『式師戦記 真夜伝』
第十七話 小休止
「そういえば、アイツはどーなったのよ」
「アイツ……って影のことか。なら──」
「私がお話しします」
真夜も玲祈も、もちろんその他の者もゆっくり首を回して声の方を向いた。
「銘景? どしたの、そんな改まって座っちゃって」
「その前に私め、一式の真夜様に、先に謝っておかねばならないことがございます」
「なにをよ?」
真夜はキョトンと目を丸くしていた。
「実は先日、真夜様の影との戦いに鎮破様が介入した折、真夜様のご様子に、お屋敷にて鎮破様は少し悩んでおいででした。何か変わったことはないかと、鎖景を他の式家に使いにお出しになり、そして私めを真夜様のご様子伺いに遣わされました」
「それ、本当なの?」
「はい。どなた様にも悟られぬよう、慎重に気配を消して拝見致しておりましたゆえ、お気付きになった方はいらっしゃらないはずですが。あの篠川というご老人がこちらに訪れた際、わたくしは卯木の後をつけました。そして例の祠の林を見てすぐに一度は鎮破様のもとへ戻り、ご報告申し上げ再びこちらに。……影が現れた時点で、鎮破様に念を飛ばしてお知らせしたのですが間に合わず。一連の御無礼、お許し下さい」
銘景は小さな体をきちんと座らせ、三指で頭を下げた。
「別に気にしてないから、銘景も気にしなくていいよ。だいたい鎮破がやらせたんでしょ? それより影がどうなったかを聞きたいのよ」
「はい」
銘景は下げていた頭を上げ、姿勢を正し直し、さらに話を続けた。
「倒れられた玲祈様を見つけ、それをお二方の小将たちにまかせた鎮破様方共々私めは、真夜様と影を追いました」
玲祈も真夜も、目覚めてから鎮破以下がいるのを見て、彼らが影をどうにかしたのだと考えていた。
だがその考えは、銘景の話によって崩れた。
「真夜様、影と追いついた時には、すでに真夜様は影に完全に取り込まれた形のお姿をしていらっしゃいました。なので、鎮破様と奉家のお二方は影を取り囲み、“巴陣”を試みられようとなされました時、影が内側からの崩壊が起こしました」
「崩壊……? 内側から、って……」
「お前がやったんだ。おそらく、無意識に」
声とともに、何かが真夜の顔にベチッと当たった。それは冷たい水で絞ったタオルだった。
なんだと思いながら顔から落ちたタオルをつまんで、投げられた方に視線を上げると、縁側の障子戸を開けて部屋へと鎮破が入って来る。
その後ろには、玲祈を探してここまで来たらしい暁哉の姿も見えていた。
「げっ……あ、暁哉」
お目付け役の怒りあらわな姿を見てうろたえる玲祈はさておき、タオルをぶつけられた真夜は鼻を押さえていた。
「ひゃひしゅんひょひょ、しじゅひゃ」
「銘景はさがって良い」
「御意」
銘景は頭を下げながら姿を薄めて消えていった。
「兇はどうなんだ」
「……」
だいたいの視線が祓師の咲へと向けられたが、咲は目を閉じて口を噤んでいた。
「咲?」
「あの影は、幾刻か前までいた場所の付近を通った者にまでさえ気配を染み付かせ、仮にも式家の式師二人までもを苦戦させたあげく取り込むほどのものだった。それなりの兇にはなるはずだ。ましてや人についた場合の“殺傷”、“滅”ではなかったにせよ、それほどの影を内部から崩壊させたのは事実だ」
いつもよりも格段鋭い目付きで鎮破は真夜を振り返った。
「俺自身がそれを見たのだからな」
だが真夜は意外にも、普通に視線を返した。
「こちらは危惧していたまではいかない程度でしたが、……やはりこちらにいたんですね、玲祈様」
暁哉は言い終えると、鎮破の後ろからなんとも恨めしからぬ顔で、玲祈のもとへとすごんでいった。
「玲祈様はちょっと目を離した隙にでも」
言いかけて顎に手を掛け、少しの間何かを考え込んでからまた口を開いた。
「確か、目覚めてから玲祈様は、“甲遁”を使ったと言っていましたね?」
「言った」
「一式の、真夜様が影と対峙した際には? 甲遁の亀甲はありましたか?」
「……なかった、と思う」
「みなさんもご承知の通り、四式家の源は忍びの流れをもっているので、甲遁のような“遁”と呼ばれる術を幾つか持っておられますが、甲遁による亀甲はいわばこちら側の盾。けして影を抑え込む鎖の役目を担ったものではないのです」
皆が黙って話を聴く中、つまり、と鎮破がそのあとの言葉を引き継いだ。
「つまり玲祈の兇がその程度だったのは、玲祈が甲遁の亀甲とともに取り込まれ、取り込まれてなお玲祈の兇からの侵入の盾となっていたからではないか、ということか?」
「えぇ、そうです」
鎮破は目を閉じていたが、他の者の目は再び咲へと向けられた。
「咲……私にかかっている兇は──」
「しばらく、式師としての仕事は、やらない方がいい……真夜」
咲は真夜の顔を見なかった。
真夜は何かを言いかけたが、すぐに開いた口を閉じてしまった。
玲祈と佐伯が真夜と咲を交互に見ていたが、それ以上のやり取りがなされることはなかった。
「よっ! あ〜きや!」
「辰朗」
この二人、川間辰朗と川間暁哉は親がいとこ同士という、川間一族の近しい親戚の間柄だった。
「戌圭の大叔父貴は元気?」
「あぁ。相変わらず隠居の身を満喫して退屈がってるよ」
「呑気なもんだぜ、叔父貴も。……ホントに四式のぼっちゃんは大丈夫なのかよ。鎮破の見立て通り、一式のお嬢ちゃんはしばらく無理なんだろ?」
辰朗が荷物を背負って仁の家の土間に入って来たところで、ちょうど暁哉も土間に降りてこようかというタイミングで二人は鉢合わせたのだが、それからそのまま座敷の際にならんで腰を掛けて話し込んだ。
「こっちが、予想してたより極最小限の兇で済んだのは本当だ。取り込まれたと聞いた時は、最悪の2・3歩手前までは覚悟したけど」
「しっかし俺らの代で、影を内部崩壊させる人物が出るとは思わなかったなぁ」
辰朗は組んだ手にあごを置いて、そのまま腕が膝につくまで前屈みになった。
自分で言っていることに、まだ信じ切れていないといった、些か惚けた表情を浮かべている。
「お前にしては珍しく衝撃的だったみたいだな。ネアカなお前にショックを与えることの出来るものがあるなんて」
「暁哉。それは俺に対するイヤミか?」
「イヤミ以外に何があるんだ?」
ほんの一呼吸の沈黙のあと、どちらともなく笑いを吹き出した。
お互い式家の式師に付いていることから、顔もしばしば今回のように鉢合わすことが少なくない。
顔を合わせては、手が空いているとこうして話をする。
川間戌圭の末息子と、その又従兄で兄弟のいない辰朗は、年は一つ違いで兄弟のように育った時期もあった。
なんとも兄弟のようで親友のような、それでいて案外醒めたところのあるその仲を表すには、いわば同志という言葉がふさわしい。
「……玲祈様は御自身が大事ないとしても、真夜様があぁなっては、何をしだすか分からない」
「こっちだって、あの堅物の保護者ぶりが何しだすか分かったもんじゃないさ。堅物な上に素直じゃないし、それにバカに一人で無茶するヤツだし」
「鎮破様は、冷静沈着で何も心配のない方じゃないか」
「冷静沈着……ねぇ。アイツがここに来る間、いんやその前から最近、どんな目つきしてたと思うよ? もう修羅も鬼もいいとこ」
こんなこんな、と本人なりにその目を再現してみせていた時、仁が土間にやってきた。
「なんだ、こんなところにいたの?」
「すみません。とんだ大勢になってしまって」
「いや、ここがこんなに大所帯になるなんて珍しいから楽しいよ。あ、二人とも手を貸してもらえない?」
仁は二人にニッコリと笑顔を見せた。そのあまりにもさわやか過ぎる笑顔を。
真夜と玲祈が鎮破達によって担ぎ込まれて帰って来たのは、日の出の頃、そして目覚めたのがお昼をとうに過ぎていた。
すでにまたそこから幾刻か経ち、東の空には再び月が昇り始め、天上は太陽の最後の光が夜の帳を誘っている。
真夜が眠るのを見守って、佐伯が囲炉裏のある土間隣りの座敷の部屋に顔を出した。
真夜と咲の他は、皆全員そこで夕食を食べるべく、囲炉裏端に集まっていた。
総勢8人と1匹の夕食である。
「真夜と咲は?」
「真夜様がおやすみになられたので、咲さんが見ておいでです」
土間では小春もごちそうにありついている。
「囲炉裏の火があっちぃ」
「少しは我慢して下さい、玲祈様」
「なんだよ暁哉は涼しい顔しやがって」
川魚を焼くために囲炉裏には火が入っていた。
「大所帯になっちゃったから、食材足りないと思って、暁哉くんと辰朗くんに下の川で釣って来てもらったんだよ。でこっちは、その間に裏山で取って来た山菜の、お浸しと冷製茶碗蒸し」
「探してもいないと思ったら釣りに行ってたのか。俺も連れてってくれれば良かったのに」
「玲祈様は寝ていて当然のお体なんですから、連れて行ける道理がありますか」
聞いていた千冬が、湯飲みをすすってちらりとそちらを見ていた。
「四式も一式も相変わらず無茶なさるからこうなるんですわ」
「なんだと千冬!」
「やめろよ千冬は。お前はそういう言い方ばっかなんだから」
千冬に向かって玲祈がケンカごしになりそうになったのを、見かねた鶴史が千冬を諫めた。
反論出来ずに千冬は鎮破に視線を送ったが、相手はただ普通に食卓の箸を進ませているだけだった。
五式鎮破独特の、その威圧を含んだ重厚なる空気を纏いながら。
「仁さん、まだまだおかわりしていいですか?」
その横でおかまいなしにヘラヘラしてる者も一匹いた。
「あぁいいよ。真夜と咲ちゃんにはあとで別に作るから、その時はまた手伝ってもらえれば」
「へーい」
「お前は遠慮がないな」
「お前はムッツリし過ぎだ鎮破、ハゲるぞ」
返答はない。
ガツガツ魚を食べつつ隣りの顔を伺って見るが、一向に表情の緩みが訪れる気配は無かった。
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