『式師戦記 真夜伝』

 
 第十九話 揺るぎない眼光
  

 銘景を二式へ遣いに出した鎮破は、屋敷へと戻らず自ら直接三式を訪れていた。
「それで、真夜と玲祈は?」
「二人とも、幸い外傷や体が起こせないというようなことはないようです。ただ玲祈は四式の技でなんとか兇の被りが軽かったものの、真夜は三枝の祓い師から式行をしばらく休めと」
「そう……守名の工房にまで行くなんて。こちらでも動きがあったわ。昨日突然二つほど誅書の依頼が来たの。どちらも形の憑依らしいけど、あまりにも急過ぎるのよ。それに聞いていた通り、例の影を私も見たわ、つい2日前に」
 棗は疲れたように溜め息をついた。
「片方は俺が行きます」
「緯仰く……円茶亀から一番妖しい件の情報をもらったんじゃなかったの?」
「そっちの件は、手掛かりが少し途絶えてしまっているので」
「それじゃあ、任せるわね」
 いつも三式を訪れると、現代の式師同士の接触であまり騒ぎにならないようにか、鎮破は私室に通された。
 棗はイスに座ったまま机の引き出しから誅書を取り出し、机隣りのソファに座る鎮破に手渡した。
「全会を開くことになるわよね。また三式で準備しておけばいいかしら」
「いえ、先程一式の御前から連絡があって全てあちらで手配すると。全家の先代も召集して行うそうなので、後でそれなりの使いが出されると思います」
「やはりね。そうなるとは思っていたのだけど……」
 鎮破は出されたアイスコーヒーのコップを持ったまま、水面に浮かぶ自分の顔を、その目を通り越してその先を見ていた。
 疑問を抱いてすぐさま真夜には銘景をつけていた。
 にも関わらず、結局のところ何も出来なかった。
 鎮破は気付いてか無意識か、あの晩からずっとそう心が繰り返している。
 鏡のように自分の姿を映すものを見るたび、あるいは自分の手を見るたびに、彼は自分ですら気付かないほど少しずつ、自身の纏う空気の重厚さを濃くさせていた。
 夏の夕暮のささやかな風が、開けた窓から生暖かくも涼しさを運び入れて、棗の長い髪をなびかせ鎮破の頬を撫でた。
「本当は、今日も片付けに行くつもりなんじゃないの?」
 ふいに言われて、鎮破はアイスコーヒーを飲む手を止めた。
「鎮破もそんなに一人で気張らなくてもいいのよ。おじい様が言ってるわ。治将おじさんや父さんにそっくりだ、って」
 鎮破はただ何も言わずに聞いていた。
 棗は風でかすかに揺れるカーテンを、そのやわらかな瞳で見つめていた。
「そうねぇ、鎮破。あなたもう少し肩の力を抜きなさい。じゃないと、うちの父さんや母さん達みたいに早死にしちゃうわよ?」
「……俺は丈夫です。少なくとも下の3人よりは」
 笑みはしなかったものの、鎮破のその表情はどこかここ最近の中では、和らいでいたように見えた。


 ビルが屹立する繁華街。
 メインストリートから外れた薄暗い裏通りに、カツン……カツン……とゆったりとした足音が反響していた。
 黒い人影に、壊れかけた街灯のくぐもった明かりが当たり、一瞬黒く長いラインを照らし出す。何かを狩る狼のように前を見据え、一歩、また一歩と標的に近付いてゆく。
 表通りの明かりが届かない暗がりで、その足音はピタリと止んだ。
「獣か」
 言葉にさえ、その重厚さが滲み出ていた。
 視線の先の暗闇の中に、ゆらりと何かが動いている。
 唸り声を立てて、獣型の影が薄明かりの下に躍り出て来た。
「銘景」
 スイっと姿を現した銘景は、そのまま力の帯を引いてまっすぐ影へと向かって行く。
 獣型は、まるで今はもう見られなくなった野犬のような姿形をしていた。
 性格も凶暴かつ獰猛で、影の中では一番動きが速い。
 すかさずその影は銘景をかわすも、銘景も負けず劣らずの速さでそれを追う。
 やみくもにではなく、計算された追い込め方で確実に影を捕らえていた。
 だが影を縛りつけはしなかった。
 逃げ場のないように帯を散らしながら飛び回っているだけ。
 初めの動きで鎮破は分かっていた。影一の速さをもつと言われる獣型といえど、“この”影はそれほど『束縛』をするまでもない程度だということを。
 あまり時間をかけずに、鎮破はたやすくその影を闇へと葬った。
 だんだんと消えてゆく残骸を一瞥し、踵を返して大通りへと足を向ける。
 路地の出口には、1台の車が止まっていた。
 近付くにつれて、後部座席の窓が降りた。
「ほんっとイヤミったらしいよなぁ、やり方が」
 乗っていたのは、いかにも不満げに両手を後頭部にやり、足を組んだ姿の玲祈だった。
 しかし鎮破は、殺気もまだ治めない眼で玲祈を睨み下ろした。
「なんなら、お前一人でやるか?」
 顔が固まった状態で、冷や汗を流しながら玲祈は首を横に振っている。
 五式の屋敷は改築して間がない四式と違い、いかにもという古さと味を未だ保っている。
「うへぇ。鎮破んちはいつ来てもムード満点だよなぁ……」
 縁側の廊下からは、屋敷内の明かりで庭のしだれ柳も見えていた。


 真夜は一日、体を休めるために寝床でゴロゴロしていた。
 日が落ちた今、庭では仁と咲、それに佐伯が今年初めての花火をしている。
 それを縁側でふてくされた真夜が見ていた。
「ほら真夜もやろうってば」
「……やらない」
「真夜はへそ曲がりだなぁ」
「仁ちゃんに言われたくない」
「真夜様」
「うるっさいなぁ!」
 咲が誘っても、仁が挑発しても、佐伯が宥めすかしても逆に逆撫でしたらしく、とうとう背中まで向けてしまった。
 こうなったら一式家の長女にして末っ子、意地を張ってテコでもこちらを向こうとはしない。
「もうっ、真夜ってばいい加減にしないと、全部やっちゃうよ?高2にもなって大人げないってば」
 咲が業を煮やして、後ろから覗き込んで声を掛けた。
 膝を抱えて顔をうずめている。
「……」
「私は、良かったと思ってるよ。このタイミングで式師としての仕事少し休ませられるの」
「……」
「影百護の本星が出てから、真夜休めることが極端になくて、随分気を張って突っ走っちゃってたから、心配だった」
「……」
「三日前のアレの時も、真夜と玲祈君が抱えられて戻ってきたの見て、コレが背筋の凍る一瞬なんだって、思った」
「……」
 佐伯も黙って傍らに立っている。
 仁は小春が座っている脇で、手に握る線香花火の火花を見つめていた。
「これから、本当にもっともっと大変な状態になるかもしれない。そうなったら、真夜何言っても動くでしょ? だから、今は我慢して。お願いだから」
 それでも真夜はこちらを見なかった。
「……そんなに、鎮破さんに借りをつくることになったのが嫌?」
 一昨晩二人で話しをした時にそんな素振りは見せなかったが、どうやら玲祈と組むはずの依頼を真夜の代わりに鎮破が出る手はずになったらしく、昨日の夕方出て行く玲祈に聞いて真夜は機嫌を悪くしていた。


 
 

式師戦記 真夜伝前へ 式師戦記 真夜伝 次へ式師戦記 真夜伝


  式真PROFILE  式真DIARY  式真BBS  式真COVER  式真TOP