『式師戦記 真夜伝』

 
 第十六話 夢幻からの帰還
  

 複雑な気持ちを再現しながら、いつの間にか真夜は暗闇に浮かんでいた。
 今でもはっきり焼き付いている、佐伯乙八の最期の顔……。
 そんなことを虚ろに考えていた。
 だがその様はおかしかった。
 頭の中に、と思っていたが、見つめている闇にその顔は浮かんでいた。
 見紛うことのない、乙八あの最期の顔だけがそこにはあった。
「……うそっ」
 真夜は驚愕した。
 否、あまりの不可解な現実に、恐怖以上の何かとてつもない恐ろしさを感じた。
 それはまさに少し離れてぽっかりと暗闇に浮かんでいたが、真夜の体は極端に強張った。
 近付いて来ている。
 距離感が掴みにくい暗闇と言う条件に恐怖感が加わって、顔が近付いて来ていることに気付かなかった。
 懐かしい顔、恋しかった顔。
 半分親代わり祖父代わりで家族同然だった人間の、最期の顔。
 しかも自分の手で殺した者の顔。
 加えてこの不可解過ぎた状況は、真夜の全てを凍て付かせようとした。
 真夜は次の変化に気がついた。
 なにやら沸騰し出した水のように、何かが暗闇の表側へと出て来るのが見て取れた。
 水の表面に浮いて来た泡のように沸いて出たモノに、さらに真夜は驚愕するしかなかった。
 次から次へ、だんだん間がないくらいにそれは沸き上がって来た。
「っ……やっ」
 やめて。そう叫びたい衝動が、真夜の背筋を一気に突き抜けた。
 それは全て、誅書や結書により自が手にかけてきた人間の顔だった。
 顔だけが、コポコポと浮かび上がってはすうっと、だがじりじりと近寄って来る。
 目は眠っているごとく閉じられているも、死者の顔は何か独特の異臭ともいうべき空気を放っていた。
 もはや声も出ない金縛り状態ながら、体中がカクカクと音を立てて震えている。
 眼をつむりたくとも、手で振り払いたくともなにもかもが凍て付き、真夜は自分の意識さえ見失っていた。

 あぁぁぁ───……!
 叫びと同時に起こされて硬直している体とは反対に、止まることを知らないように震える手を、暖かな温もりが強く包み込み揺さぶった。
「……夜! 真夜!」
 聞き慣れた声と暖かみに、真夜の意識は徐々に引き戻されて行く。
「真夜」
「ぁ……さ、き?」
「良かった。みんな、真夜が起きた」
 わらわらと面々が隔てる襖を開けて部屋に入って来る。
「真夜様、お加減は」
 佐伯が襖を壊しそうなくらいの勢いで側へと駆け寄った。
 その後ろは仁の他に、ここにいるはずのない顔が四つ、真夜の目に止まった。
「しず、は……たず……し? に、……ちふゆ……」
 ツカツカと鎮破、そして鶴史も側に歩み寄る。
「だから六奉にはちゃんと知らせろっていつも言って──」
 言ったが先か音が先か、鎮破の手がパンッといって真夜の頬を打った。
 部屋にいた者もさることながら、一番驚いて呆然としているのは打たれた本人だった。
「一式や四式は無茶ばかり」
「千冬」
 鬼の首を取ったようだった千冬は、鎮破の言葉にビクッと縮こまってしまった。
 何事もなげに鎮破は部屋を出て行くが、走ってきた擦れ違いざまに縁側で誰かがおおげさに転んだのが障子に映った。
 あっけにとられていたところから我を取り戻して佐伯が開けると、そこには寝間着のままの玲祈が倒れていた。
「玲祈くん?」
「あてて……なんだ鎮破は、あんなおっかない顔して。あ、佐伯さん、真夜が起きたっていうから」
「れ……いき……」
「んあ!? どーしたんだよほっぺた!」
 真夜を見るなり、手に包まれて赤くなっている左頬に気付いた。
 とたん見る間なく駆け寄って来たが、ガツンと頭を殴られる。
「あんた何そんな格好で人が寝てるとこに来るのよ! ……ってアレ?」
 頭をさする玲祈を見ながら、真夜の眼はパチクリと瞬いた。
 そして周りをゆっくり見渡して、自分の手に目をやった。
「いつのまに……アレ? 私どうしたんだっけ?」
 完全に意識を戻した真夜は少し考えた後、ハッとまた玲祈の方に目を向けた。
「玲祈、あんた大丈夫なの?」
「なんだよ、自分で殴ってから」
「そうじゃなくって、あんた影に取り込まれてずっと意識が戻って来ないでいたじゃない」
 今度は脇から盛大で少し長めの溜め息が聞こえてきた。
「真夜様は、それを言えるお立場ではないですよ」
「真夜だって影に食われたんじゃねぇかよ」
 言われてよくよく、記憶を思いあぐねてみた。玲祈が倒れていたのは思い出せる。
 そのあとは、影を引きつけるために山の奥の方に走っていって……。
 気付くと畳みに両手をついた姿になって、ぜえぜえと荒い息をしていた。
「れ……き。あんた影に何を見せられたの!?」
「あ……っ、真夜も見せられたのか?」


 落ち着いて来た真夜に、玲祈は話話を始めた。
「俺の場合、うちの親父のこと持ち出してきやがんの。まったく何がしたいんだあの野郎は。だいたいもう10年くらい前のことだし、俺もあんま覚えてなかったんだけど、あん時そのまんまの光景がはっきり目の前にあった。真夜に初めて会ったのもそこらへんなんだよな」
「それだけだったの?」
 真夜は急いたように問い詰めた。
 しかし玲祈はあっけらかんとしている。
「それだけだって。真夜は? 何見せられたんだよ」
 自然の流れで問い返されたものの、少しの間真夜は躊躇し、佐伯の顔を振り返った。
 どことなく生き写しになって来た佐伯は、振り返られて、なんですかとばかりにハテナを浮かべていた。
「私の場合は、……爺やが出てきたわ」
 仁と千冬以外は、その言葉の意味を解し驚いた。
 少なからずは焦りもあったのではないだろうか。佐伯は無意識に真夜に尋ねていた。
「父が……ですか?」
「そう。……最初に目をあけた時、いつもの夢だと思った。佐伯には言ってなかったけど、私はずっと12年前のあの日の夢を見てたの。だから、またいつもと同じ、夢を見ているだけだと思ってた。けどそのあと今度は私は暗闇の中に浮かんでた。気付くとね、少し離れたところに、爺やの最期の顔だけが、ぽっかり浮かんでた。頭の中にだと思ってたんだけど、確かに目の前にあって、だんだん爺やのあの顔が近付いてきたの」
 俯くように頭を下げ、そのまま次の言葉が出て来ないことに、千冬の他は心配した。
 また何か具合でも悪くなったのかと様子を伺っていたが、佐伯は別な意味でも心配していた。
 しばらくして大きく溜め息をついてから、真夜はいつになくキッとした顔を上げた。
「爺やの顔の他にも、誅書や結書で私が殺した人達の顔が、沸いたお湯の泡みたいにぽこぽこ浮かび上がって出て来たわ」
「影が……そんなものを見せたのか?」
 黙って聞いていた玲祈も、口に出さずにはいられなかった。
 しかしそれは真夜を逆撫でしたようだった。
「そうよ。アイツは私にそんなものを見せたのよ。いつもだって忘れることすらできない、この手にかけてきた人たちの顔をわざわざ。しかも顔だけよ、顔だけ──っ、ごめん、佐伯……」
 面々の顔を見渡して喋っていて、ちょうど佐伯誠人の顔を見た時、真夜に再び罪悪感が襲った。
 彼の心配そうにしているだけの表情が、逆に真夜にはもっと乙八を思い出させた。
「真夜……」
 また俯いた真夜に咲はそれ以上、何もかけてやれる言葉がなかった。
 すると真夜を抱きよせて頭を撫でる者がいた。腕の中から顔を上げた真夜の瞳に映ったものは、佐伯の暖かなまなざしだった。
「父は、真夜様を責めるなんてことはしません。もちろん私もです。恨んでもいません。父が自分で望んだことなのですから、私はあの時から何も気にしてません。だからお嬢様も気を咎めないでいいんですよ」
 他の誰もが気付いてはいたが、真夜は佐伯の胸で涙を流していた。
 佐伯も、それを隠していた人一倍弱いところを見せたくない性格を百も承知の世話役は、やはりこの佐伯誠人という人間だからこそ、真夜を支えている人物の一人となっているのだ。
「佐伯ったら、爺やそっくりになってきたみたい……」
 さすが、と咲は思った。
 泣いたカラスがもう笑ったとばかりに、そんな言い方が出来るくらいのいつもの真夜を取り戻させた佐伯は、やはり世話役としてはさすがだと。
 一方の玲祈は、今頃ようやく自分が慰めてポイント稼げるチャンスだったことに思い至ったらしく、一人頭の中で落ち込んでいた。
 千冬は居にくくなったらしく、いつの間にやらいなくなっていて、鶴史もなだめるように一緒に部屋を出たらしい。
 その場にいないように気配をすっかり消していた仁だけが、難しい顔をしていた。


 
 

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