『式師戦記 真夜伝』

 
 第二十九話 ないしょ
  

 何日か後の夜に、まだ四式の実家にいた鞠はある電話を受けていた。
「そう。じゃあ箝口令発令よね。――うん。分かったぁ、コウさんにもよろしくね」
 電話を切ると、おもむろに部屋を出て、真向かいの部屋のドアを蹴った。
「れーき! ちょっと来なさい!」
「な、なんだよ! ったく帰って来たらうるせぇなあ」
「いいから来るの。かーさーん! ちょっと来てくれるー?」
 真顔で言ったまま、鞠は階段を降りていった。
 口調はいつも通りだが顔だけはやたら真面目くさっている。というよりは笑えない何かがあるのだろうと玲祈は感じて、素直についていった。
 四式ではめったに使われるのことのないその部屋は、やはり奥の間になっていた。それなりに床の間もあり、証しの玉がひっそりと置いてある。
 訳も分からずとりあえず真剣に聞く態度だけは作った弟と、何があろうと動じないかのように手を組んだ上に顎を乗せてきょとんとしている母親を前に、鞠は話し始めた。
「ちょっと最近気になって調べたことがあるんだけど、近々なんか大きい騒ぎになりそうな感じなんだ。まだそれが何なのかハッキリとは言えないんだけど、注意しといた方が良いって言うから言っとこうと思って」
「何だそれ! ぜんっぜん分かんねぇ」
 意味が分からずズッこけた玲祈がテーブルを叩いた。
「だーからまだはっきり言えないんだってば。ちゃんと分かったら教えるわよ。とにかく気をつけるように他の式家に伝えて! あ、一式は、真夜ちゃんには伝わらないようにだけしてちょうだい。そのことも他家に一緒に言っといて」
「なんで真夜にだけ伝えないようになんだよ」
「ばっかねぇ、真夜ちゃんが今どんな状態か、分かってんでしょーが。でも何かあった時のためには一式のご当主と咲ちゃんくらいには事前連絡しといた方がいいでしょ。だから真夜ちゃん限定の箝口令なの」
「なんだか姉ちゃんて日本語おっかしいよなぁ」
「一式には私が伝えるわ。他家には玲祈が連絡しなさいね」
「ほいほい」
 返事には分かってるよというちょっとした抗議の意が含まれていた。


 守房での一件以来戦いからは退いていたが、真夜の体内に宿る兇がそう簡単に減ることはなかった。増えるようなことは誰もが真夜にさせなかったということもあり、悪くなるということもない。
 しかし咲の心配が減ったわけではないのだから、その点においては良いとは言えないのだろう。
 ただ、裏では他の四人が一式の分まで誅書や事件の処理をしてくれていたことには感謝していた。
「つまんな〜い」
 今日も真夜は縁側でゴロゴロしながらぼやいている。
「夏休みなのにちっとも外出れないし、影倒しに行けないから体も鈍るし、あっついし」
「こないだ三式と四式に行って来たでしょ」
 傍らでは涼しげな顔で咲が座って庭を眺めている。
「だってお盆だから三式のおじ様やおば様達に手を合わせに行っただけじゃない。あとはじいやのお墓参り。みんな去年と今年で十三回忌――」
 そう言ったかと思うと、咲の耳にはスー、スー、という寝息が聞こえて来た。


「……ちゃん。──真夜ちゃん」
 真夜には、これは夢だと分かる。いつもの夢と同じ頃の景色だ。そして、自分を呼ぶ声の主も、誰か思い出せる。しかしはっきりその顔を見る前に、真夜は目を覚ました。
 庭の木でかげろうが鳴いていて、空は薄い紅色に染まり始めている。
 あの声はそう、本当は真夜が会いたくて会いたくて堪らなく想っていた人物だった。
 記憶にある一番幼い時から、顔を見ていた。きちんと出会ったのは、あの十二年前の直後。
 小さい頃に何回かしか言葉を交わしたことはなかったが、真夜はその人物を忘れることはなかった。
 それでも、夢に見たのは初めてだった。
「会いたいなぁ……」
 会ってまた、あの時のように暖かい言葉をかけて欲しい。



***
 十二年前──真夜が佐伯乙八を手に掛けた直後の話になる。
 訳あって真夜の生まれた頃から、真夜の父親が師となって度々一式に修行に来ていた一人の少年がいた。
 彼は例の出来事のすぐ後、久々に一式に顔を見せた。真夜が彼とまともに対面したのはこの時が初めてだった。
 何も見ないように、顔を背けながら母の後ろに隠れるようにいた真夜は、挨拶をするように促されたが顔さえ見ようとはしなかった。
 目に映る畳は比較的新しいいい香りがした。
 その見下ろしていた畳がふいに翳る。見上げると、少年が真夜の顔を覗き込もうとしていた。
「こんにちは、真夜ちゃん。覚えてるかな」
 目が合うと少年は眩しいまでに笑んでみせた。あまりに優しい笑顔だったので真夜はつられて答えた。
「……こんにちあ」
「少し遊ぼっか」
 少年はゆっくり手を引いて真夜を縁側に連れ出した。真夜も不思議と抵抗せずについて行った。
 秋も深まっていたが庭にはまだコスモスが咲いていて、それを見つけると、少年は真夜を抱き抱えて庭に出てくれた。
「まだ咲いてるんだね」
 しかし真夜は、何かに気付いてぎゅっと彼にしがみついて顔を隠してしまった。掴む手に触れると、固く握り締められている。
「どうしたの? 何かいた?」
 いくら聞いても首を振る。辺りを見回すと、庭の奥の一角が四本の若竹で囲われていた。
「……大丈夫だよ。真夜ちゃんは乙八さんを助けたんだ」
 彼はそう言って、真夜の小さな背中をぽんぽんと叩いた。
「兇はね。人の体に悪いものなんだ。特別強い兇が体にあったら、放っておくと大変なことになる。あのままいたらね、乙八さんは凄くすごおく苦しんで死ぬことになったと思う。真夜ちゃんは、お父さんやお母さん、お兄ちゃんやおじいちゃんのこと、好き?」
 彼はさらにゆっくりと話した。
「もしあのままだったら、誠人さんも、真夜ちゃんの家族の人達も、もちろん真夜ちゃんも同じように苦しんで死んじゃうことになったかもしれない。みんな死んじゃうのは真夜ちゃんも、嫌だよね?」
 真夜はまた小さく小さくコクりと頷いた。
「乙八さんも、そう思ったから真夜ちゃんに助けてもらったんだよ? 真夜ちゃんが泣いてたら、乙八さんはどう思うかな?」
 小さな真夜はハッとして顔を上げると、優しく包み込むような笑顔が待っていた。
「それにね、僕も真夜ちゃんには笑ってて欲しい」
 その時少しの風が吹いて、コスモスが揺れた。
「……乙八さんも、笑ってって言ってるんだよ。でも、今は泣いていいよ」
 内緒にしてあげるから、と少年は真夜を抱き締めた。
 張っていたものが切れたように、真夜は彼に縋って泣き出した。
 泣いていいと、言ってもらえたことが、初めて真夜は自分が許されたように思えた。
***



「緯仰お兄ちゃん……“さん”、かな」
 寝ていたからか、ほてった顔を叩いてのろのろ起きていった。中廊下の角では、父の判鳴が電話を切ったところだった。
「誰から?」
「いや、なんでもない」
 そう言って、そのまま自室へと歩いて行ってしまった。入れ違うように台所の方から母の果月が出て来る。
「あら、真夜起きたの? スイカ切ったんだけど食べる? 咲ちゃんはもう食べるんだけど」
「それなら母様、先に起こしてよ」
 ぶうたれる真夜を宥めて、果月はリビングへと連れて来た。
「真夜、起きたんだ」
「咲まで〜。起こしてくれれば良かったじゃない。私がスイカ好きなの知ってるでしょ」
「あんまりぐっすり寝てたもの。代わりに私が佐伯さんのところに届けに行って来ちゃったわよ? ねーおば様」
 真夜の母は笑顔で頷く。
「咲も母様もズルい〜」
「もうすぐだから、すっごくお腹大きくなってたわよ、夕美さん」
 ニッ、と真夜の顔を見た。
「いよいよかぁ。可愛いよねぇ絶対。夕美さんの子だもん」
「あら。男の子だったら誠人君に似てイケメンになるわよ」
「母様の言い方なんだかミーハ―」
 どこに行っても、赤ん坊の話しは盛り上がる話題の一つだ。
 二式の8歳になる康隆以来、式家の周りではここしばらくそういう類いの話題がなかったせいか、一式ではちょっとした赤ちゃんフィーバーになりつつある。


 
 

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