『式師戦記 真夜伝』

 
 第四十一話 三聖襲撃
  


 その時彼は、駅ロータリー近くに車で待機していた。
 二式からの一報にすっ飛んで来た真夜を乗せ、今はその帰りを待っている。
 車外は騒々しく表通りをサイレンを鳴らした警察車両やら救急車両が通って行く。駅前では通りすがりや出待ちのタクシーの運転手、近隣の商店の者までが何事かと通りに出て来ていた。
 影の仕業であることは佐伯誠人には明白で、その処理に向かった主が早く帰って来るよう祈りつつ、まだ半時と経っていないがすでに苛立ち始めていた。
 ふいに助手席の窓ガラスを軽く叩かれ、何かと佐伯は振り向く。
「……御当主!」
「少し話をしても?」
 佐伯は慌ててドアロックを外す。後部座席に、佐伯本家現当主にあたる佐伯穂純が乗り込んできた。
 まだ二十歳前後、少年のような顔立ちをしている彼女は、目を閉じていた。
「全会の折、佐伯としての血は気にしなくともよいと私は言った。けれど、引っ掛かりはむしろそこではなかったとお見受けする」
「今日は?」
「近くまで所用で来ていたもの、偶然居合わせたのみ」
 佐伯はルームミラー越しに穂純を見ていた。
「誠人殿、率直にお頼み申す。三師と立ってくれまいか」
「それは僕にも力があるということですか」
 穂積の表情は、変わりはしなかった。
 ──妻が入って行った扉の前に座り、佐伯は思い返す。
 新たな世界への不安や恐怖よりも、今はこの手にある力が嬉しい。
 もう二度とあんな虚しさだけは味合わないと。大切な存在を守れるようにと。
 産声が、呼んだ。



 黒い車輪がけたたましく悲鳴を上げて止まる。
「どぉあっち!」
「変な声を出すな」
 低い声が後頭部に投げて寄越される。
 鎮破はするりと車外に出た。
 むくむくと煙が沸き出すように夜気に黒い染みが影法師を生み、一台の車の行く手を阻んでいた。
 柄を握ったまま包みと鞘を座席に放り投げると、鎮破は静かに切っ先を下げる。
 沸き立つのをやめた影は、吐き出すようにその体を霧状にして鎮破に手を伸ばした。触れる間近、霧粒が集まり塊を成す。
 不動で待ち構える鎮破は見開いた眼でその塊を捉え、月破の刃が斬り払った。
 影も斬られては沸きを繰り返すばかりではなく、回りの地面からまた別と現れる。
「蛆虫みたいにわいて来るな」
「生きてるだけ蛆の方がマシだ」
 口許で何事かを唱えると、揃えられた二つの指が刃を撫でる。
「滅!」
 刃が突き立てられると同時に地の底より届いたかのような恫喝が、一気に影を吹き飛ばす。
「刀の錆決定だな」
 車の傍らでは不敵に口角を吊り上げるも、一分の隙なく辰朗が視線をぐるりと回す。
 おもむろに車体に預けていた背中を離し、横へ上へ四方八方投げ掛けるように手のひらを放つ。その度周囲は浄化された。
「寄ってくるな。これってそういうこと?」
「それはストーカー男に聞け。寺に急ぐぞ」
 漠蓮寺《ばくれんじ》は古く信仰も厚く、祓い三師吏蓉を祖とする川間家一門の本家である。けして小さくはないその周りを不穏な空気が層を成して覆っていた。
 袈裟姿の有髪僧が、一人供の者とその光景を見上げていた。負のエネルギーが凝り固まり、互いに融け合おうとする斑な障気がさらに厄介な者たちも引き寄せている。
 僧は正面に犬が一匹いると思った。
 口の端に白く光る鋭い牙。見えるものには見えるその姿は異形になる前の骨張る体から、黒い炎が立ち上る。
 獣が一歩踏み出したとき、僧の前に黒い背中が舞い出た。
「入ってくるとはな」
「よぉっ! おじ貴、ひさしぶりぃ」
「お前まで来なくとも良いわ」
 大おじにあたる戌圭《いぬよし》は、辰朗の笑顔を一刀両断した。
「先に暁哉来てんだろ。自分の息子一番なんだからなぁおじ貴は」
「なんか言ったか」
「なぁんも」
 獣型の影は地面を蹴り軽やかに手近の鐘楼に飛び上がった。
 その眼は戌圭の前に立ちはだかる鎮破を映していた。
「刀の錆決定」
 其の二だけど、と辰朗は付け加える。
 漠蓮寺の上空を火花が走る。一度散り出したが縦横無尽と駆け回る。
 ひときわ雷鳴のような響くほど正面楼門のあたりは凄まじくきらめき、光がその場を割いた。
「ふん。まったく余計なのが集まって来おったわ。どれ」
 懐から顔をみせた百八連の玉を持って戌圭は合掌する。
 一方では獣が喉の奥を鳴らしてまだ鎮破を見つめていた。
 地に下げられていた月破刀が、再び鎮破の胸元に戻る。いつもとは比べるべくもなく強い気配だが、それでも思っていたほどではなかった。
 それよりも川間の結界域にわざわざすんなり入って来れたところが、鎮破には解せなかった。
 だからこそ獣の口が、これまでと比べ不思議な声音で流暢にことばを紡ぎ出した時、鎮破も、辰朗や戌圭でさえ目を見張った。
「我ハ首《オビト》ノ遣イダ、式の小僧ヨ。ジキニ時ハ来ル。ソノ挨拶ダ」
「オビト?」
 人のように嗤った獣が鎮破に飛び掛かる。刀で防いだ獣はいつのまにか馬ほどの大きさとなっていた。
 いったん離れた獣はすぐさま鎮破に向かう。
「鎖景! 銘景!」
 小将は鎮破と影の間を割るように現れ、左右に散る。
「我が力、鎖となれ」
 手に型を取って鎮破は命じる。左右から獣型の影に迫る小将たちは、その飛翔の軌跡に力の尾をひいていた。
 隙を与えないほどの速さで普段ならこれっ影を捕らえている。
 だが影は隙を自らつくるように、小将たちの力の帯に捕らわれた。そしてさらに燃えあげた炎でその帯を瞬く間に散り散りに弾き飛ばす。
 攻撃に移るよう構えいた鎮破は踏み出す前に固まった。
 寺の奥からその耳に、水波紋のような音が届く。
「──こんな時に鳴り始めたか」
 戌圭の言葉と同時に、鎮破の握る月破刀が熱を発しはじめた。



 もちろん、今一つの祓い師佐伯本家も例外ではなかった。
 呪いの咆哮のように本家を包む空気が蠢くがやはり、ある距離からは侵入しては来れない。
「穂純……いえ、主。外が騒がしくてすみません」
「莱は?」
「俺以外はみんなポジションに着いてますから、御心配なく。安心して休んでてください」
「分かってる。式家が来る前に黙らせろ」
「御意」



 寒い。
 その感覚が気付けとなって真夜は意識を取り戻した。
 眼は開けることができた。
「真夜様」
 両脇には玲祈の小将、八ツ森と洲播が浮かんでいた。
「大丈夫よ。玲祈は?」
「ご無事のようです」
「そう……」
 この玲祈の作りだす亀甲の盾がなければ、目の前には闇が広がっていた。これがなおもあるのは、玲祈が絶え間なく力を小将らに送り続けている証拠だった。
「前よりはましだわ。玲祈のおかげってのが癪だけど」
 今度は惑わされたりしない。大丈夫。手にはあの温もりが残ってる。
「咲ー!」
 木霊すらしない空間。真っ暗闇であるゆえどこ前でも広がっているようにも、とてつもなく閉鎖的にも感じることが出来る。
 体勢が固定されていない限りは平衡感覚ですらあやうくなる。今はその体勢だけは玲祈の技の内で保たれてはいた。
「このどこかにはきっといるはずよ」
 私が来るのを、咲なら待ってる。そう、大丈夫。
 真夜は自分に言い聞かせていた。
 もうすでに真夜は闇に圧倒されていた。足下から闇へ落ちる感覚は、十分真夜の心を震わせるに足りた。
 大丈夫と言ったのに、眼はすでに空ろだった。寒くて自分を抱いた腕さえ今にも落としそうに、力が抜ける。
 また目の前が薄暗く、あの時のように浮かび来るように真夜には思えた。
 悲鳴が、断末魔の声が遠くから耳に響く。
 小将二人の姿さえ真夜にはもう見えていなかった。
 闇が、真夜を包もうと這い上がる。
 悲しみも苦しみも、憎しみや怒り、浅ましさ──。そんな泥々とした人の心の底が真夜を呼んでいた。こっちへと言う声に、真夜は捕まりかけていた。
 声が聞こえた。
 戻っておいで……。
 手に温もりが戻った気がした。
 真夜の希望の光が小さく闇の底に灯る。
 大河時代劇を思わせるヴィジョンからもとの暗闇に意識を戻した咲は、その光を見逃さなかった。
 なんの光か最初は分からなかった。触れたらいつもの泣き虫な友だと、咲には分かった。
 また泣いてる。人の見ていないところで。
(馬鹿ね──。大丈夫よ、あなたはそっちには行かない)
 閉じた瞼の上から、真夜は柔らかい肌を感じた。
「私を迎えに来たんじゃないの? 真夜」
 懐かしい声がする。
「私を忘れてどこに行くの」
「さ……き?」
「目を開けて見てみたら?」
 目隠しの手が外れた。
 放課後校門で別れたままの親友の顔が、すぐそこにあった。少し怒り顔で。
「咲……」
「情けない顔してないの。私はブ・ジ。そんなに私がいないとやってけないわけ?」
 咲は溜め息混じりに苦笑した。
 自分でも分かってる。真夜が戦いから帰ってくる場所で、待ってるのが自分の役目で、そうしていてやりたいと思うのは自分の気持ちなんだと。
「咲……何か見せられた?」
「期待したのに私に寄り付かないみたい。そんなことは後よ」
「……やっぱりどう脱出するか、よねぇ」
 真夜は頬を掻く。
「も……しかして、何も対策考えてな……」
「あっ、ひっどい。これは緯仰おにいさんの作戦で」
 咲は横目にちろりと見やる。真夜は言葉を詰まらせた。
「ふ〜ん。おデート邪魔して悪かったわねぇ」
「別にデートじゃぁ。久々に父様に会いたいって言うから!」
「それで? どんな作戦よ。これって真夜の力でどうにかなんないわけ」
「分かんない。けど、大丈夫だからって緯仰おにいさんが」
 ──真夜ちゃん。
 また真夜にはあの声が聞こえた。
 懐かしくて、くすぐったい青年の声が、間近に聞こえた。


 
 

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