『式師戦記 真夜伝』
第三十五話 時は満ちる
すでに東の空には月が昇り始めた。
東から西に紺から薄紅のグラデーションが空を覆っている。
五人は構える余裕すらなかった。
影が投げた電気の塊が、先頭にいる真夜へと迫っている。
微かに一歩身を引いた瞬間、強い力が動くのを感じた。迫っていた電気の塊が、寸でのところで何かに弾かれる。
「今だ!」
驚く暇なく鎮破に声を掛けられ、五人は手を掲げて力を一ヶ所に集中させる。
式五星奥義───
「式ノ陣!!」
重なる叫びにこたえるように、光の束が一気に影へと飛んでいく。
弾かれると同時に後ろへ飛んだ影も、それに合わせて次の一撃を放つ。だが、五人の力の束には勝てない。みるみる押し返され、電気の塊が消える。
そのまま光の束はまっすぐに影を貫いた。
グャアアァァァァー……!
聞いたことのないほどの激しい断末魔。突き刺さった部分は溶け出し黒い煙を上げながら、影の輪郭は崩れていった。
一片のカケラも無くなるまで五人は見守って息をついた。
「終わりました、ね」
「なんだよ、さっきの……」
裟摩子と玲祈の言葉も、真夜は目を見開いて下を向いていた。
この、この感じは……この懐かしい感じは、まさか……。
その時、暗い脇の林に、人の気配を感じた。そちらを向くと、そこにはこんな現場にいるはずのない人物が立っていた。
「円茶亀?!」
林から出てきたのは紛れもなく、あの円茶亀という男だった。
「さっきのは、あなたがやったんですね」
即座にに鎮破が問い質しながら近付いて行く。問う、と言うよりはむしろ、その言い方は断言のようだった。
棗も同じように歩み寄って行く。
「出て来て、良かったのかしら?」
「いいんだ、棗ちゃん」
残り三人は、円茶亀と二人の意味の分からないやりとりを、呆然と見ていた。なぜ彼がここにいるのか、なぜ鎮破と棗の二人は驚くより先に自然に会話を進めているのか。
それ以上に、真夜にはどうしても拭いきれない感覚があった。影の攻撃が弾かれる直前、強い力が動くのを真夜は感じていた。真夜はその力の気配に、ある懐かしさを感じた。
そんなはずはないと信じられない気持ちだったが、あの男の姿が現れた時、揺るぎなきその気配の正体を確信させられた。
真夜が最も、会いたいと願ってやまなかった人物。
しかし、目の前の男がその人のはずがない。気配の正体を確認させられたにも関わらず、真夜の心は混乱していた。
確信を振り払いたくて、首を振る。胸が苦しくなる。信じられないけれど認めなければならないことに大きな戸惑いの渦が生まれ、真夜は自身を自分の腕で必死に掻き抱いた。
そうしているうちに、あの男はこちらに向かって歩いて来る。
一歩近付いて来るたびに、確信は大きくなってゆくことにまた戸惑った。
嘘だ、と。
「さあ、円茶亀建雄の素顔をとくとご覧あれ」
おどけた声で言ってから、歩みを止めずに一瞬にしていつものへんちくりんな格好から、生成《きなり》のカジュアルスーツへと姿が変わった。
続いてツリガネ草を逆さにしたような帽子、そして丸いサングラスをゆっくり外してみせた。
もうその人物の声も姿も、けして“円茶亀建雄”という男ではなかった。
いま目の前に立っているのは、スーツを着こなした、二十四・五歳のすらりとした好青年だった。
「覚えてるかな、真夜ちゃん」
「い……緯仰お兄さん?」
「そうだよ」
幽霊を見るかのように目をさらに大きく開いた真夜に、穏やかに青年は頷く。
「え……な、なんで……」
真夜は何を言えばいいのか分からなかった。今、目の前の現実さえ夢ではないかとまだ疑っている。
玲祈も、裟摩子も言葉が出ないのは同じだった。
ただ棗と鎮破だけ動じた様子がない。
「……んで、なんで緯仰お兄さんが、ここに。しかもさっきの……そ、れに、円茶亀は……?」
混乱する意識を落ち着かせようとするが、うまくいかない。
どんどんと混乱は深まり、視界がグラリと歪んで真夜は前のめりに倒れかかった。
「真夜!」
「真夜ちゃん!」
緯仰と呼ばれた男が抱き留めるが、意識はもう完全に飛んでいた。
「疲れたんだね」
眠った顔を覗き込んで、彼は優しい目で見つめていた。
「緯仰くん」
「とりあえず、近いからうちで休ませよう。説明もしなければならないし」
「え、ええ……」
「じゃあ、他はよろしく」
入り込めない空気で彼が真夜を抱えて行くまで、玲祈も裟摩子もまだ呆気にとられてしまっていた。
だが鎮破だけは、去って行く後ろ姿を不機嫌そうに見送っていた。
「……な、なんなんだアレはー!! 棗さん、どうゆうことなんだよ!?」
やっとハタと我に返った玲祈がわめき始める。
それで裟摩子もようやく正気を取り戻して棗に疑問の眼を向けた。
「そうね、二人にも話さなければね。全部話すわ、たぶん彼が……ね」
二人はすっかり除け者にされたような気分になっていた。
三式の分家・丸崎の家に男の車が着くと、追うようにして棗達も到着した。
先に着いた緯仰というあの男は、真夜を部屋のソファーに寝かせ、ふわりと彼女の寝顔を見つめ髪を撫でる。
ちょうどその現場を、案内されてきた鎮破と玲祈がだいぶこわ張った表情で目撃していた。
青年は気付いていたのか、振り向かずに声をかけた。
「そんなところに立ってないで、入って座っていいよ」
言われるままに空いているソファーに腰を掛け、青年が真夜にブランケットを掛けてやっている間に、裟摩子や棗も部屋に入ってきた。
私室だろうか。障子を取り払って続くもう一つの明かりのない部屋には机やベッドなどがちらとあった。
「何から話せばいいかな。なんせずいぶん遡って話をしなければないないからね」
青年は穏やかな笑顔で、きっかけとなる助け船を棗に求めた。
「彼は、丸崎緯仰君。……三式の分家、丸崎の私の従兄よ」
「その棗さんの従兄がなんで円茶亀から出てくんたんだよ」
敵意をあからさまに、玲祈は食ってかかった。
だが緯仰は至って穏やかに返した。
「僕が“円茶亀”から出てきたんじゃなくて、もともと僕自身が“円茶亀”って男を作っていたんだ。依頼のために会ったのとかも、全部あれは僕だったというわけ。棗ちゃんは置いておいて、さすがに鎮破君には隠せてなかったみたいだね」
「はあ?! 訳分かんねえ」
「納得いきませんわ」
棗も、怖い顔をした鎮破も、ただ淡々と緯仰の話を聴いていた。
だが状況も何も分からない玲祈と裟摩子は、緯仰のいかにもな紳士らしさが逆に訝しみを強くさせていた。
「言ってみれば、ある程度以上の力を持つ人間になら分かるくらいに僕自身の気配を隠していたんだ。鎮破君はそれ以上の部類にすでに入っていたから、バレる頃かなとは予想してたけど」
「なんのためにそんな事をする必要があるんだ! もったいぶらねぇで言えよ」
息巻く玲祈に、緯仰は真摯な瞳を向けた。
「今代の式師の、真夜ちゃんの力を成長させるために」
「は……なんだよ。どういうことだよ!?」
「……十二年前、何があったか知っているかい?」
玲祈なら、この言葉の真意はすぐに分かっただろう。真夜に好意を寄せるきっかけともなった出来事だ。
しかし当時まだ二歳という幼さだった裟摩子だけは、ますます怪訝そうに首をかしげた。
「十二年前、細かく言うと十三年前の今ごろに起きたある事件の関連で、佐伯家の末裔誠子という女性が亡くなり、夫で一式家に仕え真夜ちゃんの世話役もしていた乙八さんにも影響が及び、一式の御前は真夜ちゃんの初めての式行、しかもハッキリ言うなら“滅・殺”の機会として、乙八さんを楽にしてあげるよう命じた」
話しの途中で玲祈は力なく座ってしまったが、逆に何も知らなかった裟摩子がガタッという音とともに立ち上がった。
「そんな、ことが……あったんですか?」
裟摩子は一人一人の顔を見渡した。その表情が、嘘でも冗談でもなく、紛れもない事実であることを語っていた。
「裟摩子ちゃんは、小さかったからね」
「……はい」
裟摩子はソファーに腰を落とした。
「あの出来ごとがあった直後、僕は小さな小さな女の子に会った。女の子は自分を責めていた。あの小さい体で。僕の手の中で止めどなく涙を流す女の子を、僕はすごく愛しいと思った。出来るならこんなしがらみから開放してあげたい、なんてね。でも、僕自身がそれは無理なことを知っていた。だから────」
「円茶亀になったってか? ふざっ」
自分より幾分か大きな手が玲祈を声ごと遮る。
横目で見たその手の主は、影に向ける様な眼光を湛えてまっすぐに緯仰を見据える鎮破だった。
二人の様子に彼は苦く笑うしかなかった。
「正直に言った方が納得いくだろう。僕は、真夜ちゃんが好きだ。愛している。だから僕は陰の人間となって支えて来たつもりだ」
「でしたらお聞かせ頂きたい。なぜ今頃正体を明かすような真似に出たんですか?」
ゆっくり噛み締めるように、何かを抑えるように、鎮破は緯仰に問いを突き付けた。
緯仰は、鎮破には不快にも口許で笑ってみせた。
「少々陰に徹することが堪らなくなってきたんだよ」
闇に灯る温な明かりのようなまなざしを、緯仰は脇に眠る真夜に注いだ。
「一人の男としての心の身勝手だ。驚かせてしまって悪かった」
四人は黙った。様々な思いが渦を巻き、胸を締め付ける。
「……今日は皆疲れています。この話しはいずれまた」
「ああ……その方がいいんだろうね……」
互いに、緯仰と鎮破は目を背けた。
鎮破は整理の付かない玲祈を連れ、棗は緯仰の申し出に真夜を置いて、裟摩子を連れて帰っていった。
あまり経たずして真夜は目を覚ました。
起きた真夜が不思議な目で彼を見上げる。
「驚かせちゃったかな?」
「緯仰お兄さん……」
覗き込んだ青年はふっと笑う。
そしてまだか細い少女の体をその手に抱いた。
強引に、きつく強く。
「会いたかったよ」
「……わ、私……も。私もずっと、会いたかった……」
真夜の目から、大粒の雫が流れ落ちた。抱き締めたまま青年は言った。
「君に何かしてあげたくて、君を支えてあげたくて、円茶亀っていう男のフリをしてたんだ。……君が、好きだ」
耳元で掠れた声が告げる。
「ずっと側に、いてくれたんですね……」
言葉を詰まらせた真夜は泣いた。涙が一人でに止まるまで、彼の腕の中で……。
前へ
次へ
|