『式師戦記 真夜伝』

 
 第三十話 戦線復帰
  

 今日も今日とて、真夏の日差しが体を刺した。照り返す太陽光は、打ち水された庭にうっすら陽炎を作る。
その向こうの青々とした緑は涼しげに影を帯びていた。
「あー暑い。なんなのよまったく」
 部屋にただ一つの、古めかしい扇風機の前に真夜は陣取っていた。
「静かにしてれば暑くないの。だいたいホントなら寝込んでたっていいくらいなやられ方だったのよ?」
「じゃあなんで寝込まなかったわけよ?」
「そりゃあ……よく分からないけど。ねぇ、影が多くなってレベルも高いのばかりだし、結構手の込んだ味なやり方する割りには、爪が甘すぎない?」
 ガバと起き上がった真夜は何度も首を縦に振る。
 同じような事を考えていたけれど、まさかなとも思っていた思考を、相方は確かなものにしてくれた。
 僅かな沈黙が降りる。狙っていると言いながら、いま一歩の攻勢に出ていない。黒札を使いこれまでと違った影を差し向けることをしておきながら、どれも、幸いにもこちらにとっての大きな痛手にはなっていない。
 一式の自分がこの状態とて、誰彼深手を負うとて、星の一つも失われてはいない。
 ましてやそんな最悪的な状況にも達していない。この程度なら当然と言っていいと思う。
 遠くにヂリヂリンと嗄《しわが》れた音が聞こえた。
 誰かが黒い受話器を取ったのだろう、すぐに音は途切れた。誰が出たのかも、いくらも経たないうちに予想がついた。
 それは分かりやすいまでに縁側の木の床を鳴らしてやって来る。
「真夜様、朗報ですよ」
「え、何? 佐伯」
「分かった! その顔は、真夜がよっぽど喜ぶ事でしょ、佐伯さん」
「咲さん鋭い。さきほど仁さんから電話があって、“成りし瑠璃”が出来上がったそうですよ。いま旦那様がお話しなさっていらっしゃるんですがね」
「ホント!?」
「ええ」
 世話役は自分の事のように、嬉しそうに笑って頷く。
「やっ──」
「真夜」
 しかし傍らの相棒は笑ってはいない。手を真っ直ぐ差し出す。
「診せて」
「…………はい」
 苦い顔で一瞬ためらいながら出された手を、咲は逃がさないよう素早く掴んだ。
 どれほどか正確な時間は分からないが、真夜と誠人は手を握ったまま瞑られた目が開くのを待っていた。
 あれよりちょうど二十日。真夜に取り憑く兇は、守名の房で診た時からすれば格段に目減りしている。前線から外させ、持てる力を使って引き剥して来たのだから当然ではあるが、欲を言えばいま少し休息に甘んじていて欲しい。
「大部減ってる。まだ、元の状態よりはあるけど……」
「良いのだな」
 鋭く届いた声に、三人は振り向く。真夜の父親が、縁側に立っていた。
「父様……」
「おじ様」
 厳しい視線が真夜を射る。
「明後日、晴見《はれみ》の儀を執り行うことになった。心しておけ」
「はい」
 はっきりと、きっぱりと答えたが、その表情は世話役にも咲にも窺い知れない。
 真夜は、俯いていた。奥歯が啼いた。
 しかし判鳴も返事を聞く前には踵を返していたので、辛うじてその姿だけは見られはしなかっただろう。
 いよいよ、一人前として認められる日が来る……。もっとも、式師としての重責を再確認させられる儀式でもある。むしろ実質的な意味で“一人前と”認められるのではないのだし、そう思うと逸っていた気持ちも萎えた。


 夏休みもあとわずか。真夜にとっては待ち兼ねていたはず客は約束通り一式を来訪した。
 儀式とは言うがなんのことはない。“成りし瑠璃”と呼ばれた玉の授受が行われる。だが晴見の儀は本家の正装、白い狩衣朱の狩袴姿に身を包んだ咲によって奥の間が清められた。
「“成りし瑠璃”。しかとお渡し致します」
 工房では作務衣にバンダナ姿といかにも職人の格好をしているが、今日は髪を下ろし、それなりの服装をして訪れている。
 真夜の祖父が無言でそれを受けとる。目配せされすっと立ち上がった判鳴は、床の間に恭しく置かれた“証しの玉”を手に取った。
「真夜。こちらへ来なさい」
 落ち着いた中にどことなく父親を思わせる祖父の声に、真夜は従った。そして、手のひらにおさまるほどの透き通るガラス玉を手に取った。
「成りし瑠璃を、その証しの玉の側に寄せるんだ」
 祖父の節くれ立った手に押され、父親の持つ証しの玉に恐る恐る手の中のものを近付ける。触れるか触れないかの距離まで来た時だった。
 真夜の持つ玉の内側が淡く光出し、玉を飲み込むかと思うと真夜の中に消えていってしまった。
「き、消えた……消えちゃったよ!?」
「それで良いんだ。お前のいわば心臓の盾だからな」
 いたって冷静な声がいやに頭に染み込む。
「え……」
「人は、たとえ他に傷を受けようと心の臓が守られれば命だけは助かる。それはな、命を直接断とうとする力を肩代わりして被る玉なのだ。もし、その玉が割れた時はすぐに退け。そのまま戦いを続けても勝ち目はないだろう」
「どうして……どうして勝ち目がないと父様は分かるの?」
 父の目が変わる。普段から厳しい父親だが、それは真夜が見たことのない目だ。
 三年前の戦いでキレていた誰かの目付きと近いものを感じて身震いする。
「目の前で見たからだ」
 最初、本当に最初は分からなかった。だがその意味はすぐに理解出来て口許を覆う。
 通る拍子が二回、打ったのは真夜の祖父だ。
「さあさ。儀は無事に済んだのだ。しばし歓談でもな」
 察して空気の流れを戻したのだろう、おかげで判鳴も何ごともなく席に座した。
「この前は色々と娘が迷惑を掛けてしまったな。そちらは大事なかったか?」
「はい、お陰様で。いつ来ても穏やかなお屋敷ですね」
 真夜や咲越しに仁は庭を眺めた。
「継憲殿は今は?」
「元気です。あちこちに行ってますので、正確な場所は分からないですけど」
「今度戻って来られたら寄ってくれるように伝えてくれないか?」
「えぇ。お伝えしておきます」
 証しの玉のある奥の間。守名仁と一式当主判鳴の間には、透き通る証しの玉が小さな座布団の上に置かれていた。
 それを、父の隣りに座る真夜はじっと見ている。
「お前もこれで一人前だ。よく心得ておきなさい」
「……はぁい」
 “成りし瑠璃”と呼ばれる瑠璃玉は、式師となる子供がある程度成長した時にもつことが許される、瑠璃玉の中でも最も強力な玉だ。本人の代わりに受ける衝撃を、これまでの瑠璃玉の数倍の力で吸収する。
 だがその勢いが強いために、まだ幼いうちでは危険な部分もあるので、それは一人前の証しともなる。瑠璃玉とて“扱う”ことが出来なければ、ただのガラス玉でしかない。
「それじゃあこれで」
 スーツに車というのは、どうも真夜にはいつもの仁のイメージからは合わない気がして、立つ位置にも心なしか距離が出来ている。
「小春によろしくね? ホントは連れて来てくれたら良かったのに」
「仕事だからダーメ。もう、無茶しないように」
「分かってるよ……」
 あっさりとした挨拶を交わして、帰っていく仁を外まで見送ったあと軽くお昼を食べて、真夜は咲とともに街に出た。


 終わりも間近とは言え夏休みの街の中心街はは人が多かった。
「本当に今日会えるの?」
「アポは取れてるの。まあったく携帯持ってない古い人間は連絡取るのも一苦労よ」
 表側全面ガラス張りのカフェ・アンジェリクは、入口をおしゃれな水瓶にガラス細工の浮きを浮かべて涼しげに演出していた。自動ドアが開くと、中に溜まっていた冷気がほんのり心地よい。
 待ち合わせの相手は今日も予想を裏切らない。この暑さで、しかもクーラーの効いた店内で、ツリガネ草のような帽子をしたままのサングラスの男は、かき氷の宇治金時を頬張っていた。
「待たせたかしら」
「ご機嫌麗しく、一式の姫君」
 口許がニっと笑みを作る。
 男が手を挙げると、店員がいそいそと注文を取りに来た。
「私はベリージェラーテ」
「バニラアイスのせコーヒーゼリーを1つ」
 かしこまりました、とまたいそいそと店員は戻っていった。
「“成りし瑠璃”の授受については誠にめでたく」
「耳が早いわね」
「情報命のこの稼業ってね」
 不敵な笑みとともに円茶亀は鷹揚に手を広げてみせる。
「“滅し事”は請け負わないわよ」
 逆に真夜は大袈裟に頬杖をついた。
「二式から五式家まで全力でやってもらっていても、やはり追いつかないもんで」
 ちろりと隙間からこちらを見る。
「と、言ってもまだドクターストップ解除になったばかりの姫君に誅書はちと酷だ」
 すると一つの冊子を男はテーブルに出した。
「近ごろは比較的少ないがあるにはあるんで。結書くらいならどうにかできるのでは?」
 円茶亀は再びニカと笑う。
「悪さはしないがこのままでは依頼人の病気も治るに治らないという訳さ。まあ精神的なものもあるんだろうけど」
「ふ……ん。まあ軽いわね。それより、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい?」
 その奥にさえ瞳を見せないサングラスを揺らして首を傾けてみせた。
「最近“是”のオヤジの姿が見えないの。ここ二か月連絡すらないわ。誰かさんからは何回か連絡があったけど、こっちから連絡しようと思うとつかまらないし」
「あっちは、オヒメサマが例のことで戦線離脱してたから遠慮してたんじゃない?」
 追加注文したアイスコーヒーを啜りながら男は答える。
「例の件より前からよ」
「んじゃくたばったか……なんせ歳いってたからね」
 あいも変わらず呑気にアイスコーヒーを味わったまま気のない返事を返す。
 真夜は呆れて外方を向くと、盛大に溜め息をついた。
 とはいえおかしいのは確かだ。戦線復帰とはいえ現状把握や何らかの白の依頼くらいは手に入らないかと思い、いつもの仲介屋に連絡を試みたのだ。しかし他家からの話によれば、どこの家もこの二か月見ていないという。
 自分だけなら納得もいくが、誰も見てないのは何かありそうな予感がした。気のせい……でも何かが引っ掛かって。それに、まだあの疑問が拭えたわけじゃない。ますます胸に引っ掛かる。


 
 

式師戦記 真夜伝前へ 式師戦記 真夜伝 次へ式師戦記 真夜伝


  式真PROFILE  式真DIARY  式真BBS  式真COVER  式真TOP