『式師戦記 真夜伝』

 
 第四十三話 陽光の陰に
  


 目覚まし時計が鳴らない。いつも起こしに来るうるさい世話役の声も、そういえばここ最近聴いていない気がする。
 なんだか疲れたような気がした昨日が遠く感じた。
 手触りになんとなく覚えがなくて薄目を開ける。あるはずのない高い位置から日がそそぐせいか、やたらに視界は白く色味がない。色彩を探してまばたきすると、真夜は窓辺に立つ人物に驚いた。
「い、緯仰おにいさん!」
 布団をひっぱったまま真夜は飛び起きる。
 起きぬけにいるわけのない人が目の前にいる。周りを見るとここは病室のようだった。
 真夜は昨夜の、三枝での戦いを思い出した。あの闇の穴からの脱出したあと、意識をなくしていたのだ。
「起きたかい。熱は? 気分はどう」
 そっと枕元まで来ると、緯仰は真夜の額に手を当てる。
「ん……。なんだか頭がぼーっとして」
「熱は、ないね。力をずいぶん使ったんで疲れたんだよ。念のため一晩泊めてもらったんだけど、大丈夫だって。今日が土曜日でよかったね」
「ここ……」
「睦夷の病室だよ。いまちょうど果月さんが、佐伯さんの奥さんの病院にちょっと行ってるんだ。さっきまではここにいたんだけど」
 緯仰は申し訳なさそうに笑った。
「もしかして、生まれたの!?」
「女の子だって。明け方に生まれたそうだよ」
「ホントに!?」
「昨日僕らが一式を出た後で連絡がきて、果月さんもずっと付き添ってたんだって。僕が電話したら血相変えてここに」
「……」
 何かを言いかけて、真夜は口の動きを止めた。
 不思議と夏のような、底無しの陰鬱な気分はなかった。
「……緯仰おにいさん、咲は?」
「隣りの病室にいるよ。咲ちゃんのお母さんとお姉さんが付いてる。ただちょっと精神的に疲れすぎちゃったかな、まだ目を覚まさないんだ」
「私も、行って来る」
 ベッドに足を降ろすや立上がりざま体が傾いた。そこを緯仰の腕がすくう。
「ほら、無理しないで」
「大丈夫です」
 笑顔を作るが、まだ真夜の足はふらついていた。動くと体がちょっとだるい気がする。
 隣りの病室では咲がベッドに横たわったまま、眠りが深いのか間隔のゆるやかな呼吸をしている。
「起きれたのね。お疲れさま」
 傍らで本を開いていた咲の母が振り返る。
 寝ている親友にそっくりな声だった。
「おば様……」
「まだ、起きないの。真夜ちゃんは起きてきて平気?」
 真夜は頷いた。
 壁際の簡易ソファには、咲の姉の涼が背に凭れていた。
「涼ちゃん……」
「この子も昨日は一睡もしないで、朝まで何かと動いてたから。さっき来たばかりなんだけど、寝ちゃった」
 その母の眼もまたいつもの冴えがない。けれど二人の娘を柔らかに見守っていた。
 眠る咲の普段血色のよい肌が、いまは青白くも見える。
 何を頑張ったのか知れないが、真夜はみぞおちが締め付けられる思いだった。
 そうして黙ってしばらく居たが、自分が見ていても何も変わらないと、真夜は咲の病室を出て自分の病室へと足を向けた。
 廊下の先のつきあたりで、まだ小さな男の子がちょうど反対側から来た少年に駆け寄って行く。
「れいきにーちゃん!」
「おっ、元気してたのかよぉ!」
 玲祈は足に抱き付く男の子の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「うん。にーちゃん最近遊びに来てくんないんだもん、僕つまんなかったんだ」
「わりぃわりぃ」
 謝り倒したからか、男の子は機嫌を直したようだった。
「玲祈くんと鎮破くんにやってもらった時の子で、尚太くんて言うそうだよ。ああして時々お見舞いに来てたみたいだけど、最近は鎮破くんに修行を頼みに行ってて来られなかったらしいよ」
 声に気付いて病室を出てきた緯仰が言う。
「玲祈が、鎮破に?」
 廊下のあちらで看護師が尚太を呼ぶ。
「尚太くん、お熱計る時間ですよ」
「はーい!」
「またな、尚太」
 見えなくなるまで見送ったのか、一つ息を吐いて玲祈はこちらを向いて真夜を見つけた。
「真夜! 起きて大丈夫なのか?」
「平気よ。あんたこそ大丈夫だったの? ずっとああやってたんでしょ?」
「あのくらい、どうってことねえよ。そういえば咲は起きたのか?」
「……まだ。様子は見て来たけど」
「そっか。なんか咲の姉さんが言うには、三枝の意地ってやつで気を張ってて、そんでまあ疲れたんだろって。医者は過労だって言ってたらしいし」
「呼んだかい? 四式の坊っちゃん」
 オールバックにしたざっくばらんな髪に、丸い縁の眼鏡、そしてうっすら無精髭を生やした男がひょっこり玲祈の後ろから顔を出した。かろうじて白衣と聴診器で医師と分かる。
 けれども年齢は不詳に見えた。
「はじめまして、一式のお嬢さん。噂はかねがね聞いてるよ、棗ちゃんから」
「……真夜です、はじめまして」
 こわ張りながらも真夜は名乗る。
「睦夷匡悟だ。一式の人間にはここは不本意かもしれないが、我慢してくれるかな」
「それは……」
「睦夷の跡取りさん。またサボリかい?」
 緯仰が、真夜の首に腕を回す。
「おっと、棗ちゃんのいとこくん。あいにく回診の途中でね」
「あんまりいじわるしないでもらえるかな?」
「挨拶しただけさ。君の可愛い人に手なんて出さないよ」
 わざとらしく匡悟は両手を上げると、廊下を戻っていった。
「……いつまでひっついてる気だよ、おっさん」
「いつまでも」
 玲祈の視線は、頬を真っ赤にそめる真夜を捕らえる手にあった。
「真夜がゆでだこになっちまうだろうが」
「おいしくいただくまでだよ」
「このっ──」
「玲祈さま、ここは病院です。お静かに」
 とうとう手が出そうになっていた玲祈を、追って来た暁哉が小声にたしなめる。
 真夜を見止めて暁哉は安堵したようだった。
「目を覚まされたのですね。夏のこともあったので良かったです。咲さんは?」
 真夜は首を横に振る。
 緯仰は真夜から腕を離したが、肩に手を掛けた。見上げる真夜と目が合い、緯仰は微笑する。
「……そうだ。鎮破も一緒だったんでしょ。川間はどうだったの?」
「はい、出たには出たんですが、肩透かしを食らいました」
「肩透かしっていうと?」
「すぐに、逃げられちゃったんだって」
「私はその場を見てたわけではなかったのですが、鎮破さんが珍しく苛立っておいででしたよ」
「こちらの様子を見るなり暁哉を置いて、てめえはさっさと帰りやがったんだぜ、あいつ」
「宗蓮寺から三枝神社までの間、珍しく辰朗に声を荒げてましたからね。大きな獣型だったそうですが……。何はともあれ、皆さんご無事で何よりでした」
「影……そうだ緯仰おにいさん、影は? いたんでしょ三枝にも」
 心配そうに見上げる真夜に、緯仰は再び笑顔を見せる。
「いたにはいたけどね。川間と一緒ですぐ帰っちゃったんだ」
「結局役立たずかよ」
「玲祈様!」
「戦線布告されちゃった。今後、さらに数が増えるな」
「逃がしたってことはまた来るんじゃないのか、そいつが」
 緯仰はただ笑っていた。
「れーき! いやに緯仰おにいさんにつっかかるのやめてよね!」
 真夜がずいっと玲祈の顔にすごむ。いきなり視界が真夜の顔で埋まると、さすがに玲祈は言葉に詰まり赤面寸前で目を逸らした。
「とにかく、今日明日は真夜ちゃんも体を休めることに専念しないと」
 意味あり気な眼で真夜が見上げていた。緯仰もただ穏やかな笑みで真夜に見る。
「真夜」
 背後から足音が近付いて来る。振り返った真夜は病院内であることを忘れて大きな声を出した。
「母様! 佐伯!」
「真夜様、ご無事で安心しました」
「女の子が生まれたんでしょ? 名前はもう決めたの? 夕美さんに付いてなくていいの?」
 真夜は顔を見るなり詰め寄った。
 矢継ぎ早に言われて佐伯は焦った。なにせ久しぶりのまともな顔合わせだと、今さら思いつく。
「真夜ったら。玲祈くんも来てたのね。昨日はありがとう」
 ふいに果月から玲祈は声を掛けられたが、上手く言葉が出てこない。
「いえ……」
「果月さん、それでは僕はこれで」
「付き添ってもらっちゃってごめんなさいね、緯仰くん」
「ゆっくり休ませてあげてください」
「え! 緯仰おにいさん帰っちゃうんですか!?」
 佐伯に詰め寄っていた真夜にも聞こえたらしく飛んでくる。
「ごめん、ちょっと思い出したことがあるんだ。また会いに行くから」
 今度は邪魔されないようにデートしよう。
 真夜にだけ聞こえるように残して、緯仰は背を向けて歩き出す。
 輪の外から睨む嫉妬の目も、警戒するようにこちらを探る目も、緯仰は気付かないふりをした。
 五式は古くから武芸を磨き道場を構えて来た。源流はそれこそもののふと言われた頃に始まり、その技はいまは現代剣術として埋もれるに至る。
 急な客に鎮破は機嫌を損ねていた。
「手短に願います」
 タイミングもさることながら、相手も相手でその両方に不機嫌となっていた。
「そうだね。このあとも仕事が待ってる」
「出るんですか」
 出る、とはまた単独でなにがしか影に仕掛けるのかと鎮破は言う。
「いや、表の仕事さ。……驚いた顔をしているね。なにも式に関することだけじゃないよ、やっていることは。一応社会人だからね、父の仕事を手伝ってる」
「……丸崎の事業ですか」
「うん、そう。取締役なんて堅苦しいけどね」
「……」
「それで? そっちも肩透かしを食らったそうだね」
 溜め息をつく鎮破は珍しい。
「……そちらもですか」
「戦線布告されたよ。一気に数が増えるね。すでにいくつか報告も受けた」
「それは日暮さんからの報告ですか」
「そう……。結局出るには出るんだけどね。川間に出た影について聞いておきたかったんだ」
 緯仰は自嘲気味に目を細めた。


 
 

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