそばで大声出したり、ほっぺた思いっきりつねったり、どこにとっかえひっかえあの手この手で人を早朝に起こす奴がいるのよ。だからバカだって言うの」
「だってぇ、小春がどうしてもって頼むから!」
 笑いを堪えつつ、仁はそこに悪びれなく座っている犬を見下ろした。
「仂に頼んだのか」
 小春は嬉しそうに今度は二つワンと鳴いた。
 次の一瞬、突然透き通るような研ぎ澄まされた音が響いた。
 音なき音。それは耳より直接脳に響いている、と言ったようだ。
「これは──」
「響糸」
「仂!」
 返事する間もなく、すかさず外に飛び出して行った仂と入れ違いに、佐伯と咲が慌てて土間に入って来た。
「真夜! さっきの!」
「仂に今行ってもらったんだけど……。卯木!」
「はい」
 卯木は真夜と一番繋がりが深い、ゆえに見たもの聞いたものの伝達が瞬時に出来る。
 仂と同じように、卯木もすかさず土間を飛び出して行った。
「門の辺りかな。響糸は、影百護一門が触れると鳴るようになっている。それに、入っても来れない」
「行ってみる。咲と佐伯は小春と待ってて。仁ちゃんと見て来るから」
「分かった」

 すぐ二人も追って母屋を出て、斜面に作られた階段を下って行った。
──真夜様。
「卯木?」
──いたのは普通の人間でした。かなりお年を召し様子の。影の気配は今のところありません。
 その時、ちょうど仂が戻って来たが、仂の報告は、卯木の話しを確証づけただけだった。
「ここに式関係以外で出入りする人っているの? しかもお年寄り」
「たぶん、誰だか分かったよ」
 門のところまで降りて来ると、確かに一人の老人が立っていた。
「こんにちは、篠川さん」
「いやぁまぁた野菜取って来たんでな。妹さんかい?」
「いえ、親戚の子で。夏休みなんで泊まりに来たんです」
 言われて真夜は会釈した。
 『妹』と間違われたことで、少し顔が緊張したようだ。
 やや頭ごと目線を下げたあと、ちらりと目だけを上に戻したが、確かに普通の人間だった。
 そのことに逆にもっと首を傾げた。
 響糸には、影百護の手の者しか反応しない。
 ましてやただの人が触れても鳴りもしない。
「いつもありがとうございます」
「いんや、お互いさまじゃて。それじゃこれで」
「階段、気をつけて下さいね」
「はいよー」
 穏やかな笑顔のまま、老人は帰っていった。
「卯木。念のためあとをついてって」
 傍らに浮かぶ彼女に、振り返らないまま指令を下した。
 見送ったあと、真夜はそれとは分からないくらい小さな溜め息を吐いたが、気付いた者がいた。
「気抜けした?」
「心配が消えないだけ」


 篠川という老人を、卯木はぴたりとあとをつける。
 昨日から張り込んでいた銘景は、まだ気配を消したまま上空からさらにそのあとを追っていた。
 5分程東に来た辺り、入口にちょっとした鳥居のある林の前で、卯木が動きを止めるのをみとめた。
 視線の先、林の奥に目を移すと、これまた小さい祠が見えた。
 その周りの空気は、不可思議な気を交えながらドドメ色に渦巻いている。
 卯木が戻って行くのを見て、その場──今まさに浮かんでいる空のそこから、一気に祠めがけて下降した。
 降りていき林の先端に着くか否かのところで、体を翻しまた上昇し始めた。


 
 

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