『淡紅の月』
《番外編》 星降る聖夜 後編
翌日──買ったばかりの包みを手に、俊一は家路を急いでいた。
今にも顔から火が出そうで、立ち止まるどころかちんたら歩くなど出来るかと、とにかく走っていた。走っている間に俊一の脳裏には、ビジネススマイル全開で包装してくれた店員や、ひそひそと自分を忍び見る女子達が延々と浮かんで来る。
やっとの思いで家まで辿り着くと、こんな顔を母親には見せられまいと一つ深呼吸してから何食わぬ顔を作って玄関に入った。
「俊一ー? 帰って来たのー?」
ドアの音を聞き付けて母親が出て来る。
手には洋菓子の箱を持っていて、彼は嫌な予感がした。
「ちょうど良かった。これお歳暮にもらったお菓子なんだけど、向かいの月島さんちにお裾分け持って行って来てくれないかしら」
「なんで俺が。おふくろが行ってくればいいだろ!」
「いいじゃないの麗子ちゃんちなんだから。お願いね」
さっさと箱を押しつけるように渡して、母親は居間の方へと入っていってしまい、俊一はしばし箱と睨み合った末再び家を出た。
向かいの家は豪邸とまではいかなかったが、この住宅街の中では一際大きく、それなりの装飾がなされていた。ゆえに呼び鈴もただのインターフォンではない。音も響きが効いたもので俊一も昔は珍しがって鳴らすのが好きだったが、今は緊張を助長させる音にすぎなかった。
「こんちわー」
玄関に入ると若い女物の靴が大量にあって、俊一は何事かと眉間に皺を寄せた。仰々しいインターフォンを鳴らして声を掛けて入って来たはずだが、しばらくしても誰も出ては来なかった。
仕方がないのでもう一度、今度はもっと大きく息を吸ってから言ってみた。
「こんちわー」
間があった後、パタパタと足音を立てながら麗子の母が奥から出て来た。
「あらぁ俊一君! 久しぶりねぇ。キッチンで考えごとしてたから気付かなくって、ごめんなさいね。麗子に用かしら」
「いえ。おふくろがもらいものだけど良かったらって、これを……」
「まあ、いつもいつも悪いわねぇ。お母さんによろしく言ってちょうだいね」
微かに上の階から笑い声が聞こえてきて、麗子の母はなぜが嬉しそうな顔をした。
「女の子物の靴がいっぱいあるでしょ?今ね、麗子のお友達が来てるのよ」
「麗子の友達……?」
「クラスのお友達なんですって。麗子ったら家にお友達なんか連れて来たことがなかったから、心配してたところもあったんだけど。やっぱり母親からしたら嬉しくってね」
俊一は、そのわけを知っていた。
「俊一君も上がっていかないかしら」
「いえ。それじゃあ」
そそくさと月島家を出て、自分の家へと駆ける。麗子の友達というのが気にならないわけではなかったが、女子の輪に入る勇気はなかった。
「月島さん、ここはどう編むの?」
「えーっと、そこはね──こうやって……うん、そう」
月島家の2階にある麗子の部屋には、ざっと5・6人の女子高生が集まって何かを編んでいた。
「それにしても大きい家だよね。お父さんが外交官だっけか」
「うん、今は単身赴任でアメリカの方に行ってて、あさって帰ってくるんじゃないかしら」
「じゃあ月島さんも、海外に住んだことあるの?」
「小さい頃に少しね。でも母が外国暮らしは合わないって後はずっと父だけ単身赴任で」
どの女の子も、麗子の身の上に夢中だ。女子というものはどの時代もその類いの話しには目がない。
「きゃー、麗子ちゃん!ここが大変な事になっちゃったー」
「なおったら“麗子ちゃん”だなんてズッルーい」
「でもホント、助かったよ。編み物手作りしてみたかったけど、絶対無理だと思ってたし。“麗子ちゃん”のオ・カ・ゲ」
「かなえもちはるも抜け駆けなんてズルっ。彼氏にあげるマフラー編みたいからって、昨日のうちにこっそり月島さんに教えてもらうの頼んじゃってたりなんかして!だから、彼氏持ちは!」
「さきこも早く彼氏作ればいいじゃない。ねぇ」
かなえとちはるという二人は大袈裟に頷き合った。
そもそもなぜあのクラスメイトの女子集団が、麗子の家に集まって編み物大会になったかというと、昨日の夜に話は戻る──。
夕食の準備の最中、一本の電話がかかってきて麗子の母が出た。電話の相手は昼間会ったクラスメイトの一人で、すぐに麗子が電話を替わった。
「あ、月島さん? 4組のかなえだけど!あのね、ちょっと頼みたいんだけど、あたしとちはるに編み物教えてもらえない?さっき月島さん毛糸買ってたでしょ?うちらも彼氏に編んであげたいなって思って……明日家に行ってもいいかな?」
ところが次の日、来たの昨日会ったクラスメイトの集団全員だった。
「中谷さんと前原さんだけじゃなかったのね」
「結局みんなで来ちゃった。あ、見て見て! ちゃんとね、毛糸と編み棒持参で来たんだよ。それから、みんなで食べようと思って、お金だし合ってケーキ買ってきちゃったんだ」
「大人数で押しかけちゃったけど、よろしくお願いしまーす」
というわけだった。
「月島さんはぁ、それもしかして赤穂君に?」
「ううん。クリスマスに帰って来る父にあげようと思って」
その証拠に前日まで編んでいたものは机の引き出しに厳重にしまってある。
「私は彼氏出来た時の練習に今年は自分用よ」
「私もー。せめてあげてもお母さんかな。それもいいなぁ……」
「私は兄貴に。また今年も彼女にもらうだろうけど、なんか癪だから」
「えいこはブラコンなんだから。だから彼氏が出来ないのよ」
「悪かったわね。何よ、男になんて興味ないようなこと言っといてちゃっかり彼氏作っちゃって、あげくの果てに手編みマフラーあげようとこっそり月島さんにお願いしちゃったりなんかして。超許せない!こうしてやるぅ」
くすぐられたちはるという女子は、やめてと声を上げて笑うものだから、みんなもその姿に大笑いだった。また麗子も同じように笑っていた。
「じゃあ、お邪魔しました!」
「今日明日しかないけど、あとは自分たちで頑張ってみるね。何かあったら電話するかもしれないけど。年明けにまた会おうねー」
「うん、来年学校でね。メリークリスマス」
「ちょっと早いけどね、メリークリスマス!」
雪がちらつく夕空の下、麗子は門の外まで出て見送った。
両手に白い息を吹き掛けて中に入ろうとしたが、思い返して反対を向いて俊一の家のインターフォンを押した。
「こんにちは」
「麗子ちゃん、いらっしゃい! 俊一でしょ?すぐに呼んで来るわね」
俊一の母は気を回すのがうまく、麗子が何も言わずともいつもまっさきに俊一を呼んでくる。
麗子も意識していなかったが、最近この待っている間緊張していることに気がつき始めていた。どこからか聞こえて来る時計のカチッコチッという音が、妙に耳に響いた。
「何か用か?麗子」
ふいに頭上から声をかけられ、麗子はびくっとしてしまった。
「何驚いてるんだよ」
「う、ううん。なんでもない。あのね俊ちゃん、あさってみんなで夕方から今年もクリスマスパーティーやるでしょ?俊ちゃん少し早めにうちに来てくれないかしら」
「なんで俺だけ」
「いいでしょ。お願い!」
麗子は手を合わせて頼み込んだ。
「わーったわーった」
「絶対だからね! じゃあ、あさってね」
パタンとドアを閉めて、いつの間にかスキップで家に駆け込んでいた。
月島家では、かねてより交流のある俊一の家と毎年24日にクリスマスパーティーを催していた。当日、朝から麗子の母親はその用意に追われていた。
「やっと出来たぁ。良かった、間に合って。あとはラッピングだけだわ」
選んだ柄はクリスマスカラーに、白い猫のシルエット。赤のリボンをきゅっと結んで、本当の出来上がり。少し遠ざけて見てみてから、麗子は傍らで見上げていたミケに見せびらかした。
「ほら、ミケと同じだよ。今日はねぇ、もうすぐお父様が帰ってらっしゃるの。仲良くしてね」
思いっきり撫でてやっていると、玄関のドアの開く音が聞こえてきた。
麗子が行こうと部屋から出るのにドアを開けると、まっさきにミケは走り出して階段を駆け降りていった。
「ミケ!」
追いかけて降りて行くと、予想通り一年ぶりに父親が帰って来ていた。
「おっと。お前がミケだね」
「お父様! お帰りなさい」
「ただいま麗子。ずいぶん行儀のいい猫を飼ったな」
見るとミケは玄関マットの上できちんと座っていた。お客が来てはミケはいつもこうである。
「お客様だと思っているのかも。ミケ、この人が私のお父様よ」
そう言って抱きかかえてミケに言い含めたが、分かっているのかいないのかはともかくもニャーと返事をした。
ぽんぽんと撫でて、麗子の父親は玄関を上がった。
「プレゼントは届いたか?」
「えぇ」
「まあ、あなた! お帰りなさいませ」
「あぁ、ただいま」
母親も声を聞きつけて出て来た。こうなってはお邪魔虫だ、と麗子はミケを抱いたまま再び二階へと上がっていった。
珍しくも雪がちらついてホワイトクリスマスイブ。窓から覗くと、真向かいに俊一の家が見える。出て来るのを見ていようと、ミケを抱いたまま窓辺に座っていた。
「俊ちゃん遅いなあ。ミケもちゃんと見ててね」
はあと吐く息で窓が白くなる。
恒例で俊一の母親も料理を作って持ってくるので、今ごろ支度しているのが目に浮かぶ。
俊一の好きなエビフライは今でも欠かさず持ってくる。小さい頃に最後の一個のエビフライを取り合ってケンカをしたことがあった。
思えばまともにケンカしたことは麗子と俊一の間ではそれ以来一度もないことを、麗子は不思議な気持ちで思い出していた。
ぼーっとしていたのか、気がつくと俊一が、門を入って来るのが見えた。
「来た!」
ミケに負けず劣らず階段を駆け降り、入って来る前に玄関を開けた。
「いらっしゃい、俊ちゃん!」
「うわっ。びっくりさせるなよな。ん?」
視線を下げると、俊一の足下にミケが絡んですり寄っていた。
「ミケったら、俊ちゃんが来たから喜んでるのよ。上がって」
「麗子んとこ親父さん帰って来てんだろ?」
「いいのいいの。どーせお母様に一人占めされちゃってるんだから。それに一年ぶりだもん、パーティーまで二人っきりにしてあげたいし。ね?」
「ん…あぁ」
俊一にとって麗子の部屋は久しぶりで、妙に照れていた。
「はい。メリークリスマス!」
驚いて呆気にとられた俊は言葉が出せないでいた。
「俊ちゃんあんまり厚着しないでいつも寒がってるんだから」
自分がもらえるとは思っていなかったのもあるが、手編みしたものだということがうかがえて、反応しそこなっていた。
「貸して!巻いてあげる」
おとなしく巻かれていた俊一も、巻いていた麗子も、それぞれの鼓動が早く大きくなっていることには、まだ気付かなかった。
「良かった。似合ってる似合ってる」
「これ。俺からのクリスマスプレゼント」
俊一は隠すように持って来た包みを、半ば投げるように麗子に手渡した。
「うわあ、手袋!」
「なんだよ、いらなかったか?」
「ううん。とっても嬉しい。ありがとう、俊ちゃん♪」
試しに着けてみて、ふと麗子は思った。
「なんだかペアみたい。この手袋とマフラー」
「そうだな。色が似たようなのだからな」
会話がなぜか、そこで不意に途切れた。お互い見つめ合うでもなく目を逸らすでもなく、ただ座っていた。
無意識にも先に耐え兼ねたのは、意外にも麗子だった。
「俊ちゃんこれね、今年のお父様からのプレゼントなんだ」
「へぇ。プラネタリウムキッドか」
「今年のは重いなぁって思ったら、これだったの。見ててね俊ちゃん。これすごいんだよ?」
箱を開けて本体を取り出し、コンセントを繋いで麗子はカーテンを閉めて、部屋の明かりを消した。
「見ててね」
声のあとに赤い小さなランプが点く。本体に付いていた黒い球体が淡く光だし、部屋の中は一面星空に包まれた。
「……こんなにたくさんの星は、見たことないな」
「うん。ほら、俊ちゃんの星座はあそこらへん」
「は?俺の星座ぁ?」
「前に教えて上げたでしょ。7月22日だから蟹座だって。でね、こっちが私の射手座」
指差した先に、流れ星が通り過ぎた。
「わぁ!流れ星もあったんだ」
「まさか願い事なんてしないよなぁ」
「しちゃいけないかしら?」
「……どーぞどーぞ」
二人は再び空を見上げた。この満天の星空を。
そして願った──これから変わる事なく……。
……to be continue.
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