『式師戦記 真夜伝』

 
 第四十七話 迷い子よ此処へ
  


 
 足音が遠ざかり、話し声もひとつとしてない。
 自室の内側から聞き耳を立てていた鞠は、廊下の気配をしっかり確認してから部屋を出てきた。
 鎮破が帰った部屋には、自分の寝床で弟が一人ぶすくれている。
「れ・い・きっ」
「なんだよ姉ちゃん、さっきから」
 玲祈はふてくされた顔を背けた。
 鞠はもったいつけて笑いながら、扉をくぐる。
「ダメねぇ真夜取られちゃって。まあ、コウさんに敵うわけないけど」
「……コウさん?」
 両手をあげて高説し始めていた鞠は、玲祈の反応に内心しまったと、慌てて手を下ろして話題をかえた。
「あー、ねぇ暁哉!
 悪いけど駅まで送ってくれない?」
「ええ、良いですが」
 お人好しが服来て歩いているような、四式家姉弟専用運転手は疑いもなく二つ返事だった。
 単細胞と運転手が気づかないうちに、いそいそ支度した鞠は暁哉を急かして家を出た。
「ありがとう、暁哉」
「いえ。お気をつけて」
「わかってるわよ」
 駅のロータリーで、車が見えなくなるまで見送ってから、鞠はバス乗り場を挟んだ向こう、待ち合わせスポットになっている辺りを振り返った。
 見知った青年が一人で立っている。
 近寄って行けばすぐ気が付き、男は寄りかかっていたモニュメントの台座から背を離した。
 これがデートの待ち合わせなら良いのだけど――鞠の心にはそんな言葉がよぎった。
「お久しぶり。元気そうだね」
「元気ですとも。コウさんこそ、真夜とはどうなんです?」
「相変わらずだよ」
 鞠は、目の前にいる男の裏の姿を知る数少ない人間だった。
 そして、その数少ない人間がまた一人揃う。
「待たせたわね」
「暮さん!」
 ほどなくして現れた女性は、鞠より幾分年上で上品なスーツを着こなし颯爽と歩いてきた。
「暮さん仕事は?」
「今日は午後から休暇」
「適当に店に入るか」
 緯仰は駅のロータリー中央に立つ時計塔を振り仰いだ。
 揃って入った大通りの喫茶店で、三人はその窓辺に席を取った。
「久しぶりよね。こうやって顔を合わせるのは」
 暮は通りに面したガラス窓から外に目を向ける。
 駅前の品の良い喫茶店に落ち着いたのは、もう夕方の帰宅ラッシュ時で、外はひっきりなしに人が通っていた。
 コーヒーにミルクと砂糖を入れてかき混ぜたまま、鞠が呟く。
「大掃除か……とうとうやっちゃうわけね」
「凪火ちゃんにはすでに話した。前々から決めていたとおり、頼んである。鞠ちゃんにもあのとおりにお願いするよ」
 鞠はその微笑みに、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「……コウさん。棗ちゃんには?」
「話してないよ。お互いあまり干渉し合わないから」
「イトコってそんなもん?
 だって知ってるんでしょう?
 しーちゃんには?」
「勿論言ってない。けど、あの二人なら分かるから、出てこないよ」
 最後の言葉は、二人を知る鞠には腑に落ちないものだった。
 棗も鎮破も、強力な力を感じ取れば反応しないわけはない。何も聞かせていないのなら、特に鎮破はなおさらだ。
 だが緯仰には、出てこない、反応を示さない確証がある。目の前に表された、誰も寄せ付けない微笑みがその証だ。
 その意味が鞠には繋がらない。繋がらないが、自分達はチームだ。
「……まあいいけど。私は私の仕事をするだけだし」
 話を聞く側に回っていた暮からは溜め息が漏れる。
「私はまた裏方なのね」
「いつもの役回りさ。君は――」
 緯仰がコーヒーに口をつけようとした一瞬の間、三人の会話が凍りつく。
「コウさん」
「いるわね」
「少し……強いな。依頼のじゃない、朱印付き以上だ。いや、大物かもしれないが」
「私が行く」
 鞠が勢いよく席を立った。
 緯仰は動かない。何事もないように、そのままコーヒーをすすっている。
「頼む。それまで今はあまり動きたくないからね、僕は」
「気をつけてね、鞠ちゃん」
「まかせて」
 二の腕にこぶをつくり、急ぎ足で鞠は店を後にした。



 俯く裟摩子を隣りに座らせ、四式の家より鎮破は車を出させた。
「良かったのか。あいつなら構わないと思うが」
「はい」
「佐伯については聞こえてこないものだから、そのままにしていた。棗さんに変わりはなかったのか?」
「こちらはあまり大事にはなりませんでしたし、棗さんも特に変わった様子は……棗さんにも何かあったんですか?」
 俯いていた裟摩子はハッと顔を上げ、隣に座る鎮破を凝視した。
 だが、鎮破はただ一言否定する。
「いや」
「……そういえば、佐伯本家から戻る際、棗さん一人でまだ残ると言ってらしたので、私だけ帰宅したのですが」
「一人で残った?」
「はい。けれどたぶん、今回の佐伯祓い師の交替の件じゃないかと思ったんです」
「二式と三式は、確かあれ以来」
「……満誉《みつのり》さんに替わって、佐伯の本家筋の方にしていただいておりました。佐伯家の意向で、今回また替わることになったそうです」
「辰朗、何か聞いていないのか」
 ルームミラー越しに、運転手を務めていた辰朗に鎮破は問いかける。
 免許を取ってまだ半年というのに、辰朗はもうベテランのようにハンドルを握っていた。
「俺まではまだそっちの情報は入ってないな。近々でっかい儀式があるのは聞いたような気はするけど」
「儀式?
 なんの儀式だ」
「俺もよく知らないんだけどさ」
「後任は誰に」
「それが――」
 ちょうど赤信号に車が止まった。
 ふと目を上げた先、頭上にそびえるビルの非常階段を上っていく人影に、裟摩子の目は釘付けになった。
 背格好だけではなく、夕日の当たった顔は間違いない。
「鎮破さん、あそこに棗さんが」
「辰朗」
「はいよっ」
 信号が青に変わる。
 辰朗は思い切りアクセルを踏み込み、ハンドルを急回転させた。



 秋風が冷たく頬を通りすぎてゆく。
 目の前に現れた夕焼けに、棗は駆け上がってきた足を止めた。
 すぐさま左右を見渡すが、それこそ影も形も見当たらない。
 気配を追って登ってきたのは間違いなかったのだが、肝心のその者が見当たらない。
 焦りから棗は四方八方に目を移した。
 その隙だった。
 背筋に冷たいものを感じて振り返る棗のすぐ頭上、夕焼けの色を覆い隠すように“影”はそこにいた。
 息を飲む間に影は雨のごとく、その体を降り注がせる。
 そのまま足元に広がった黒い穴から、舞い上がるように影は自らの身を再構築した。
 飛び退くと同時に結んだ印を、棗は影に向ける。
 祓い師三家への影の襲撃以来、たびたび感じていた気配を帯びて、一人の男が街中を歩いていた。
 背後からの背格好のみならず、わずかに見て取れた顔は、棗にとってひどく懐かしいものだった。
 いるはずもなく、いたとしても影の気配を撒くはずもなく、棗は不安に駆られて我知らず追っていた。
 今日こそはとここまで追って来た。
 陽はまたしばしの眠りに入り、忍び寄る夜が一段と影の闇を深くさせた。
 心に掛かった理由の破片すらなく、まぎれもない“影”は立っている。
「ワレをナニとミマチガエタ」
「――さあ、何かしら。わざわざ昼間、人混みの雑踏の間をぬって徘徊して、私をここまで引き付けた狙いは何?」
 影は口なく笑う。
 さわさわと黒い表面が波立つ。
 棗は印を結んだまま身構えた。
 ふいに自分の登ってきた階段から、駆け上がり来る足音が聞こえた。
「待て」
「棗さん!」
 階段から躍り出てきたのは、下で棗の姿を見つけ追いかけてきた鎮破と裟摩子だった。
「鎮破……裟摩子っ」
 鎮破は足早に、それに従うように裟摩子も棗の傍に寄っていった。
 棗を追い越し鎮破は一歩前に出る。
「あいにくだったな。多勢に無勢――引いたらどうだ?」
『ソレハ――どうかな?』
 影の声にまるでステレオのように別の声が重なる。
 三人は呼吸を忘れた。
 ずっと見据えていたはずの影のその脇から、背後の景色が霞む。
 いつしかそこだけは色味を帯び、輪郭もはっきりとなり、完全に背景を隠すように一人の男の形を取った。
 その男は影に寄りかかっていた。
「いたブラレに虫が三匹。よクモ揃ったものだ。釣っタノハ三ツ星だけのハズだったがナ」
 意外に気配は強くないが、時折ぶれる特徴高い声色は、影の中でも上位、おそらくは影百護の一人だろうと推察出来た。
 棗はその手に、最初の一撃のための印を忘れていた。
 鎮破も、一気にかたをつけるはずであったが、意外なお出ましに様子を窺っている。
 だがまだ余裕のある棗や鎮破と違い、場数の劣る裟摩子の背筋には冷たいものが落ちた。
 男の嘲笑う双眸が、向かい立つ三人を順に映している。
 一点にそれが止まった。
「カガリ、相手をしてやれ。奴は五ツ星だ。キマが怒らナい程度ニな」
「アア」
 触れていた手が離されると、カガリという影は威嚇するように気配を濃くさせた。
「逃げるのか」
 鎮破が静かに問いかける。
 その手はすでに月破刀の柄へと伸ばされていた。
「これでもワタシは忙シインだ」
 後方に身を浮かせ、鎮破たちを見下ろす。
 風にたなびく結われた髪は、そこに男の実在を証明していた。
「さア我らが同胞タチよ。ワタシの声に応エヨ。陽ハ地に墜ち、闇の時間ダ」
 両手をいやらしく広げる。
 聞いていたのかビル壁を、黒いシミ這い昇る。
 煙のように迫り形にならないものもあれば、途中から獣型になるものもあった。
 目の前の二体に比べれば下位に過ぎないが、それでも数が揃う。
 屋上へと上がるとそのまま三人目掛け向かって来る。
 男は頃合いとばかりに後方に距離を取った。
 月破刀の唾が鳴る。
「裟摩子、お前は棗さんを援護しろ。ここは任せます」
「は、はいっ」
「鎮破!」
 飛び出し、ひと振りふた振りと八割は数を減らした鎮破にはもう、棗の声は届かなかった。
 前をゆく男は後ろ向きにビル群を舞い、大して急ぐ風もなく鎮破を引き離していた。
 いちかばちか、人差し指に力を集中させ、敵に照準を合わせた。
 撃つ直前に視界の端に人影を捉え、目を向ける。
「……」
 反対側から現れたのは、一時間ほど前に四式の家で会ったばかりの人間だった。
 鎮破が見間違いたくとも見間違うはずのない人物。
「あ、あはははは……やほー、しーちゃん」
 視線を戻せばすでに敵の姿もなく。
 乾いた笑いを顔に張り付けた鞠は、そそくさと駆け去ってしまった。


 
 

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