『式師戦記 朔外伝』
 
 第二話 激情の所以
 

 それは千年も昔。この世には妖が跋扈していた。
 妖怪であれ物の怪であれ、御霊であれ八百万の神であれ、生き年生ける者とともにそうではない者たちもまた満ちていた。



「桂」
「はい」
 桂は、朔となっていた桂は、その父のまなざしに受けて立った。
 何事が起こったか分かり得ない周りの男どもは、狐に摘まれたようにただ見守る有様だった。
「お前は女子。郷に戻りなさい」
「女子?!」
 驚きのさざ波が押し寄せ、まだ事を理解していない目が飛び出すほどに見開かれた。
「私は戻りませぬ」
「女子である身のお前を、これ以上連れてはゆけぬのだ」
「どうしてです!」
 どうあっても引く気がない桂は食い下がった。
「お前はなぜ私達について来た」
「それは、……闇を葬り去りたいがゆえに」
「女性のお前にこれ以上出来ることはない。郷へ帰るのだ」
 桂は黙ったまま見据え返した。
 一人の人間が、桂を庇うように進み出て来た。
「それは、少し仰りようが過ぎるのではないでしょうか」
「駕之」
 桂の目の前を覆ったのは、束ねられたうねりのあるくせの短い毛を垂らした背中だった。
「駕之……殿」
「朔殿ではなく、桂殿だということ。私には以前より分かっておりました」
 肩越しに桂に向かって話し始めた。
「この六年。お父上であらせられる玄法様に、桂殿とそのお母上の息災をお伝えして来たのは、この私なのです。すぐにでも分かりましたよ」
 駕之は顔を戻して拳をつき、頭を下げた。
「玄法様。恐れながら、朔殿は姉上の思う通りにとのことでございます」
「それは誠か」
「はい。悪滅却の命姉上に託す代わり、母上は任されよと」
「朔が……」
「だが──」
 それまで目の前で繰り広げられる展開に、追いつく間なく驚きに浸っていた四人が立ち上がり、桂の周りを取り囲むように膝をついた。
「恐れながら、我らが五人はすでに同志の契り至極堅固なものなれば」
「女性の身に余る働きを、玄法様もお忘れではないと存じます」
「我らに不足の事態、あった例がありましょうか」
「どうか、このまま」
 駕之同様、四人は揃って頭を下げた。
 いつもなら檄を飛ばして一喝するところだが、玄法は迷っていた。
「──お前たちは幾人も闇に食われてきたのを見て来ただろう」
 玄法は静かに話始めた。
「我々は闇に取り込まれた者たちの苦しみを断ち切るため、引導を渡してきた。それは常闇の苦しみだ。何を吹き込まれ、また奪われるかは定かではない」
 玄法は目を伏せた。
「よく聞くが良い。女性とは子を宿す体。内に新たなる存在を宿すことが出来る。それだけ狙われるやもしれぬのだ」
 男子である駕之を含めた男たちは少々顔を見合わせたが、当の桂は玄法を見据え直し、頭を垂らした。
「桂よ」
「私は……父上。いえ、玄法様。私は皆と共について参りまする」
 五人の男たちも、拳をつき直す。
「どうか!」
 もちろん玄法はまだ納得はしていなかったが、全員のここまでの決意に了承しない訳にはいかなかった。
「相分かった」
 桂は一つ頷くと、取り囲む男達を見渡した。
「皆を謀った事、申し訳なく思います。……私は、名を桂と申す朔の双子の姉。女子の身と、足手まといにならぬよう努める所存。どうかよしなに」
 固い決意で味方したとは言え、そこまできっぱり言われた者共は、どこか決まり悪そうに顔を崩した。
「なあに改まってやがるんだよ」
 又兵なぞはは鼻をこすっては、はにかんだ様子だ。
 耐えられなかったのか、口早にして桂を指差した。
「女性とは知らなんだとは言え」
「今更態度を改める必要はなかろう」
「こちらこそ、どうぞよしなに」
 口々に汐畝と幡治がそれぞれらしい歓迎の意を語り、勒宵が桂を真似て会釈してみせた。
 いつの間にやらまた姿を消した駕之を除いて、その場は笑いに沸き返る。
 一団から抜け出て来た駕之は山道を下っていた。
 梟声のような鳥笛が近くに聞こえる。これは聞き慣れた合図だった。
 脇の茂みを揺らして顔を出したのは、駕之らより年若くみえる男だった。
「申……」
「厄介な事になった。都の使者がどうやら玄法様を探し回っている」
「なにゆえまた」
「噂を聞き付けたのだろう。宮廷の使いではないと思うが」
「貴族の差し金か」
「分からない」
「玄法様にお伝えしておこう。だがまず使者方の素姓を探らなくては」
 山風が二人の背に冷たく吹きすさんでいた。



 怒号と悲鳴とが交錯し、土煙が辺りを包み込んでいた。
 家屋の残骸の端には同じように炭色に煤けた人が倒れ、そのあちら側では血だらけで手を伸ばす人間もいた。
「なんて様だ」
 そんな様子を横目に又兵が吐き捨てる。
 山道を下る途中、立ち上ぼる黒煙と、かすかに聞こえる喧騒が風によって流れてきた。
 山を駆け下り里に着いた時にはご覧の有様だった。
「気をつけろ。まだいるぞ」
「しかしこれはひどい。下手すれば土地そのものが汚れてしまうぞ」
「汚れる?」
「闇が食い尽くし荒らし尽くした土地は、放って置くと人外の者が跋扈するようになり、人を害する」
 意外なことに桂の問いには幡治が応じた。気付くと幡治は一歩前に抜け出ていた。
「やはりいたか」
「大きいぞ、油断するな」
 流れてきた黒煙と荒立つ土煙が入り交じる向こうから、黒い影が躍り出る。
 幡治が自が先と切っ先を向けたのだが、それを桂によって遮られた。
「幡治、どけて」
「なに!?」
「どけろ!」
 駆け出した手はすでに前に押し出されていた。
「桂?!」
「一人で!」
 まばたく暇に桂の放つ光が闇の塊、影のようなその巨体のものの動きを封じた。
「幡治!
 又兵!」
「はっ!」
 声と同時に駆け寄り、第二撃を見舞う。
「滅殺斬《めっさつざん》!」
「炎刃裂滝《えんじんれっそう》!」
 耳を裂くような声を上げ、散り散りになろうとて触手を伸ばそうとしたのだが、
「闇よ、いや、影なる者よ、地の底に去れ!」
 まるで吹き消されたかのごとく一陣の風のあとには何も残ってはいなかった。
「桂」
「無茶をするな」
 幡治は涼しげに刀をしまう。
「そうだぜ。俺たちはお飾りかよ」
「……分かってる」
「なんだ、虫の居所でも悪いのかよ」
「それより、まだ息のある者の手当てを」
「そうだな」
 勒宵の賛意で取るものも取らずにてんでに散っては生きた者を探し回った。
 陽も暮れだし、陰りが地べたを飲み込んでゆく。
 村人に生ける者は見つからなかった。見つけられても次に瞬く時には骸と化したのだ。
 玄法以下は持てる力で土地の汚れを抑え、村人を弔った。
 具合の良さそうな場所に、まだ陽が山上に見えている間に火を焚き、一行は一息つく。
「桂。郷で何があった」
 落ち着いた頃合を見計らった玄法は桂と向き合っていた。
「お前の、あれへの執着。どうも解せぬ」
 それには、蚊帳の外にされた幡治や勒宵たちも、耳をそばだてる。
 神妙に姿勢を正しながら、桂の視線は地に向けられていた。
「三年前、郷は闇に襲われ、隣家の……桧樋を含め幾人かが犠牲になりました。幸い私どもは無事だったのですが、そのすぐ後におこった流行病に母上が当てられ以来伏せがちなっておられます」
「その闇を葬ったか……」
「はい。氏代の国での内乱の火を受けて、品の行き来もろくになかった後でしたので、里の半分は──」
「許せなんだか」
 すくと立ち上がった桂は、自然な動作で桶を取って
「水を汲んで参ります。……取れれば川魚も」
 足早に離れる姿を、玄法は複雑な想いで見つめていた。
「勒宵?」
 火から遠巻きに固まっていた輪から、勒宵が腰を上げた。
「一人では危険だろう」
「女子ゆえにな」
「幡治はまだ相棒の手入れをしてるといい。それに、どちらにせよ単独の行動はまだ慎んだ方がいいだろう」
「さきほどの闇、いや、影と呼ぶべきか。一人で片付けるにはちと重いものがあっただろう」
「まあな。手応えに不足なしというやつだ」
 握り開きを繰り返す手を又兵は見つめる。
「又。山の方はお前を頼りにしている」
「うるせえ勒宵。汐畝の下手な笛吹きのがよっぽど厄除けだ」
「なにおう!」
「私も何か取ってこれたら取ってくる」
 すぐに追いかけたつもりだったが、勒宵が桂に追いついたのは川べりに出てからだった。
 腰を屈めて桶を水に浸したまま、目許を細い指で払いのけていた。
「……」
 泣いているのかと思うと、なにか胸がほわりと暖かく感じられて、ほころぶ口からふっと声が漏れてしまう。
 振り返ろうとした横顔が、膨らみを帯びてあちらに向く。
「勒宵……何を笑ってるの」
「いや、いつも我ら他の四人より勇ましいからな。つい女性ということを忘れてしまう」
「その方が助かる」
 卯辰の山間には月が昇り始め空は二藍が染め出しているも、まだ陽の明かりが残る。
 桂には座っているように言い置いて、勒宵は狩袴をたくし上げ川に入った。
「いろいろ驚きはしたが、どうも朔と同じ顔だからなのか、ずっと共に旅をして来た感覚を覚える」
「私も。つい二月ほどしか経ってはいないがな。男子の話し方にすっかり慣れてしまった」
「だが、その御髪が朔ではなく別個たる桂という人間であることを胸に止どめてくれている」
「ああ、朔と私は違うもの。こちらの方が性に合ってるの。こう結い上げておけばこの格好だから、誰も一度疑いはしても本気で女子とは思わないだろう」
 男子の格好からは似つかわしくない滑らかな指が、桶になみなみ汲まれた水面を弾く。
「桧樋とは幼馴染みで、これからもこうしてお互い郷の中でずっと暮らしていくんだと思ってた。なのに──」
 そよぐ空気が後れ毛を揺らす。
「朔から聞いていると思うけれど、私たち兄弟はずいぶん幼い頃より闇、影の動く様を見ていた。朔は怖がったりもしたのだけど、ひと睨みしてやると童の眼力でもそれ以上里に近付いて来るような事はなかった」
「生まれ持った資質か。血は争えないものだが」
「結局襲われてしまった。二つ先の村まで、物を買いに出ていたの。近場の戦で物の行き来が止まっていたから。戻ったところがちょうど桧樋を飲み込んで闇の塊が出て来た時だった」
「それで──」
「今でも憎くて堪らない。夢に見ない日はない。闇を、影を滅ぼすその日まで」
 すでに幾らか魚を生け捕り終えて川から上がっていた勒宵が、近くの落ち枝で松明を灯す。
 炎の揺らめきにならって揺れる桂の伏せた顔は、数瞬の間勒宵を魅了していた。



 
 
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