『式師戦記 真夜伝』

 
 第三十六話 ふたりの心
  

 絶対何かあった。影との戦いのおおよその話しは聞いたが、そういうことではない。
 あの泣き腫らしどこか虚ろとした様子は、咲には覚えがなかった。
 そして今日、真夜は学校を休んでいる。発熱と身体疲労から今朝起きられなかったのだ。正確に言えば起きなかったの方が正しい。
 咲の頭の中はいっぱいだった。
「ねぇ、咲。真夜、大丈夫だって?」
「うん。家に電話したら、起きてご飯は食べたって」
「風邪かなぁ。熱があったんでしょ?」
「そ。八度四分」
 学校では適当に答えたけれど、咲にはあれは明らかに知恵熱のような気がしてならなかった。
 親友の勘というやつだ。親友──それだけでは済まされない存在。言うなれば片割れ。血なんて繋がっていないけれど、双子のように育った。だから自分の知らない片割れを目の当たりにして、いつの間にか咲は苛ついていた。
 だから、一式の屋敷に帰ると意識の戻っていた真夜に聞いてみた。
「あ……のね、咲……緯仰お兄さんに会ったの」
「は? 誰に会ったって?」
「緯仰お兄さん。円茶亀だったの。緯仰お兄さんが円茶亀だったの……」
「なに言って──」
「……好きだって言われた」
 胸がやぶれる。紙の端を千切ったみたいに。
「抱き締めてくれたの……」
 そうしてまた真夜は眠りの底に落ちていった。
 情報と気持ちの整理がおいつかない。知らずに咲は頭を抱えていた。


 どろどろと蠢く闇────闇であるはずが蠢いているのが分かる。
 それは自分の中だ。嫌だ、痛い。
(何が痛い?)
 やめて。
(何を?)
 これは──。
(知らない。私は知らない……)
 誰かが囁く。それは安らぎをゆっくり与えてくれるように、甘く広がる広い腕。
「大丈夫だよ」
 目を開ければ高い所にいつもの木目の天井があった。
「はれ……お腹空いた」
 起き上がって視界を塞ぐようにおかしな場所に垂れ下がる髪を除け、真夜は目をこすった。
 あったのは空腹感だけで、何かを忘れているような気もしたが思い出せない。
 もそもそと起き出し、寝間着だということも忘れてそのままに廊下に出て真っ直ぐ台所を目指す。
 朝だろう。窓から入るのは朝焼けの色で、雀も鳴いている。
 少し、肌寒くも感じる。
 誰かの声が頭の中に聞こえた。思い出して体が、胸が弾かれる。じわじわとした感触が心を握り始めた。
 何をしに行ったのかを忘れたように、部屋のまだぬくもりの残る布団に戻って寝転んで、縮こまる。
 真夜はそのまま、二度寝して起きると、もう隣りに咲はいなかった。
「佐伯、おはよー」
「おはようございます。もう大丈夫なんですか?」
「大丈夫。全開バリバリ」
 起こしに来た佐伯が待っている間に着替えて、真夜のまた一日が始まった。
「咲は?」
「またお早くお出になりましたよ」
「ふーん。あ、おはよー母様。父様は?」
 台所で真夜用の朝ご飯を作っていた果月は、出来た皿を持ちながら振り向いた。
「また中央にね。今日は大丈夫そうね」
「うん。──なんかあったわけね」
 テーブルの端にあった新聞を見つけて、ちらと一面に目を落とした。
 国会議員殺害という記事で殺された男の顔も載っている。まあ父親にかかればあまり大きなヤマではないけれど、中央は少し騒がしいだろうななどとぼんやり考えつつ出された卵焼きに箸を付けた。

「咲、今日も実家寄って来たわけ?」
「ん……ちょっとね」
 なぜか咲の態度が、ちくと刺さった。
 ただほん少し、いつもと違う目を自分に向けて口をつんとさせて。ただそれだけのことだが、見ている間中ちくという痛さがやまない。
「何か怒ってる?」
「別に」
 なおもそんな態度に真夜は思い付く限りのことを思いあぐねて見たが、心当たりがない。
 小さく唸っているとセーラー服の裾を引っ張られた。
「ちょっと、咲どうしたのよ。朝っからなんか怖いオーラ出しまくりなんだけど」
 実佐子が小声で耳打ちして来たのだ。
「私にもよく分かんないんだけど。昨日は?」
「べっつに変わったとこなんかなかったし……ね、晶菜」
「うんうん。真夜の心配してたくらい?」
 そうっと三人は彼女を窺いみた。その先には空ろを睨み付ける咲がいる。


 ガタガタ、バサバサと二階の物騒な音に母親が目を上げたが、意に介さないようにまた眺めていた雑誌に視線を戻した。
「ああぁぁぁぁ! なんなんだよ! 誰だよアイツ!」
 玲祈は荒れていた。普段からお世辞にも整っていない部屋がさらに雑然と物が散らかっていた。
 壁際から足下まで大事であるはずの漫画本から、憎らしい高校の教科書が一色他に投げ捨てられている。
「あんなこと臆面もなく言いやがって。ふざけんじゃねえよ」
 ふ、っと息を漏らして玲祈は壁際のかろうじて空いたスペースにへたりこむ。
 顔を隠した両腕の隙間から小さくだがすすり上げる音がしだしたが、玲祈はすぐにぐっと口を結んだ。何かを必死に抑え込むように。
「マジふざけんなよ。俺は、俺はあの時からずっと、あいつと変わらないくらいずっと真夜がっ」
 手に鷲掴んだ単行本を手近なところに投げつけ、おもむろに立ち上がる。
 足の踏み場のないところを掻き分けてドアノブに手を掛け、玲祈は勢いよく部屋を出た。
「ちょっと出て来る。暁哉! あーきや!」
 母親に言い置いてから、自分の世話役を呼びつける。声を聞き付けて急いた足音が近付く。
「なんですか?」
「鎮破んち行くから乗せてってくれ」
「五式にですか? なんでまた」
「あんまり騒がしくするんじゃないわよ?」
「分かってるよ」
 コーヒーをすする母親に玲祈は答える。
 いつもならもう少し語気が荒くなるところだが、今日の玲祈はむしろ平静な体をみせていた。
 一念発起の猪突猛進型としばしば喩えられる気性によって、玲祈は鎮破を尋ねた。強くなるために。
「およっ。四式のぼっちゃんじゃん」
「辰朗さん、鎮破いる?」
「奥にいるけど、今行くと噛み付かれるよ? 自己鍛練の中でも精神修養中は一番むやみやたらに途中で声をかけられるのすっげぇ嫌がるんだ」
 嫌だ嫌だと言いながらわざとらしく溜め息をこぼす。指で座るように合図した。
「おやじさんとおふくろさんは今日も仕事でいないんだ。あいつは今日……大学サボったんだよなぁ」
「サボり?! 鎮破が? うっそだあ」
 玲祈は意外にはおとなしく座って、辰朗によって多少乱暴に出された茶菓子に手をつけた。
「そういえば何しに来たのさ。自分から来るって、最近じゃめっきりなかったし」
「ん、ちょっとな。鎮破に稽古つけてもらおうと思って」
「へえ」
 辰朗は珍しいものを見たという目で玲祈を見返した。
「そんな殊勝なタマだったっけ?」
「……強くなりたいんだよ、俺!」
「なんで?」
 そうあっさり問い返されては玲祈の肩もずりと沈んだ。
「強くなって、守ってやりたいんだ」
「ああ、そういえば。一式の嬢ちゃんに惚れてる口だったっけな」
「……そういうこと」
「そもそもなんでそこまでご執心なのか聞いてみたかったんだよな、俺は」
 明け透けな物言いに玲祈はうろたえもしたが、溢れるものをこれ以上止どめておけはしなかった。
「俺の父親、五歳くらいの時に交通事故で死んだんだけど、その時少しだけ真夜んちに預けられたんだ。ところが真夜がまるで別人みたいな顔してて。驚いてたら佐伯さんから例の事があって自分を責めてるんだって聞いた」
「十二年前の殺人影の件な。あれ聞いた時はさすがの俺もそれはどうかと思ったもんだけど」
「泣かないんだよ。泣きたいって目は言ってんのに。で、笑わないわけ。あいつの笑わない顔なんて初めて見た」
「なんだよ、ちっともポイントが分かんないって」
「だから、そのギャップに気付いたら惚れてたってやつ」
 勢いのまま言って玲祈耳まで赤くなった。辰朗はにやりとして繋がらない話しをし出した。
「ま、アイツもここんとこ拗ねたままだしな」
「そーいやあこないだすっげ剣幕で帰って来たんだったけど」
「話しはだいたい聞いたから、なんとなくその原因の察しはつくんだよ。アレで過保護なんだよな」
「誰に?」
「だから、一式の嬢ちゃんに。なんてーか、アイツにとっちゃほっとけない妹なわけなんだよな。と、察するに俺は思う」
「鎮破があ?」
 疑いの声を上げる玲祈を尻目に、辰朗は時計を見た。
「そろそろかな」
「なぜお前がいる」
 辰朗の声と同時に件の人物が客間に現れた。
 下から睨み上げるような目で玲祈は鎮破を見上げた。
「俺に稽古つけてくれ」
「……」
「──だってさ」
 辰朗が返事を促す。
「俺がしてやる必要はないだろう」
「必要なんだよ。俺は強くなりたいんだ」
「言換えなければ分からないのか? 俺にその筋合いはない」
「なんだよ、人が頭下げて頼んでるってのに」
 玲祈は鎮破に迫ったが、彼は意に介さないとばかりに玲祈を見据えている。
「俺だけ除け者扱いはごめんなんだよ」
「話にもならん」
 吐き捨てて鎮破は踵を返し部屋を出ていってしまった。
「ちょっ、ちょっと待てよ鎮破!」
「あーあ。まだご機嫌斜めかよ。ああなったらこれ以上言うと返ってさらに逆鱗に触れるから、おとなしく今日は引き下がった方が良いんでないの?」
 辰朗の意見はもっともだ。こういう時は素直に引いておかないと話もつけられない。
 焦り逸る気持ちもありが、玲祈はぎりぎりそれを押し止どまらせる。
 他用で出ていた暁哉を呼んで、玲祈はしぶしぶながら帰っていった。
「“ほっとけない妹”。そういうことにはしといたけど?」
「余計な事は喋るな」
「そうは言ってもな、実際どうなのか聞いておきたいところなんだよな、俺は」
 聞いているのかいないのか、鎮破は目の前の卓に広げた紙面を検分していた。


 放課後、誘い合って寄り道するはずで真夜は四人で学校を出たが、近くの公園の前に止めた車の脇に、見覚えのある人を見つける。
 すぐにあちらも真夜に気付いて声を掛けて来た。
「待ってたんだ」
「緯仰お兄さん!」
 一目散に真夜は駆け寄る。
「どうしてこんなところに?」
「ちょっと、ドライブに付き合ってくれるかな」
「え、えっと」
 窺いがちに真夜は友人らを振り返った。
「咲ちゃん、とかわいいお嬢さん達。悪いけど真夜ちゃんを借りてっていいかな?」
 咲も他の二人も驚いていたが、あえて咲は平静を装った。
「どうぞ」
「あた、あたし達にはお構いなく」
 圧倒されたのか付け加えた実佐子は思わずどもっていた。
 だがさらに彼はとびきりの笑顔を向けた。
「ありがとう」
「ごめん、咲。一人で先に帰っててくれる?」
「分かった」
 おしゃれなセダンに連れだって乗り去って行くのを、実佐子と晶菜はただ呆然と見送ってしまった。
「誰アレー。大人の男の人じゃない」
「なんか二人していい雰囲気作り出しちゃって。怪しい」
「真夜の、彼氏……」
「え?!」
 騒ぎ出した二人は、咲の一言で一瞬にして固まった。


 
 

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