『式師戦記 朔外伝』
 
 第三話 陰り
 

 あの時代、人間の支配する土地はまだまだ少なく、人目の届かない場所がそこここに溢れていた。
 昔、栄華を誇ったと言う都、その宮城を襲い公達や官を幾人も焼き貫いた雷帝でさえ、怨みの果てであったという。
 人の情さえ化けるならば、また人ならざる者も間違いなく存在した世界だった。



 峠を超えようとする者は誰もが立ち寄るという機織《きおり》の宿は、わずかにも特産の品のやりとりが芽吹いている。
 九十九折りの山坂を下った玄法一行は、そのいささか手前にある湧水の溜めで足を休めていた。
 機織の宿を前に休みを取ったのはほかでもなく、玄法は人を待っていたのだった。
「おお、来たか」
 木々の間を見知った顔がこちらに向かって沢を登って来る。
 だがその後ろには、桂の見知らぬ男子が一人、付き従っていた。
「申も来たか」
「ご無事でなによりにございます」
 短く切り揃えられた黒髪を揺らすその男子は、桂より幾分か幼いようであった。
「申、これは私の娘、朔の双子の姉の桂と申す」
「申《さる》と言います」
 向き直り合わせた瞳は、それでも劣らぬ輝きを宿していた。
「して、何かあったのか?」
「はい、この先の宿に都の方が」
「私を探してると申すか」
 恐れながらと駕之が申の話を引き継ぐ。
「玄法様。あれは安倍氏の一派かと思われます」
「安倍氏……?」
 郷から出たことのない桂は、まだまだ知らぬことが多かった。
 とりわけ都というものさえ漠然としていて、どのような所なのか想像もつかない。
 安倍氏とは陰陽寮に何人も入り、宮廷の信も厚い陰陽師の一族だった。
 いまや安倍氏と言えば都で持てはやされるが、その中枢は実のところ分家筋とされる家に移っていた。
 機織の宿に着いた一行はさっそくその使者と顔を合わせることとなったが、玄法はその顔を見て面食らったようであった。
「やはり答えは否か」
 その男道方《みちかた》と言い、安倍氏傍流の一人とされている。
 面差しから推察するに玄法からははるかに歳を下回るようだが、その真偽はまた別である。
「ああ。闇……いや、人の陰りを負うた者という考えから、影と呼ぼうことにした。言うたとおり影は、人の陰りが生み出す者だ」
 求めていた答えを道方は得心したように聞いていた。
「私の娘も、そこに気付いているようだ。もっとも自覚してはいないがな」
「やはり、あれはお前の娘御か」
「息子より聡いと見える」
 久方の杯を二人は愛でる。
 その間共をする者たちは、長い山歩きで使い尽くした足を冷水で労っていた。
「長いな。何を話しているやら」
「知古の仲らしいがな。私達は蚊帳の外だ」
 出された膳を、その腹にしまいながら又兵は頭を傾けていた。
「上洛だと思うか」
「いまの時期となると……考えられることだが」
「わざわざ探して来たお人だ。有り得る話しだな」
 予想に一段落つけたところで、今まで黙っていた桂がようやく口をはさんだ。
「皆は都に行ったことは?」
「一昨年に一度。元々都生まれもいるしな」
「都人?」
「私と幡治がそう。と言っても幡治の方が都は長いだろう。私はほんの幼き頃にいただけだ」
 汐畝の話しは、出自の話しをしたことがなかっただけに、自然と桂の興味をそそった。
「幡治は世に言う源家筋で、一つ間違えば大臣邸の警護の頭領といった大家なんだ」
「よせ、汐畝。捨てた名だ」
「もののふの血ってやつだよな、幡治!」
「又!」
 酒を少々あおったらしく、又兵の言葉の勢いさは幡治の神経を逆撫でる。
 意外な出自だと思いきや、さらに驚きの出自が飛び出す。
「お前も似たような者だろう」
「俺は都じゃなくて山だぜ、鞍馬は。それに一族が住み着いちゃいるが、俺がいたのなんて玄法様に付く前の何年かだけだぞ。生まれは志摩の海っぷちだ」
「又兵が天狗の子とはな」
 汐畝がくつくつと笑い声をたてたので、一気に場は湧き上がった。
 その波に乗れなかった桂は首を傾げる。
「テング?」
「京の鞍馬山に棲むという大妖らしいが……」
 笑いを堪えるので勒宵は精一杯らしかった。
「先祖が天狗ならその調子の良さもまさにと言ったところか」
 幡治までもが言うが、これはさきほどのお返しだろう。
「妖しの子呼ばわりされちゃ堪らないぜ」
 又兵は腕を組んで外方を向いてしまった。 のちに忍びと呼ばれる者の源流ともなった血が、ここに一つ在った。
 そんな様子は露知らず、玄法は気の置けぬ友といつにない饒舌をふるっていた。
「あれは物心ついた頃から、弟ともどもその姿を幾度となく見て来ていた。私が教えたわけではないが、郷に現れた影を退治したらしい。侮れぬ奴よ」
「さすがは玄鳥法師の申し子よといったところか」
「いや、安倍の血には負ける。こんな所まで出て来て良かったのか?」
「なに、答えを聞きに来るくらい造作もないこと、いまや禅譲した身だ。我らに手だし出来ぬことは分かった。しかし──玄法。おぬし自身とてそれにより汚れを受けている事分かっているのであろう」
「天命を全うすることは出来ぬだろうな」
「お前がそうなっているんだ。他の者とて受けないわけはなかろうて」
「来いと申すか」
「いかにも」
 形の良い頬骨に笑みが乗った。



 それはもっとも長く栄華を誇ったといわれる都となる。天災や怨霊を恐れ、山背の国にして四神相応の地と選ばれたる王都と遷された。
 潜る羅城の門ばかりか、桂にとっては何も彼もが大きく眩かったが、門に一歩足を踏み入れてから心も体もざわついてならなかった。
 見たことのない牛が引いた車や、また塀ばかり連なる大通りに、人の数たるやどれをとっても初めての光景に目を見張るのだったが、全身からのざわめきは嫌な感覚を落としている。
 この感覚はなんなのか、皆は感じていないか見渡すが、その表情からはどっちとも読み取れない。
 心だけでも落ち着かせようと息を吸う。
 冷やりとした後から喉の辺りが不快を訴え、咳き込んでしまった。
「大丈夫か」
「はいっ」
 いつもならそのまま前を行く玄法が振り返り、また同時に皆一斉の視線に桂の胸はひき締まった。
 折しも魂鎮めの祭りを前日に控え、都は浮ついた空気で満たされていた。
 そんな洛中にあった道方の邸は寝殿造りだったが、広い庭の大半は森の様に木々や草花が覆っている。
 長旅の無事を祝い、道方は細やかながらの宴の席を設けた。
「各々方、今日の都をとくと覚えて置くとよい。白虎」
「ここに」
 伺い覗かせたのは、汐畝のような白魚のごとき肌の若者だった。
「四天王ではつまらぬゆえ四神の名を授けておる。もっともいまの四天王は私のものではないがの」
 齢とは似つかわしくなくころころと笑ったかと思えば、次の瞬きには冷ややかな目つきを、道方という男はする。
「鵬雛はどこぞ」
「西の対にて結斎に入られました」
「なら良い。明朝は魂鎮めの祭りの儀を取り仕切るため、息子は奥に籠っておる。挨拶がさせられぬゆえ各々方には失礼致す」
 魂鎮めの祭りの儀は内裏におわす帝をはじめとする諸公・官人が取り囲む中、公にせず厳かに行われる。
 ゆえに民草はひと目も叶わず、外出禁止の令が出され皆屋に籠って物忌みすることとなっていた。
 道方に連れられた玄法だけは儀式の場の席を頂いた、桂ら郎党は道方の邸に籠り儀の終わりを待っていた。
「やはりな」
 暇を持て余し煮詰まるように点々と過ごす中から、半蔀の下に寄り掛かっていた幡治がその空気を割った。
「ざわつきが触るわけだ。陽光に靄がかかったぞ」
 一様に見上げると、靄が空を隠し始めていた。
 桂はおもむろに妻戸から外に出て行った。
「桂? どうした」
「外に出たいだけ」
 そう言ってそのまま簀子縁に降り、階を降りて中庭に立ち空を見上げた。
 気配ではないが何ものか、あるいは何らかの力が動いている事を、桂は肌から感じ取っていた。
「晴れてたかと思いきや。雨でも降りそうに黒くなって来たぜ」
 ひょいと庭に飛び下りて、又兵はひとごちた。
 胸騒ぎの様に、桂だけではなく皆同じく全身ざわめいている。いつしか幡治も勒宵も汐畝も、出て来ていた。 長い時間そうしていると遠雷が聞こえ出し、一度大きく光ると、そのざわつきは消え去った。気がつけば靄も明け、さきほどまでの天候が嘘とばかりに陽光が落ちて来る。
「儀は無事済んだようだな。だが──」
 弾かれるように桂が地を蹴る。他の者も後を追う。
 全身からのざわめきは消えたが、まだチリとする何かがやはり残るのを感じていた。
「これは──」
 大路に出れば、入り交ぜに鈍くもあることだけは分かっていた気配が鋭く刺激を与えて来る。
「なぜ」
 魂鎮めを終えた都は晴れ晴れとしているかに見えたが、それは反面。滅却すべき相手は何一つ天上のものとはならなかったのだ。
「魂鎮めの祭りに都にいたことがなかったが」
「おい、桂!」
 桂はさらに邸の門前から駆け出していた。
 出会った角は一つ一つ覗いては走る、あちらにもこちらにも気配はしたが、まだ何かがいると駆り立てられる。
 幾つめか分からない辻を曲がった鼻先を、掠め通る者がいた。
 幾分年上の様に見えた人相はすぐに被り物に隠され、それほど早くないと思われた足取りですでにはるか向こうに去っていった。
 土を踏む足音で気づくまで、桂はその方向を見たまま捉えられていた。
「今日に出歩くは誰ぞ?」
 辻のあちらから声を掛けて来た人物を、桂は返り見た。
「あ……」
「父のお客人か」
 雪花のごとき白さとはこのことではないかと、桂は思った。
 束帯を桔梗の襲ねにし、芍を無造作に下げている。
「挨拶が遅れ失礼した。摘明《つむあき》と申す」
「桂と言います」
「月の名だな」
 にこやかな会話であれば、姫君たちがどれほど見惚れただろうか。だが摘明という男は、声の調子とは裏腹に、一度とて表情を動かさないのであった。



 
 
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