『式師戦記 真夜伝』
第十四話 予想外の影
影は喋り続けていた。
「$&◆〓∠……∞%Ё……※」
「だから何言ってるかわっかんねぇ、よっ!」
玲祈は息つく間も無く、伸びて来る無数の手から逃れていた。
風を切る音が林の中を支配している。
「一体……だよな、これ」
「気配からしても一つですな」
玲祈の脇に八ツ森と洲播が戻って来た。
「お一人では無茶かと」
「八ツ森がもうちょっと頑張れば?」
洲播が茶茶を入れる。
「洲播、そう言ってやんなって。お前にももう少し力やるから」
「玲祈様。速攻は」
「やる暇ないだろ、これじゃ」
八ツ森と洲播が引きつけようと、玲祈に向かう手の数は一向に減らない。
もはや小将ですら避けるのに精一杯になっている。
「くそ。真夜に顔向けできないな」
「玲祈様! 上を!」
「っ……!」
周りを飛び交う手に気を取られ、上からの本体の攻撃に反応出来なかった。
「……祈ー! 玲祈ー!」
気がつくと耳に、遠くから真夜の声が聞こえていた。
だが真夜の姿は、彼の眼下に見えていた。
真夜が玲祈の姿を見つけるまで、林の中に広がった影の手は伸びてはこなかった。
彼の姿はすでに、影の体内にある。
「玲祈! なにやってんのよバカ!」
「真夜様!」
免れた八ツ森が、近くへと飛んで来る。
「八ツ森、アイツなにやってんのよ!」
「〒Å……§◎」
「え……? コイツも……なの?」
「後ろから来ます!」
「分かってるわよ」
言うと同時に、真夜は飛び上がり、宙返りして影の後ろに降りた。
「★≧∩⇔∽」
影は再び手を、今度は真夜に向けて伸ばし始めた。
「いい加減に……しなさい!」
駿足で影本体の間合い内まで行き、玲祈を避けて手で一気に幾箇所も貫いた。
と言っても、影型に直接攻撃は雲を掴むようなもの。それだけで玲祈を影から出せるはずはない。
「う〜っ、もうあったまにきた! 仂! アレやってて」
「アレって、負担大きいんじゃ──」
「いいわよそんなこと」
真夜は完全にどこかの糸が切れていた。
以前鎮破が鎖景にやらせていたように、真夜から送られる力を、仂が光の帯のように影に巻きつけていく。
それこそ限り無く、無数に迫り来る影の手をがんじがらめにし、時間を稼ぐためだ。
「玲祈、聞こえてるの?!」
口は閉ざされたままだったが、微かに顔の表情が動いた──ように見られた。
それを返事と受け止めた真夜は、封じの構えに出る。
しかし、それ以上玲祈は微動だにしなかった。
玲祈の耳にははっきり真夜の声が聞こえていて、目はしっかり真夜の姿を映していた。
けれど、玲祈自身の意識が、どこに行っていようかは別の話だった。
「……℃∀&‰……」
キレた真夜にも、その言葉ははっきりと聞こえた。
─―シキノモノメッスルベシ。
「誰に仕込まれたか知らないけど、玲祈を放せ!」
一足飛びで影の懐へと飛び込み、玲祈の腕を掴んだ。
絡み付いた状態の影から、力のいっぱい彼を引き抜き、その反動で真夜は玲祈を抱き抱えたように背中から地面に叩きつけられた。
すぐに小将達が守るように二人に背を向けて囲む。
真夜はどうにか起き上がるはしたものの、玲祈の方は動く様子がない。
「こんの、バカ玲祈!」
平手で頬を打つがそれでも意識は戻って来る気配がない。
「玲祈っ」
焦りと、不安が、真夜の心に広がり始める。
真夜は分からなかった。
影に包み込まれるということが、何をもたらすのか。
獣は牙をむく。人形は素手で攻撃して来る。だから外見上、それなりの負傷の仕方をする。
だが影型に実際取り込まれるとどうなるのかは、明確なものがなかった。
先人達の口伝いも様々で、程度の差も甚だしい。
前例を上げれば、体力を抜き取られ心的にめちゃくちゃにかき回されるケース、気を狂わすほどの苦痛あるいは傷を刻まれるなどで、攻撃と被害のパターンは一貫してはいない。
分かっていることは、影の体が揺らぎ始めた直後攻撃に移るというものだけである。
「くっ……八ツ森! 洲播! 玲祈をお願い。卯木と仂はアレ続けて!」
「しかし、お体が」
「いいから!」
「けれど……それに真夜様は」
「私じゃ玲祈を抱えて逃げられない。逆に影を玲祈から引き離して、ケリをつけるわ」
そんな、と玲祈の苦戦ぶりを見ていた八ツ森や洲播はもとより、今の真夜の体力状態が分かる卯木・仂も、皆現状では無茶だと反対の声を上げた。
が、止める間もなく、真夜は疾走していった。
出せる限りの脚力で、山の奥の方へと駆けて来たが、それでもなお真夜を追う影の手は、間近に迫って来ていた。
予想より影の動きが速い。
旧道の山道を抜けて来たばかりの車に、鎮破が乗っている他、免許取りたてホヤホヤで今回の運転手を買って出た、鎮破の祓師である川間辰朗と、助手席の六奉鶴史、そして鎮破の隣りにもう一人、中学生の少女が乗っていた。
「辰朗。止めろ」
ブレーキをいっぱいに踏みこまれたその車は、つんのめるようにしてすぐ様走りを止めた。
運転手はヒクヒクとした笑みで後ろを振り向いた。
「“止めろ”って急に言うなよ」
「いる」
そこはあの祠を抱いた林の前だ。
まず鎮破と鶴史の二人が降りて来た。
「少し移動したな」
「あいつらも動いてますね。気を感じる」
少し遅れて出て来た少女は、五式家につく、十奉の十五になる千冬だった。
「あのお二人のこと、無茶をされてないといいですが」
「真夜は瑠璃玉があるかどうかも分からない。辰朗は先に、守房へ行っていてくれ」
守房とは、仁のいるあの家のことを言う。
守名は古い玉匠の系統で、山奥を好み己が工房を建てるゆえ、守名の房を“守房”と称される。
凄まじい気を孕んだまなざしで林のその先を見据えていた鎮破は、音もなく奥へと駆け出していった。
続いて鶴史・千冬も追って駆けていく。
辰朗が車から降りる頃には、三人の姿はすでに、木々の影に隠されてしまっていた。
先を行く鎮破は祠の所まで来て足を止めた。
追いついた二人が見た鎮破の視線の先、祠の神前には、凍て付くような空気を纏う鈍色の玉があった。
鶴史がそっと玉に手を翳す。
「冷えきってる」
「よほどの兇が」
千冬が怪訝そうに玉を睨む。
「銘景」
二秒もない間に、ずっとこちらの様子を見届けていた銘景が飛んで来た。
「様子は」
「それが──」
銘景の報告を聞くや否や、三人はまだ意識の戻らない玲祈のもとへと急いだ。
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