『式師戦記 真夜伝』

 
 第二十六話 もう一つの会合
  

 真夜は頭にきていた。
 何に対して腹立たしく悔しいのかは分からないが、とにかく頭にきていた。
 どうしても一言言ってやらなければ気が治まるものかと、何事もないふうにすっと場を辞した相手を真夜はすかさず追いかけ、いざ車のドアノブに手を掛けようと言うところで捕まえた。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「何がだ」
 真夜には気付かなかったが、その言葉は少々苛立っていた。
「まだ子どもだっていうのは納得出来るし、それで今まで話してもらえないでいたものがあるのも別にいいけど、そこで思い付いた疑問を口に出しただけなのになんで止めたのよ!」
「言った通りだ。まだ正確な情報がないというのに一人先走るなとな」
 その言葉に触発され、真夜はさらに喚こうとする。
「鎮破はなんとも思わないわけ?! あれがもし、もしもだけど、本当だとしたら私たちは──」
「だから先走るなと言っているんだ!」
 低く怒鳴られた真夜はビクリと肩を竦ませる。どこかいつもの彼とは、違って見えた。違和感は募るばかりで、そのことを自覚していない真夜はそれでも続けた。
「なっ、怒らなくてもいいじゃない! だいたいにしていつもいつも、なんで二つしか違わないのに鎮破ばっかり何かもかも知ってたふうなの!? ちょっと年上だからってなんでそんなに偉そうなのよ! なんでも先に分かっているのよ! ずるいわよ!」
 もはや八つ当たりの何物でもないことは真夜も分かっていた。分かっていながらも止められなかった。
 どうして自分はいつも遅れるのだろう。二つしか違わないのに、鎮破が自分の一歩も二歩もと言わずに先に立っていることが、今はこの上なく苛立たせる。
 相手をしてられんと言わんばかりに、鎮破はさっさと車に乗り込んだ。
 乗り込む時ちらとどこぞを見たが、また何事もなかったかのようにドアを閉めた。
「待ちなさいよー! もうっ、鎮破のバカ!」
 立ち去っていった車に、真夜はそれでも感情を抑えられずに叫んでいた。
 裟摩子や玲祈と後から出て来た棗が、真夜の肩を叩く。
「真夜……」
「棗さんはいいの! あームカツクぅっ。鎮破のバカー!」
「まあそうカッカすんなって」
 けろっとした顔で言われて、それが真夜の神経を逆撫でした。
「……玲祈は黙ってなさいよバカっ!」
「バカバカ言うなよ!」
「うるっさいわねぇ、バカと言ったらバカじゃないのよ!」
 あーあーと呆れて、同じく遅れて出て来た鶴史たずし濱甲はまかつがその様子を玄関先で眺めていた。
「こうも暑いってのに、よくやるよなぁあの二人も」
「俺は真夜の気持ちは分かるけど? ま、守師で集まった時に聞かせてもらえばいいし」
 ちらりと見上げる視線が痛い。
「はしたない」
 吐き捨てるような声に振り返れば、千冬が足早に通り過ぎていった。
「あいつは相変わらずだなぁ」
「守房での一件の時も何かと真夜につっかかってたんだ。ただのヒステリーにしてはしつこ過ぎるし────今度は二式か?」
 千冬が歩みを止めた視線の先に、真夜や棗から付かず離れずの距離で一人どうも重苦しい顔で突っ立っている裟摩子の姿があった。
「あー……まあ、難しい年頃だからな、あのくらいは」
「そういえば、凪火なぎかが来てなかったっスね」
「あ、ああ。今日は急ぎの仕事があったらしくてな」
 ちょうど遊馬ゆまが出て来たので、鶴史は体を向き直した。
「んじゃお先します!」
「ああ、またな」
 鶴史が車に乗るのを見届けて、濱甲はもう一度ドタバタ騒ぎに目をやってから自分の車に向かった。
 待っているだろう愛し人に想いを馳せて。


「さて、あれにはバレたか」
「遅いお出ましだな、治将はるまさ
 広間へと姿を現わした背に声が掛かる。振り返って面々の顔を見て男は破顔した。
「まあな。あれはもう立派に一人前だ、私が引いている方がやり安かろうと思ってな」
 治将は判鳴の隣りに腰掛ける。
「鎮破はなかなかの青年に成長したな。うまく式師五人をまとめあげている」
「何かと自分の足や目で調べ回るあたりは小賢しいがな」
 注がれた杯をくっと傾ける。
「とはいえ、さすがは一式だな」
「真夜が? とんでもない。まだまだ未熟者だ」
「己を取り込んだ影を内部崩壊させる……実際に見てはいないけれど、驚くべきことだわ」
 頂きます、とこちらもすでに注がれていた杯を衿子が空ける。
「内部崩壊──その言葉が合うのかどうかは分からんが、見たのは鎮破を入れ三人。事実として起こったのは間違いあるまい」
「だがどうやって」
「本人が分からない以上私たちにも分かりはしないがな。……文献をしらみ潰しにしても前例はなかった。おそらくは初めてのことだろう」
 久方ぶりに集いし旧知の同志たちのささやかな宴は和やかだった。だが、そこへ唐突に沈黙が降りる。
 打ち払うかのように六奉はなかば強引に、別な話題を繰り出した。
「そういえば、臣彦くんが薬師・芳稿はわらの流れを継ぐことになったとか」
「おお! それはめでたいな」
「芳稿はこのままでは幾年を待たずして絶えてしまうところだったからな。あの流れを失うのは大きい痛手だ」
「我ら式の者にとって、芳稿の薬はもしもの命綱だ。失うのは惜しいどころではなかろう。それを、しかも一式の血筋から継ぐ者が出てくれたのは誠に喜ばしいことだ」
「あれから十二年か。年も取るものだな」
 その笑った表情が自嘲のようにも見えた。
「こんなに早くに逝ってしまうとは思わなかった……」
「我々の誰かがこんなに早くも欠けるとは誰も思ってなかっただろう。しかももうあれからすでに十二年も経ったんだ」
「今でさえはっきりしないが、あれはなんだったんだ?」
「少なくとも人ではなかろう。でなければあの気配の説明がつかない」
 出来上がっているのだろう、赤く染め上げた顔で十奉征生は当然だろうと周りをねめつけた。
「……やはり何があっても思い出してしまうな。直弥とみちるさんの事を」
「私たちを、最初にまとめ上げたのは直弥さんでしたからね」
「あの二人の存在は我々にとってあまりにも大きかった」
 判鳴のその言葉に誰もが深く頷く。
 心の中で上を見上げ、まだ若い頃のありし日の自分たちを思い、頭を垂れて亡き同志を思い、それを振り払うかのようにゆっくりと顔を上げた。
「──あえて触れはしなかったが、意志ある者に動かされている節の影も現れたと聞いている」
「ああ。影だけでは不自然な部分がな」
「今──まあ内密にだが、三式分家がそのあたりを探ってくれている」
「分家……ってことは、寛弥さんの? じゃあ棗ちゃんのいとこの」
「日暮の跡取りと今は確か……」
「そうだ──どんな力を持つにしろ私の愛弟子だ。全て、任せてある」
「あいつに任せただと!? 分家の小倅がしゃしゃり出たから十二年前、結局あんなことになったんじゃないのか!」
 上気して詰め寄ってゆく征生を、後ろから治将が肩を掴んで止める。
「少しは黙れ征生。落ち着け」
「しゃしゃり出たとは聞き捨てならんな、十奉」
 十奉征生がつっ掛かってくるのはいつもの事だったが、その一言だけは見逃すわけにはいかなかった。
 あの子が最初にこの屋敷に来た時、特に変わった様子のないその年頃の少年に見えた。
 だが問題はあった。それはあの子の持つ力だった。
「あの力のおかげで我らはあの影を封ずる事が出来た」
「だが結果として直弥・みちるの二人を失った。その上佐伯の者とその旦那まで兇に殺られた。もう一度言うが、俺はいまでも良い気はしない」
「お前の発言の方が良い気はしないがな」
史眞しま! お前え──」
 ダンと征生は杯を畳に叩き付けるように置いて今にも隣りにいる鶴史の父・史眞を掴み掛かりそうになる。
「やめろ、大人げない」
「そうですよ。直弥さんとみちるさんが聞いたら怒られますよ?」
 衿子はきっぱりと言う。
 真摯な視線に耐えられず、征生はふて腐れたように乱暴に杯に酒を注いで一気に飲み干した。
「俺に指図していいのは直弥だけだ……」
 二度そうして小さな杯を傾けぽつりと呟いた。
 本当にあまりに二人の存在は大きかったと、この秋に十三回忌を迎えるという今になっても誰もが痛感していた。


 
 

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