『式師戦記 真夜伝』

 
 第二十二話 黒い挑戦状
  

 棗は二人の案内で、2階にあるその息子の部屋へと向かった。
 途中そっと棗の少将・轢に、外から回るよう命じておいた。
 棗はさきほどから、何かを感じていた。何か、とは影の気配なのか、ただの胸騒ぎなのか棗には見当が付かなかった。
「太地、ちょっといいかしら。開けてちょうだい」
 母親がノックととも声をかけるが、返事がない。何度か試してはみたものの、なんの返答もない。
 しびれを切らせた父親が、もう一度ドアを叩いた。
「太地。入るぞ」
 ドアは鍵が掛けられてなく、すんなりと開くことができた。
「太地?」
 部屋の中は、夕方には近いがまだ日も沈んでいないのにカーテンが閉められ、異様に暗くなっていた。
 一歩足を踏み入れた棗は、絡み付くような視線に気付いた。
 同時に微かな影の気配も漂っているが、姿が見えない。
 そればかりか、この部屋にいるはずの太地少年までもがいなかった。
「いない?! どこに行ったんだ!」
「しっ。お静かに」
 父親の声を遮り、棗は部屋中を六の感覚すべてを使って探る。
 窓を覆うカーテンの裏が一番気になり、ざっと開けてみる。するとガラス窓に、黒い札が張り付けられていた。
「これは、黒札……?」
 外に回っていた轢に窓の外側に貼られていたのを剥し取らせ、急いで影に対してと同じ“封じ”の組み手をした。
「封じ」
 小さく低くその札に向かって唱えた。
「まさか、本当に存在するなんて……」
──棗様!
 轢ではない小将の呼び声が聞こえて来た。
「なに?」
――こちらに、朱玉のところに少年が。
「お二人はここで」
 彼女はそう言い置いただけで、部屋を飛び出して行った。
 棗は一つの賭けをしていた。
 前に玉匠の者より、兇を受けた瑠璃玉は後朱玉として囮に使うと聞いていた。 そして鎮破から守房での実例を報告された。
 ならば実戦でも囮として使い、被害を抑えられないかと考え、それを試すために今回この近くの林にある稲荷の祠に朱玉を預けてみた。
 影はそれだけ、式師だけに止どまらず、直接関係した人間に影響を残す。その最たる出来ごとにして極近しい事例を、棗は知っていた。
 西日が注ぐ中、すかさず棗は影を追った。罠を張った場所は、それほど離れてはいない。
 惟揺を残し、れきまつを従え駆けていく。


 まだ決着が着かないでいた鎮破は、影に対し口の端で笑ってみせた。
「取り憑いてその程度か」
「キメテヲ カイテイルモノガ」
「決め手など、必要なのか?」
 影の眼前から突然、鎮破の姿が消えた。
「八分だとしたら──お前が侮っているだけだとしたら?」
 次から次の声のどの方向にも、すでに姿はない。
 もう一つの影を燃やし尽くそうとしていた玲祈の背中に、何かが触れてきたのを感じた。
「玲祈」
「鎮破?」
「静かに聞け。…………」
「……おう」
 玲祈が再び構えると、鎮破も影の背後に出て来た。
「いいか。所詮、影は影。式の者を出し抜こうなど笑止千万だ。五式が力、思い知るがいいだろう」
 どこから出して来たのか、鎮破の右手にはいつのまにやら、鞘に納められた日本刀が握られていた。
「鎮破、それは!」
「お前はそちらに集中していろ。愚かな影ども。月光破影げっこうはえいの切れ味、存分に味わえ」
 台詞を聞き終わらぬうちに、父親に扮した影が飛ぶ。すでに足の辺りは輪郭がぼやけ始めた。
 しかし影の刃が届いた時点には、そこから彼の姿はない。
ぐばぁわぁぁぁ……!!!
「へっ……俺をなめるなよ。鎮破! こっちは片づけたぜ」
 いつの間にやら鎮破は隣室の男児の前で構えていた。
「来い、愚かな影よ」
 影は言われるまでもなく鎮破の目の前に飛んだ。
 チャキッと刀の鍔が鳴る。だが鳴ると同時にまたもや姿が消える。
しゅう!」
 影の背後で玲祈が叫ぶ。
 振り返ろうとした影はピクリとも動けない。うっすら箱のようなもので影は覆われていた。
 “束縛”の一種にしてその上の段階“しゅう”は、まさに囚われの身。
 動けない時点で、鎮破はもう影の横に立っていた。
「見ていろ」
 鎮破は影の臭気に囲まれた男の子に目をやった。
 切っ先を向け、大きく月破刀を振りかぶる。次の瞬間には、瞬きもできない速さで臭気が蹴散らされていた。
 臭気にあてられたか、衰弱していて男児は気を失っていた。
「これで子どもには取り憑けまい」
 影へ向けられた視線は、もう何者も寄せ付けぬ圧迫感そのものだった。
「オノレ」
 箱に囚われた父親の男の体を残し、形の影本体だけがすり抜けて出て来た。
 鎮破も玲祈も驚いた。
 形の影にしては変に輪郭がぼやけ過ぎている。
 人に取り憑く“カタ”の影は、普通図体が大きく角張った逆三角形をしているが、今はただ見ただけではまさか“形”とは思わぬくらい崩れていた。
 そのまま鎮破へと突っ込んで来る。が、鎮破は寸でで庭側に蹴り飛ばした。
「玲祈。子どもを――」
「分かった」
 玲祈が男の子に駆け寄り、鎮破はガラスを割って外に飛ばされた影に続いて庭に出る。
 影が体勢を整えようと起き上がり、向かって来る。
 玲祈の目にはその時、何かが白くきらめいたように映った。
 天上まで昇っていた月が、鎮破の破影の剣にほほ笑む。
 月のように輝く刃が、影を切り裂いてゆく。その1秒間がコマ送りのようにゆっくりに見えた一撃。そして続け様の横になぎ払われた二撃めは速かった。
 後には半液状のものが残っただけだった。
「……」
 残骸を睨み付けながら刀を払い、鞘に納める。
 その頃には家全体を包んでいた臭気も消えていた。部屋に上がると、父親の体を包んだ“囚”の箱も消え倒れている。
「あんな燻り出し作戦なんて思いつくかよ、普通」
 玲祈は父親の様子をみる横顔を見ていた。表情も纏う空気も変わることはなかったが、顔色に疲労が出ているように見える気がした。
「それに月光破影の剣まで出してくるとは……持って来てたのなんて知らなかったぞ」
 息を絶え絶えにしながらも、ぶーたれたフリをしてみせた。
「こういう事態に備えてだ。……どちらも命はある。無事な様だな。辰朗達を呼んでくるから、お前はそこで休んでいろ」
 鎮破はなんともない様に歩いて出ていったが、玲祈も気にかける余裕もなく、ただただ疲労感を噛み締めていた。
「……また暁哉にどやされんのかよ」
 知らず知らずのうちに、玲祈は目を閉じていた。
 玄関前の短い階段の下に、辰朗と暁哉が揃って待っていた。
 一段一段ゆっくりと降りて来る鎮破を待ち切れずに、暁哉は口を開いた。
「玲祈様は」
「疲れはしているが無事だ。行ってやれ」
 聞くやいなや、暁哉は急いで家の中に入っていった。
「……辛勝ってとこか」
「さあな」
 鎮破の体が傾いたかに見え、辰朗はそっと脇を支えた。
「刀、使ったんだろ」
「だからなんだ……それより、睦夷に連絡してくれ」
「さっき電話しといた」
「そうか……」


 
 

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