『式師戦記 朔外伝』
 
 第四話 御霊の焔
 

 夕陽は沈み没してゆくゆえに象徴としては凶事と目されていたが、暁にはない紅の色は千年の都となる壮麗さを人々に魅せつける。
 しかし果たして何人が聞いていたであろうか。夕暮れが刻む陰りの中で、喜々として上げられる咆哮を。



 宵闇迫る山中をゆるり歩く一人の男がいた。
 陽はすでに山の背に隠れ、洛中よりも早く暗くなり足場も悪い。鬼が出ると都人はこんな時分、山に入るなどはしなかった。
 それでも、男は山の奥目指して歩いていた。
「紫鬼の子が都に戻ったか……」
 行き着いた先の多少開けた窪地には、大小の奇岩が苔むす地に頭を百と出している。
「母なる闇に拒されし護人どもよ」
 奇岩の上に人影、獣の影が現れ出る。
「都の様子、いかがでしたでしょうか」
「魂鎮めの祭り日よ。だが奴等は我らに手出しは出来ない」
「オンミョウジ?」
「ああ、そうだ」
 人影にも獣影にも、返答を与えた男は満足そうだった。



 又兵は台所を訪れ、器いっぱいの菓子を頂いて部屋へと戻って来た。
「桂はどうした?」
「また庭に出ているよ。気持ちは分かる。我らとていまだ落ち着かぬものがあるのだからな」
「まあな。だが腹が減ってはどうしようもなかろう。様子でもみてくるかと……あれは」
 桂は勒宵が告げたとおり、まだ落ち着かない気を納められないまま、再び庭へと降り立っていた。
 そこに渡殿を通って縁へと回り出た者を又兵は見ていた。
 庭の木々は紅が紫に変わろうとする空に色を吸い取られ、その姿を桂の両の目に映す。
 近付く音は一度目と違いすぐ気付くことが出来た。
 陽の最期の光りは摘明の肌の白さを浮き立たせる。
 男子であるはずの彼の者をいっそう艶やかにさせていた。
「そなたには分かるのか。魂鎮めの儀を行いても晴れぬものが」
 問いは突然だったが桂は頷いた。
 その瞳が空へと移る。
「影の気配は、未だ取り払われてはいません」
「なぜ影と呼ぶ?」
「闇の中に見出すから闇と。けれど違った。あれは陰りが生み出す影にすぎない。闇はもっと深淵のものだから」
 物言わぬ風の容貌が、惟《おもんみ》る色を帯びる。
「深淵か……確かにそうだ」
 ぶら下げた芍を持つ手とは別の手を、すっと目の前に翳された。
「そなたのそばには霊がおる」
 芍は真っ直ぐ、だが桂を突き通したあちら側を指している。
「そなたとは親しい仲だったらしい娘御の御霊だ」
 言葉の意味は、足から震えが徐々に頭まで駈け登った。
「……桧樋が!?」
「彼女はそなたのそばに在る」
「……よかった」
 いつのまにか階の上で見守っていた勒宵や幡治らは、魅き付けられるように庭へと降りてきた。
 桂の普段見せない様子が彼らの心を揺らしていた。
「奴等と身を同じくしてはいないかと……っ……」
 顔を覆い首を振る桂を勒宵がそっと、その胸に抱き留める。
「桂……」
 嗚咽と涙が自然に流れる果てるまで、桂は己の身をその包む胸に任せていた。



 桂の涙が明けるのを待っていた又兵は突拍子もないことを言い出していた。
「俺が天狗の子なら、あれは妖狐だぜ? なんでも二代前の清明師の母堂は大妖狐が一だったとかいう話しは有名有名」
 気まずい空気を一蹴したいと言う気持ちが率直に伝わってくる。又兵は気持ちに度が過ぎるほど真っ直ぐな人間だった。
「大層な陰陽師だったとかは私も聞いている」
 落ち着いたばかりの桂の耳に、父に遠い昔に聞かせてもらっていた寝つけ話しが蘇る。
 まだ郷で四人暮らしていた頃の記憶だった。
「時の月卿雲客には重用されたと言う。今も大事な祭事はこの一門が祭司を任されている。今日のが良い例だ」
「しかしこちらは安倍氏の分家傍流の筋と聞いたが」
「表向きはな」
「玄法様!」
 話しに割って入るかのごとく、道方を連れだって戻って来た玄法が部屋へと入って来た。その後ろには摘明も控えている。
 一斉に上座に向き直り頭を下げた中から、幡治が声を上げた。
「玄法様。我らが追う闇、影というのは──」
「おぬし達にも今日の起こった事で分かっただろう」
 玄法は迷いのない目で一同を見渡した。
「怨霊や妖しとは違う。しいて言えば、人の負が生みだす影なる者。そして陰陽道の者の業では通じぬこと、私もようやく確信し、あえてこの時期に確かめに京へ上った。だが、どうやらお前は分かっていたのだな、桂。深淵であるから闇、そうではなく人の影を負うたものだと」
 灯を浮かぶ桂の横顔がわずかに傾く。
 しかしその返答を受けて応えた者は玄法ではなかった。
「我ら安倍の者共は以前より、魂鎮めの祭りや陰陽の道では一掃出来ぬものがあると思うていた。確信ではなかったがな、どうも残るものがあるとのう」
 な笑いを造ってから、
「これは、わが息子の摘明と申す。今日は大層大儀じゃった。……我々はそれぞれの道で人に悪をなす者共を葬って来たが、玄法は我ら陰陽師とは別のものを見ていた。道が別とはいえ、見るものを同じくする道もある。怨霊などがそれじゃな。魂鎮めの祭りはその名のとおり、都に巣くう御霊を鎮め祓い清める儀。されどどうだ? 各々方。都は鎮まったかな?」
 宙に浮いていたように扇にとどめられていた双眸が、くっと向く。
 桂達ははっきりと首を横に振った。
「そうだの。明日摘明に神泉苑へ案内させるゆえ付いて行くが宜しかろ」
 さてと蝙蝠をたたみ、道方は立ち上がった。
「後は任せるゆえ、お相手して差し上げろ。我は少々、玄法と飲みたい気分だ。釣殿にいるゆえ」
 二人を見送ると、摘明は手近にいた又兵に突如てを差し出した。
「さて、手をお貸しいただけるか」
「オレか?」
 頷かれ白羽の矢を立てられ、おずおずながら又兵は手を乱暴に出した。
 白くか細い手が──おそらく、指の先が触れた。その瞬間、又兵は悲鳴と共に飛び上がった。
「痛ぇ痛ぇ。なにすんだ!」
「狐子と言われたのでな」
 くつくつと笑う様子はどこぞの父親によく似ていた。
「汚れを引き剥がそう。いまは少し勢いよくやったものでな」
「汚れとは?」
 息を吹き掛けながら手先を振る又兵の後ろから、幡治の声が摘明の視線を上げさせる。
「全く同一のものというわけではないが、怨霊どもが触れた私たち陰陽師は何者かを祓う時、万が一に下手なやり方を踏むと汚れというものにあたり、四百四病にかかりて命運を揺らされる。怨霊に憑かれた者の末路などまさにそれだ」
「身体にあっては良くないものなんだな?」
「だから引き剥す。順に手を出していただけないだろうか」
「では、私が」
 きりりと申し出たのはやはり、桂だった。
 白くか細い手に、か細いが火に焼けやや節くれ立ちぎみの手が置かれる。
 すると摘明は置かれた手に額を近付けた。
 まるで甲に口づけるかのように──。
 やがてどこからともなく、空気がさざめき二人の髪を揺らし出した。
 囁く声が桂の耳に届く。
「だいぶ……」
 摘明は自分の内に入り込んだものを取り払っているはずなのだが、桂は不思議と暖かいものの流れを感じていた。
 半刻など遠く及ばない時だったが、やがてそれが済んだ時、桂も、見守っていた四人も長い夢から覚めたような心地を覚えた。
「これで汚れは剥れただろう。……もっとも我らが言う汚れより兇々しいようだが」
 物言いたげに見つめられた瞳は、やや鶯色がかっている。
 何度みても男子ということを忘れてしまう。
「そなたら式神を作ることが出来るのではないか?」
 振り上げられた芍の先に仄明かりが点り、人の姿をした小人がひわりと降り立っていた。
「我の式神、鳳雷という。我と共に生き在ることを契った使い魔のようなものだ。問いかけてみよ。そなたを取り巻く形なき己が力どもに。祈るよう呼ぶように」
 桂は胸の前で手を組み、一心不乱に問い掛けた。
 取り巻く者、答える者はそれは亡き友かもしれない。
 いつしか桂は手の中に熱いものを感じた。それは破邪の炎から生まれた小人だった。
「桧……樋?」
 手の中の小人は桂に笑いかけた。



 月は静かなほほ笑みをややほせらせ下界を見下ろしていた。
 その月影は
「ところで玄法よ。紫鬼の玉はどうした。今宵の月は格別、共に愛でたいものだが」
「あれは今、私の手元にはない」
「まさか手放したのか?」
「あやつらに持たせてある。一つは娘ではなく、息子が持っているがな」
「上洛するならば得策だったかもしれぬの。内裏でも紫鬼のことは秘中の秘だが知らぬ者がいないわけではない。見たであろう、内裏にへばり付く獣どもの顔を」
 手中にある杯が注がれた酒とともに回っている。
「我らが御代に立っているからと言ってもあれではのう。お上に許しを頂いて参った」
「では」
「次に会う時は佐伯と名乗っているだろう」
「佐伯……遮る者か、左の臣か」
 風静かな水面に映る月影が天井を照らし返す。
「洒落が利いているだろう?」
「どちらにだ?」
 からからと言う笑いだけが釣り殿を満たした。



 
 
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