『式師戦記 真夜伝』

 
 第二十八話 四式鞠、絶好調です! 
  

 その年の最高気温を記録した猛暑のこの日、司敷鞠《ししきまり》は大学から最寄りの駅までを珍しく歩いていた。
 大学から5分と行くと古くからある住宅街に差し掛かる。
 夏休みも後半に入るこの時期、一時だけ子ども達の外ではしゃぐ姿を見ない。そこかしこの家では、綺麗な模様を描き出す提灯やたくさん上がった果物などがが縁側から顔を覗かせている。
 全ての曲がり角を素通りして来るうちに、幾度目かの角に白地に黒い文字の立て看板があり、路地の奥に鯨幕が垂れていた。彼女は横目で見ながら、ぼんやり祈りを捧げた。

「ただいまー!」
 実家に着いたのはそれから2時間後のことだった。
「あれ?  姉ちゃんおかえり」
「アレってことはないんじゃないの? お盆くらい私だって帰ってキ・マ・ス。まったく暑いからって引きこもってたんでしょ、いい若モンが」
「おかえり」
 二人の母親が奥からひょこっと顔を出した。
「ただいま。色々忙しいんだけど、とりあえずは帰ってキ・マ・シ・タ」
「そりゃあね、お盆なんだから一日くらいは帰って来てもらわないと。で、それは?」
「あーせっかく久しぶりに帰って来たから、色々挨拶回りに行こうと思って、お土産買って来たの。それでもう少ししたら出かけるから。玲祈、あっくん貸してくれる?」
「は? 暁哉? いいけど」
 鞠はにっこりと笑った。


 ところかわって、三式の屋敷にいた棗は部屋でこの前の誅書を書いていた。
「お嬢様。四式のお嬢様がお見えです」
 襖越しに女中の一人が声を掛けて来た。すぐに玄関へと向かうと、靴を脱がずにいかにも若者らしい露出ギリギリの格好をした鞠が立っていた。
「な〜っちゃん」
「鞠ちゃん帰って来てたんだ」
「うん、まあお盆だし」
「上がって」
 ううん、と鞠は首を振った。
「挨拶回りに寄っただけだから。あ、これお土産ね。……冴ちゃんから聞いたよ。例の鹿島商事の一件。最近の一連の事もあって心配してたんだけど、案外大丈夫そうにはしてるみたいね」
「あら、これでも結構堪えてるのよ?」
「なっちゃんは面に出さないからなぁ、誉めていいんだか心配すべきなんだか」
 棗は長い髪を揺らして苦笑いをした。
「大学の方はどう?  3年だから一番大変なんじゃない?」
「まあ。そっちこそ、水拭流家元修行はどうなの? 三式のお祖母さまはきっついでしょ」
 ひそひそと、手のひらを衝立のようにして鞠は言った。
「厳しいには厳しいわよ。でも、跡を継ぐのは私だけだから、厳しくもなるんだと思う。まだ、他にも回るの?」
「うん、次は五式のとこかな」

 鞠が五式を尋ねると、鎮破は庭で剣の稽古をしていると言われたので、取り次ごうとした家の者には知らせないように言い含めてから、そっと庭へと回った。
 五式家は武道場が備えられているが、剣の一人稽古の時だけはを自室の前庭を鎮破は好んだ。
 何にも捕らわれず、考えず、ただ形のとおり素振りを繰り返すことで、彼は心をより無へと研ぎ澄ましていた。
 そんな時に、耳慣れない愛称で呼ぶ声を聞いた彼は、ピッタリと木刀を振りかぶったまま動きを止めてしまった。
「しーぃーちゃん!」
「……」
「しーずちゃん!」
 動かなくなって、振り返りもしなければ返事もしない鎮破に鞠は追い討ちをかけた。
「……」
「相変わらず真面目っ子だね。玲祈が面倒かけたみたいでごめんね、しずちゃん」
「……お久し、ぶりです」
 珍しくも、振り返った鎮破の顔がにわかに青ざめて見える。振り返る動作も、思えばぎこちなかった。
 それは、この彼の前に笑顔で立つ女性が苦手であるからではなく、ましてや恐怖を抱く対象だからではなかった。
 式師の仕事を玲祈任せにあまり会う機会が少ない彼女は、会う度に鎮破を先程のように呼ぶ。この呼び方だけはいつまでたっても鎮破には嫌悪で、耳慣れない、なんとも体が全身から拒絶する唯一のものなのだった。
「あーあ。まぁた大きくなっちゃったでしょお。そりゃ男の子だからしょうがないのかもしれないけど」
「……」
「ちっちゃい時は玲祈と一緒であんなに可愛かったのになぁ。背を抜かされた時にはショックだったけど、さらに大きくなっちゃってもっとショック」
 鞠は大仰に両手を広げて、溜め息をついた。
「……何か情報でも持って来て頂けたんですか?」
 堪え切れなくなったのか、怪訝そうに嫌味っぽく返した。しかしそれはかえって鞠のおしゃべりの引き金を引いてしまうこととなった。
「つれないんだから。そりゃあ、玲祈に任せて、私は裏方に手ぇ出してるっていうかそっちに磨きをかけてるけど、それは式師として将来的に役立つかなって感じで頑張ってるわけだし、第一だいたいにして玲祈が跡継がないなんて言い出すから私も積極的に跡継ぎとして式師として将来のことを考えなくちゃいけなくなったんで、こうしてハルと冴ちゃんやコウさんと頑張ってみんなの縁の下の力持ちみたいなことしながら修行してるんじゃない。でもだーからってたまに尋ねて来たら情報屋扱いされるなんて、ひどいじゃないのよしーちゃんのいじわる!」
「……」
 知るか、という感じで鞠を無視して自室に上がろうとした鎮破の頭に、またゴーンという音が落ちて来た。その後ろで一通りわめき終わった鞠が、思い出したように手を打った。
「あ、そうだ、はいお土産。今日はおばさまもおじさまも見当たらないようだから、後でちゃんと皆さんで食べてね」
「……お気遣いありがとうございます」
「いっけない。しずちゃん汗だくだから早く着替えしないと風邪ひいちゃうじゃない。私挨拶回りの途中だから帰るね」
 何事もなかったかの如く、鞠は踵を返して帰っていってしまった。彼が汗だくになった理由は、剣の稽古だけであるとは思わないでやって欲しい。
 彼は普通は、プライドにかけてこれしきの稽古では汗など微塵も流さない男なのだ。


 その後、二式に顔を出した鞠を、まだ幼げな裟摩子の弟が出迎えてくれた。手土産を渡すと大喜びで母屋に駆け込んでいった。
 かつては二つ下の鎮破や、実弟である玲祈もこんな時代があったのにと、少し寂しくなったところもあった。
「こんにちは、さまちゃん。元気だった? 中学はどう?」
「お久しぶりです。学校の方も元気にやってますよ」
 せっかくだからお茶でもと言われて、鞠はしばし上がり込んだ。
「そっかそっか。チビちゃんは学校楽しい?」
「楽しいよ! けど僕、チビじゃないよ、鞠お姉ちゃん。玲祈兄ちゃんは今日は一緒じゃないの?」
「うん」
「じゃあ今度遊びに来てって言ってよ。最近遊びに来てくれなくて僕つまんないんだもん」
 二式の長男康隆は、玲祈になついていた。玲祈が中学で康隆が幼稚園の時は、結構遊び相手として来ていた。
「じゃあ言っといてあげるね。裟摩子ちゃんも、みんなに任せっきりで悪いけど、頑張ってね」
「はい」
 もともと小柄で色白であったが、しばらくぶりに会ったせいか、鞠にはそれに拍車がかかったように思えた。というよりはどことなく元気があってないような、どうもしっくりとこない。
 かと言って聞くとさらに何かが悪くなる気がして聞けなかった。ともすれば、最後は一式に行くわけだし、そっちに言って聞いても悪くはないなと、車に戻る足は心なしか早くなった。
 車は暁哉が運転をして、後ろにはその実の姉で鞠の祓い師をしている遥《はるか》が鞠とともに乗っていた。
「ずいぶん運転うまくなったのね。しばらく見ない間に」
「まあな。姉貴こそ大学までいって、ちゃんと勉強してるのか?」
「ご心配なく」
 遥は鞠にとって、真夜にとっての咲と同じ存在で、同じ大学に通いながら、ルームメイトとして二人で大学の寮で暮らしていた。加えて、鞠にとっては一番かなわないと思う存在でもあった。


 一式に着いても、二人は同じように車で待ったまま、鞠は門を潜った。
 五式は絶妙な雰囲気を醸し出しているが、一式はある種その存在自体が威圧だった。
「こんにちはー!  ごめんくださーい!」
 聞こえるように大きな声を張り上げると、奥からドタバタと走って来る足音が聞こえた。
「やっぱりぃ。ま〜りちゃ〜ん!」
「まーちゃん、ひさしぶりぃ!」
 まるで一卵性の双子のユニゾンのように、二人の声と両手が重なった。
 毎度の事ながら、咲だけではなく、この二人の再開の場面は誰が見てもノリが一緒だなと思いながら眺めるのだった。
「さっちゃんも元気そうじゃない。まーちゃんたら、さっちゃん心配性なんだからあんまり張り切りすぎて怒られたんじゃないのぉ」
「鞠さんよくわかりますね。もうこてんぱんにシメちゃいました」
 すました顔で咲はちらりと隣りを見た。
「そんなこと言われたって、謝ったのにあんなに怒らなくてもさ」
「謝るとかの問題じゃないわよ」
 ぶつくさと言っている真夜には、咲に睨め付けられて縮こまった。
「ハルとおんなじ」
「じゃあ鞠ちゃんもいつも怒られてるんじゃない?」
「ちょっと真夜。それじゃあいつも私が怒りっ放しみたいじゃない?」
「最近はいつもみたいなものじゃない」
「ふっ……ふふふ、あっはははははは」
 いつのまにか、鞠はお腹を抱えて笑い出していた。あまりに大笑いしているので、真夜と咲は口論をやめて唖然となってしまった。
 鞠は二人が少し前の自分と遥の姿に見えて、おかしかった。
 軽く会話をして、車に戻ってもまだ笑いがおさまらないのか、ずっとニマニマしている。
「どうしたのよ。何か面白いことでもあったの?」
 笑いすぎて出てきた涙を拭きながら、鞠は振り向いた。
「え?  あ、うん……まあね。私達も年取ったよねぇ〜」
「はあ?」
 遥かにはさっぱり発言の意味が掴めなかった。運転席で聞いていた暁哉も、頭の上にはクェスチョンマークが飛び交っていた。


 
 

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