『式師戦記 真夜伝』

 
 第二十五話 違和感
  

 全会は式に連なる主たる面々が一堂に会し、影について重要なことを詮議する。
 年に一回あれば多い方、数年ない時の方が常だった。
 だが、三年前の事件以降、召集されたのはこれで二度目だ。
「出てきましたか……。聞いてはおりましたが、これ程数が出るとさすがに。まあ、奉家としてはお役に立てる機会と喜ばしい部分もありますが。これが、今年──半年間分の私たち奉家が手を下した誅書・結書です」
 鶴史の父親を始めとした奉家当主達は、黙ったまま一斉に書の束──の代わりとする数の書かれた紙を前に出した。
「あれ以来、半年という時間にしては最も多いでしょう」
「数は計115体……内家《たいか》のものを合わせれば、およそ二百五十はいくな」
 誰かが考えるように呟いた。
 奉家の人間は、時たま自らを“外家《げけ》”と表す。それに対をなすように、式の家を“内家《たいか》”と称する。
「このペースでは、一年内五百を超えるか」
 判鳴は合わせた数のみを記した紙から、前に積まれた書の小山へと視線を移す。
 一拍の間のあと、奉家の末席が沈黙を破った。
「まあ、だいたいが式家と違って我々は雑多細々とした影を請け負うのみだが」
「征生《まさき》」
 諫めたのは鶴史の父、相手は十奉の当主だ。彼らは、判鳴を始めとする前代の式師と世代を同じくする守師である。
「雑多な影もさることながら、今は星の数も異常だとか。だが一向に情報は入ってこない。どう説明する?」
 彼は誰でもなく、一筋に上座にいる判鳴を見る。いつもの事が始まったと半ば呆れ気味に、真夜の父は返答に口を開いたが、言葉になる前にそれは遮られた。
「お言葉ですが、その前に皆さんがご覧になるべきものがあるはずでは?」
 切り返したのは十奉が付く五式、その、今現代の式師となっている鎮破だった。
 立場で言えば目下だが、その射る目で毅然としている態度に、十奉征生はまだ言いたげだった口を締める。それに、見るはずの物も正直気になった。
「これが、報告致しました。“黒札”です」
 棗が布地の上に置かれた一つの紙切れを差し出した。張り詰めた空気が小さなどよめきに変わる。
「棗さ……これが?」
「黒札……」
 驚きの声を漏らしたのは今代の者たち。先代にあたる当主たちはさして動揺してる様子はなかった。
「……じか」
 真夜は父親のかすかな言葉に違和感を覚えたが、間を置かずに話し出されたのでそれは頭の隅の方に追いやられてしまった。
「“黒札”ということは、人の手もしくはそれに匹敵する影の関与を視野に入れねばならないな」
「影百護《かげひゃくもり》か……」
 それぞれに考えるところがあるのか、一同の視線が一気に落ちる。真夜とて“影百護”という名には大なり小なり思うところがあった。
 だがよくよく考えてみればどうだろう、何か自分が見落して聞き漏らしている事があるようにも思えてきた。
 玲祈も似たようなことを考えていたのだろう。顔を上げてお互いの顔を見合わせた。
「お前たちは、まだほとんどがただの“影”と“影百護”の区別がついていないはずだな」
 見透かしたように言われて真夜は素直に頷くと、倣って首を縦に振る者がいた。それはどう見ても真夜から下と分けられる、現代の若い式師・守師の中でもとりわけ十代の者たちだった。それには真夜も違和感だけではなく不快感すら抱いた。
「良い機会だから聞きなさい。“ただの影”、と言っても格もあれば型も様々だ。だが時に誅書に星、さらには上下の線を入れる影が現れるな。影の中でも最上に位置させる力をもつものだ。お前たちは、おそらくそれを含む未知数にして影の中心を占めている“影”、そう漠然としてしか頭にはなかろう」
 そうだ。“影百護”という存在が、実は真夜の頭の中ではあやふやだった。影の中心、やら最上位の力を持つ影やらとは聞いていたが、それ自体が思い返せば曖昧な表現だ。
「我々も……過去の式師や守師でも百パーセントの確固たる証を見出だせてはいないが、この、式の家に伝わる密書──“界源一葉《かいげんいちよう》”らにはいくつかの談が記されているのだ。人が介入しただろう痕跡や、目撃談が」
 いつしか場は静まり返り、判鳴の低く重い声だけが支配している。
「率直に言えば、あるいは影とは“人”によって作られ操られ使われているものに過ぎないのではないだろうかという憶測やら、可能性の論議が古い時代からなされてきた」
「つまり、人が……影を? そんな──」
 千冬の呟きで、真夜も我に返った。
「そんなことがあるとしたら、私たちじゃ歯が立たないものを相手にしてるってことじゃないっ!?」
「喚くな」
 今にも立ち上がりそうになりながら勢い込んで叫んだ真夜を、父親ではなく、いつもの声がぴしゃりと制する。
 実際には止どまったものの、真夜と同じ気持ちの千冬や鶴史などは、その声に改めて背を正した。
「長い時間をかけても未だ確証には至っていないんだ。お前が結論を急いでどうする」
 ぎりりと真夜は奥歯を噛みしめ手を固く握ったが、反論出来るものではなく、咲の止めに思いとどまった。
 向かいで見ていた鶴史がそっと胸をなで下ろしている。
 玲祈も同じことが頭を過ぎったが、真夜のように沸騰するには至らず事態に乗り損ねていた。
 判鳴は閉じて聞いていた目を開き、一人頷く。
「我々の代ですら掴んでいない。あるのは、十五年前に現れた黒札唯一つだ」
 バンっと、懐から出し畳に叩き付けるように置かれたそれは、間違いなく漆黒の紙札である。
「今は式師としての役目を果たせぬお前が、そのまだ憶測にすぎない事柄に、頭に血を上らせてどうする。皺寄せは他家にゆくのだぞ。もう少し落ち着きを持ちなさい」
 厳しい言葉が、真夜の耳を貫く。鎮破相手ならばどんな手でも反論のしようがあっただろうが、父親に対してはそれも出来ない。
 全てにおいて己の上に立つ父親には、敵わないことは分かっている。分かってはいるが、真夜はどこか釈然としない気持ちを胸に抱えて、黙って俯いた。
「──報告の通り、守房の一件で我が一式は今、娘が影追撃の命から外れている。倒したとはいえ、四式・一式と取り込むまでてこずるものだった。さらには、我が一式の代わりに五式に務めてもらった依頼の件にしても、重傷者が出た上にかの“月破刀”を使うに至った」
 そして、と判鳴は続ける。
「この“黒札”出現。前々から懸念していた、何か大きな動きがあるやもしれん」
「動き……というよりは、“何か”とした方が分かりやすいだろうが、近いうちに一騒動あるだろうな」
 誰ともなく、その意見には居並ぶ当主たちがこぞって同意した。
 それはどうみても、決定的な言い方にも聞こえた。
 何が起きるとは確かに言ってはいないが、近いうち、しかも“何か”が高い確率で“確実に”起きると断言しているようなものである。
 どうも真夜にはどこかが引っ掛かってしょうがなかった。
 よくよく場を見渡してみると、そういえばだが、鎮破や棗、それに八奉の濱甲と、自分より目上になろう現代の式師・守師はあまり発言をしていないことに気付く。
 話すのは滅法その親、先代に当たる者たちだ。鎮破が口を開いたのは、場の流れを元に戻した、あの二回のみ──棗に至っては黒札を差し出した時だけだ。
 目は話す人間だけではなく、この場にいる全ての人間を見渡している。さもさり気ないかのように、まるで状況を見据え見極めるように。
 それが見て取れた真夜は、ますます訝しい思いを募らせた。
 発言に優先順位はないが、祓い師御三家は必要以外は岩の如くそこにただ“居る”というものだった。
 いわば立会人の役割を担う。
「一つ、宜しいかな」
 巌のようになって聴いていた、咲の祖父が唐突に口を開いた。
「三枝殿か」
「咲、兇はあとどのくらいで抜ける」
 いないかのようにしていた咲だったが、言葉を受けて擦り膝で少し前へと進み出た。
「私の見立てでは、あと半月から二十日くらいで元の状態に戻ると思います。元の状態といっても、兇が完全に取り去れるわけではないけど、お役目には復帰出来ます」
 判鳴の視線が、四式の衿子に止まる。
「玲祈については、式師の仕事に支障はないということですわ」
「真夜の分一式が欠け万全とは言い難いが、気を引き締めてあたってもらいたい」
 散会を告げられても、真夜には不可解な点ばかりが残った。


 
 

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