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 『式師戦記 真夜伝』第四十六話 覚醒と自覚と
 
 真夜はあれから起きる事なくいつとも分からぬ夜を迎え、時間が分かるやいなや再び眠りの淵に沈んでいた。
 はっきり意識を覚醒させたのは月曜の朝。それでも睡魔は真夜から離れなかった。
 教室で聞こえて来た盛大な溜め息は、いつもそばにいる親友のものではない。
 「真夜ったらどこまで居眠りしてんのよ。最近ずっとじゃない」
 真夜は鞄を開けた手を止めて、人目もはばかりたいほど大きくあくびをしていた。
 「毎回ハヤ先が気付かないのもおかしかいけど。せっかく突っついてあげたのに起きないんだからさっ」
 「すっっっ……っごく眠いんらっれ」
 ふあ、とまた口が開く。
 「咲が心配で眠れなかったんじゃないの? でも良かったよね、いま家に帰ってるんでしょ?」
 「実家でしばらく安静だって」
 夏の名残も過ぎ去った頃に受けた、祓い師三家への影の襲撃事件で、三枝を襲った影は咲をその闇の内に落とした。
 緯仰指示に助けられなんとか真夜は咲を救い出したのだが、祓い師である咲は兇の浸蝕を受けないかわりに精神を使いすぎ、助け出された後しばらくの間昏睡状態のままでいたのだ。
 その時の疲れも癒えないうちに、前日を皮切りに大勢となった影の処理に出たが、真夜はその直後倒れてしまう。
 怪我や体の変調はなかったが、それでも影を消し飛ばした力の開放の負担からか、気怠い眠気に襲われ、いまなおそれが続いていた。
 「過労って咲がなにやったら過労になるの」
 幸い数日で意識を取り戻した咲は静養のため実家である三枝に戻っていた。
 「無鉄砲な真夜じゃあるまいし」
 実佐子は豪快に笑い飛ばした。窓の外を見て笑いを止め、今度はにやにやと真夜の腕を突っつく。
 「真夜、真夜。あ・れ」
 校門のところには、学校という場所に似つかわしくない年齢の青年が一人立っている。
 「毎日毎日、愛されてるぅ」
 黄色声が幾つも教室に響き渡る。
 「やめてよーもうっ、じゃあね」
 「また明日っ」
 鞄をかっさらい教室を飛び出すと、視界一杯に男子の学校指定ネクタイの柄が映り込んだ。
 「おわっとぉ」
 「わーちょっと成田邪魔!」
 「邪魔とはなんだよっ」
 押し退け走り出した真夜はもうすでに、階段に姿を消していた。
 なぜか黄色い声にわいていた教室の中、まだ残っていた女子数名が窓際に詰め掛けて騒いでいる。
 「えー、うっそホントにぃ!?」
 「カッコイイ! 大人じゃん!」
 その一人が、部活にいったはずのクラスメイトが戻って来たことに気付いて首を傾げていた。
 「あれっ、成田じゃん。部活は?」
 「おお、今日はミーティングのみっ。なんなんだよ逸色のやつは、邪魔はねぇよ邪魔は」
 「あれよ、あれ」
 他の女子が窓の外を指し示す。
 昇降口から一直線に走る真夜のその先に、見慣れない青年を成田は見つけた。
 「……逸色の兄貴?」
 「違う違う」
 背格好と歳を考えると分からなくはないが、晶菜は手を振って否定した。
 実佐子の口の端からは健康的な白い歯が見えている。
 「あーあ成田、ご愁傷様」
 「えー! 成田もしかして真夜のこと!」
 張り付くほどに窓の外を見ていた成田は、素早い早さで顔を振り向かせた。
 残っていたクラスメイトやらに詰め寄られた成田は慌てて逃げ出して、階段の踊り場の窓からふと校門の方を見てしまった。
 「緯仰おにいさん!」
 「お帰り、真夜ちゃん」
 息も切れ切れになるほどに、真夜は彼の下に走った。
 約束などなくも、あれから毎日と緯仰は迎えに来るようになっていた。
 眠気だけではなく体のだるさ。貧血のような感覚には迎えに来てもらえるのは嬉しい。迎えの相手も相手でさらに嬉しい。
 しかし毎日毎日と迎えに来られるようになったことを意識すると、恐縮と気恥ずかしさに真夜の顔は紅潮した。たぶん眩しい笑顔のせいでもあるだろう。
 「顔色は……いいね」
 そっと、しかし確実に伸ばされた手に真夜の額が包まれる。
 「大丈夫ですっ。ただちょっと……ねむ……いだ……け……」
 歩いているはずの足が、膝裏から浮いて来る。目を開いていたいのに、瞼がそれを裏切った。
 一式に着けば、普段どおり戻って来た佐伯が、ここ連日お決まりのように横付けされる車を待ちわびていた。
 緯仰の腕にすっかり体を委ね、真夜はすやすやと寝息を立てている。
 「……またですか。熱は……ないようですが」
 「ゆっくり、休ませてあげてください」
 名残惜しげにも、緯仰は佐伯に真夜を渡した。
 「しかし……おつとめは……」
 「ご心配なく。僕らでなんとかしますので。それよりも──」
 「ええ。それはすっかり落としましたはずです。まだ自信はありませんが」
 「お願いします」
 離れたばかりで、ハンドルを握った緯仰の胸には熱いものがふつふつとしていた。同時に脳裏に焼き付いた愛しいと思う寝顔が、その口から息を零れさせる。
 「無理をさせ過ぎか……」
 後悔を生むな。耐えろ。
 警鐘のように胸の中で繰り返し響く叱咤に、緯仰は目を伏せる。
 悲痛な声が蘇る。血を吐き、苦痛にゆがむ顔が頭をよぎった。
 違う──あれは。
 丸崎の家まで帰り着いた緯仰は、車に乗ったままに携帯電話のボタンを押す。
 数回のコールで、聞き慣れた相棒の声が聞こえた。
 「暮か。すまないが出てくれないか」
 一と言えば十の対応をする長年のパートナーはそれだけで通じていた。
 「この前言った通りだ。一式は出来るだけしばらく休ませる。四式もまだ動けないだろう」
 「そんなに酷いの?」
 暮は動じた様子もなく聞き返す。
 「動けない程度にはな」
 「分かったわ。数が数だもの。鞠ちゃんにも伝えておく。そうね──一時間くらいで出られると思うわ」
 「頼む」
 
 
 
 四式の術を振り切り二度も逃げ去った影を、鎮破は苦々しく思い出していた。
 確かにあの時、玲祈は影の挑発で手負いとは言えどもいつも以上の力を出していた。おそらくは力の差がかえって火を点けることももちろん踏まえてはいた。
 「傷は」
 「まだ、塞がり切らないんです」
 暁哉は沈痛な面持ちで答える。
 「余計なことを言うなよ暁哉」
 ベッドで寝転んだままの玲祈は頭に手を組んだ。暁哉の言葉気にいらないらしく顔を伏せている。
 「兇も、まっさらにしたはずのお体にここまで染み込むとは……傷を中心に酷い有様でした」
 「次はぜってぇぶっ飛ばす」
 「玲祈様っ」
 「しばらくは無理だな」
 玲祈は奥歯を噛み締める。
 「お前さ……力ってどうやって出してんだ? こないだのあれ、違うだろ。影もだ……。あいつも違うだろ。最初といいこないだといい。桁が違うのは、分かった」
 玲祈は勢いよく起き上がろうとしたが、肩から走った痛みでその動きが制限された。
 「教えろよ………どうやれば勝てるっ」
 「俺にも分からん」
 「はあ!?」
 「キマと言ったな……あの獣の影は。界源一葉、お前読んだことがあるか」
 「あれだろ? オレらのご先祖が影のモトを封じた話から始まる」
 「その原文は」
 「ねぇよ、古文なんて国語不得意のオレ」
 玲祈は鎮破の空気の変化をぎりぎり感じ取る。影の前段階の群れを前にした時から、思えば鎮破は様子を変えていたと玲祈は思い至る。
 「……隠すことあんのかよ」
 玲祈の視線受け取った鎮破は静かに口を開きかけたのだが、気を変えて玲祈の部屋のドアを開けた。
 妙な短い悲鳴を上げてそこにはここにいないはずの玲祈の姉、鞠が立っていた。
 「は、はっろーん……」
 ぎこちなく鞠は手のひらを閉じ開きする。
 「鞠さん」
 「ねえちゃん!」
 声を上げた拍子にまた玲祈の体を激痛が駆け回る。
 「なぜここにいるんですか」
 「なによ、自分の家なんだから帰ってきてたっていいでしょう?」
 鞠は珍しく鎮破を上目遣いに見た。
 「立ち聞きする必要まではないのでは?」
 「やーね、玲祈の様子見に帰って来たらしーちゃんの声も聞こえてきたから、ドアの前で待ってたんじゃない」
 話すうちに自分の言葉に自信を得た鞠はすでに力説体勢に入った。
 「会話が盛り上がってたから気を利かせたのよ。れーきぃどうなのよ調子は」
 立ちふさがっていた鎮破の脇から鞠は顔を出して様子をうかがった。もちろん半分は真実であるから、気遅れする必要はないと鞠は判断を下した。
 「このくらい平気だって」
 「まだ学校をお休みするほどです」
 「だから余計なこと言うなって」
 実弟とその世話役のやり取りを軽く流し、うっかり忘れていた丁度よい小道具を思いだし。
 「そーいえば、これっ」
 鞠は扉の向こうから紙袋を取り出した。
 「表に裟摩子ちゃん来てるんだった。玲祈にはいっ、お見舞いだって。ケーキよねそれ。後で私にもちょうだいよね。それからしーちゃん」
 もったいつけた態度で鞠は鎮破を振り返った。
 「裟摩子ちゃんが表で待ってるの。人数多いとって、気を遣ったみたい。玲祈もこんなだし、外で待ってるって」
 そう言うとあっさり鞠は退散していった。
 「続きはまただ」
 鎮破も部屋を出ようと背中を向けた。
 「ちょっと待てよ……おい!」
 「一言だけいっておく。丸崎のには注意しろ」
 玲祈は呼び止めかけたが虚しくもその前に扉は閉じられてしまった。
 四式の衿子の見送りを断り出て来た鎮破を、はらはらと紅葉舞う秋空の下で、裟摩子は黙って待っていた。
 「お久しぶりです」
 裟摩子は漆黒の髪を揺らして頭を下げた。
 「わざわざどうしたんだ」
 「真夜ちゃんと玲祈くんのことを聞いて、私にもっと何か出来ることはないかと、思ったんです……」
 語尾は消え入りそうになり、裟摩子は俯いた。
 暮から入る依頼は数はけして少なくなかったが、浄化の白ばかりであることに甘えすぎていたのではないかと、裟摩子は自分を責めていた。
 
 
 
 
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