『式師戦記 真夜伝』

 
 第三十一話 燃える心
  

 これまで以上に鎮破は冷静に、そして慎重、着実に封じた影の数を伸ばした。
 彼は得ていた情報を元に影を探して徘徊していた。
 奴等は表には現れない。陽の光や人の群れを嫌うわけではないが、あまり表では活動しない。
 人通りのない住宅地の裏通りに差し掛かると、鎮破は一瞬だけ見えた角を曲がる奇妙なものを見逃さなかった。
 角からあちら側の様子を窺うと、壁を這うように伝って行く影が団地の方へと向かっている。
 団地の奥には古い工場があり、影がそこに入るのを見届けると鎮破はその場を後にした。

「俺を誘い込んだつもりか」
 目の前に現れた者に驚いたのか、はたまた分かっていたからこそなのか、影は動きを止めた。
 鉄筋の建物に足音が妙に響いて撥ね返って来る。
「人通りがないとはいえ、真っ昼間の往来を歩き回るとは随分偉くなったものだ」
 笑ってはいない。気怠そうに影を見据え直した眼は、氷のようだった。
 影は答えなかった。
 合図をすると、男に従う小将が姿を現わす。
「封じ!」
 すでに彼の手は印を結んでいた。
「今日はあまりにも下っ端がおびき出しに来たものだな。そろそろ本命が姿を現してもいいだろう?」
 ゆるりと顔だけで振り返る。彼の口許が俄かに笑った。
「そうか。お前か……」
 おそらく守房の裏山に出現したものと同じ型の影だと、鎮破は直感した。
 的を絞って来ているとはいえ、直にコレを自分に差し向けるような真似が出来るのかと、正直驚いた。
 しかし、
「∈Å◆¬∵※*§」
「俺は一式や四式のようにはいかないぞ……来い!」
 何時になく鎮破は、笑っていた。楽しいと感じて戦ったことは一度としてない。
 今も、影との戦いは彼の眉間に深いシワをつけるけれど──。
「俺の糧となるがいい」
 バッと両手を広げる。
 そんな彼に真っ正面から来る影の動きは、速い。
 紙一重と呼ぶべき身のこなしで避けた鎮破は、その足で影の後ろに出る。
 が、そのさらに後ろから黒く濁りつ透けている無数の手が伸びて来た。どこまでも尽きる事なく伸び次々に生えてくる異様な影の触手。僅かに触れずして届かない。
「亀甲の盾ですら取り込んだその力を見せてみろ」
 低く構えた手にはいちしかあの剣が握られている。
 五式は元々、乱世の武家だった。古流剣術を持ち、それをさらに慶長の時代、影との戦いのための裏流をも編み出し同時にそのための刀をも作り出してきた。
 鎮破はそれを誇りとして思い、常にもまたその先を考えている。
 低く構えた体がさらに下がる。利き手に持つ刃は引かれ、もう一つの手が添えられた。影の次の動きに合わせてきゅっと踏み足を外側に開いた。
 迫る触手に一旦早めに突き出された刀はやはり空を貫いたが、鎮破はそこから刃を立てる。
 右になぎ払うよう速さを帯びたそれは伸びる触手を蹴散らした。
 さらに伸ばそうとしていたまだ短い触手を、影は引っ込め沈黙する。一瞬の間のあと、ざあというざわめきとともに影の体が散り散りになる。
 まるで鳥の群れのように天井のあちらこちらと飛び回り、一気に鎮破目掛けて一直線に向かって来る。
 剣先で払おうとするが、一つ一つが小さく寸でのところでまた散り散りとなって刃を躱される。
 幾度か繰り返すうち、五体散り散りとなって飛ぶ影は四方に広がり、一斉に向かって来た。
 彼はそれを正眼の構えで迎え撃った。
「燕斬《えんざん》返し……!」
 直前斜め下まで切っ先を引き下ろし右足を下げる。下から上に振り上げる速さと剣圧で向かって来た影を方端から切り刻む。
 それでも影はまた一個体に戻り、薄い煙が立ち込めるがごとく鎮破の周りを覆っていく。
 だが踏み足はもう、一歩前へと踏み込み腰や膝にはバネが溜められていた。
「円葉斬《えんようざん》 ……!」
 扉の隙間からまだ外に昇る陽の光が月破刀の太刀筋に軌跡をひいた。描かれた半円上から、影は見る間に闇へと還らされていった。
 珍しくただ一つの息を零して、鎮破は立ち上がった。
「……俺は今、虫の居所が悪い」
 振り向きもせずどこともつかぬ方向に声を掛けた。
「随分こちらの方まで来てるじゃない、鎮破」
 そこここの隅に積まれた木箱の暗がりから黒いワンピースに身を包んだ少女が出て来た。
「気配がだんだん強くなるのを感じて飛んで来てみれば」
「いまのお前なら確実に命取りだったな」
「……何を考えてんのか分かんないけど、珍しく楽しそうにしてたじゃない」
「影との戦いに楽しいも何もない」
 転がる鞘を拾いあげ、刃を収めると一瞥もなく鎮破は歩き出した。
「聞きたいことがあるの。こないだのこと、本当に憶測や推測だって考えてるの?」
 これには無言に背を向けたまま歩いていったが、真夜はまだ尋ねた。
「“是”の、人を本当に鎮破は見てないし会ってないの?」
 扉に掛けた手が止まる。
「あぁ」
 結局振り返ることもなく鎮破はその場から去って行った。
 最後の一撃だった。
 真夜が駆け付けた時にはもう決着がつくところで、最後の一撃しか見ていない。
 わずかな余韻の間、彼の表情に驚くとともに釘付けになった。いつもの、戦いの時の鎮破だったが、その顔は笑っていた。
 楽しそうとは言ったが、ただ見ただけではそうは思わされなかっただろう。
 同じ場を踏む真夜だからこそ感じ取ったことだった。


 残り少なかった数日の間に、真夜は三件ほどの結書を片付けた。
 咲には止められたが、あんな顔を見せられた真夜は何らかの治まりが効かなかった。
 数日間に三つ。病み上がりには少し重いが、久しぶりの“浄事”はなんだか気持ちをスッキリとさせた。
 夏の出来ごとに後腐れなく、真夜は新学期を向かえることが出来た。
 いつの間にか、空も心なしか透き通る青から淡いコントラストになってきている。
「でね、ついに……」
「ウッソーやったじゃない」
 久しぶりに会った級友たちは、休みの間の話しで沸き立っていた。真夜たちも例外ではなかった。
「いいなぁ」
「んっふふふふふ」
「あーそのニヤけ方超ムカツクぅ。はぁあ、私だってさ」
 友人の浮ついた空気につられたのか、思わず真夜はぽろりと呟いてしまっていた。
「え! 何々?」
 お年頃の少女たちにとっては恰好の話題。何の気なしに口にしてしまった言葉にすぐに食いついた。
「んー……直接の親戚じゃないんだけどさ、親戚付き合いしてるうちのお兄さんがちっちゃい頃よく遊びに来てたんだ、私んちに。こないだ昔の夢見て思い出してさ。ちょっと憧れてたんだよねぇ、なんて」
「カッコイい? カッコイい?」
「まぁあね」
「その顔を見ると憧れてただけじゃないんじゃないのぉ?」
 ズビシと実佐子の人差し指が飛ぶ。それに咲はニヤリと付け加える。
「だぁって初恋のお兄さんなのよね、真夜」
「ちょっと咲!」
「あー図星ぃ」
 明菜が黄色い声を出す。
 慌てた真夜の顔はゆでダコ寸前。完全に肯定してるも同じだった。
「もー咲ってば余計なこと言って」
 真夜の声と階段を上る足音が重なって天井に反響していた。
 ドアを開けた久しぶりの屋上からは、自宅のある辺りばかりか、他家も見えそうなくらい遠くまで晴れていた。
 町の南向こうにはほかの山と違いそこだけ盛ったようにある、ここらでは名の知れた窪山《くぼやま》が見えていた。
 清々しい空が二人を包んむ。
「知ってるんだから。あのね、いっちばん近くで見ていたのが誰かお忘れなく。ていうか今もでしょ」
「そりゃ、本当にまんざらでもないよ? でもさぁ、考えても見てよ。あっちはいま確か二十五だよ? 大人だよ? こんな小娘相手になんかしてくんないよ」
 咲はその言葉を意外そうに聞いていた。
「へぇ、小娘って自覚あったんだ。でも会いたいんでしょ?」
「……うん」
 お弁当も放り投げて抱えた膝に顔をうずめる。
 本人が思っている以上に、彼の人を真夜の心は求めていた。


 
 

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